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 8月号  2017年

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伊藤伊那男作品


主宰の八句

南瓜の花      伊藤伊那男

煙草の香残る帽子や昭和の日
蛤の口割らせたり業火もて
焼蛤受難の口を開きけり
たんぽぽの絮吹き絮に囲まるる
鎌倉や亭午を前の白子飯
仮縫のやうな牡丹の咲き始め
極楽寺坂をまつすぐ夏来る
やや無駄と思ふ大きさ南瓜咲く






        
             


今月の目次






銀漢俳句会/8月号













   



銀漢の俳句 

伊藤伊那男 


◎伊集院静先生の米

 わが家の米は山形県寒河江産のつや姫である。実に旨い。私は戦後の食糧不足がまだ尾を引いている時代の育ちである。農村地帯だったので、米が欠乏した記憶はないが、ほぼ毎日押し麦を混ぜたごはんであった。米の良し悪しなどは考えたこともなく、ほどほどの米で満足して今日に到った。ところがこの米ときた日には……。そうなると焼き海苔につける醤油なども気になって、こっそり自分だけ高い醤油を使い始めているほどだ。
 さてこの米は娘婿の知己の作家、伊集院静先生が送ってくれるものである。実は送ってくれるというのは正確ではなく、長女が産地の米屋に注文すると即座に届き、請求書は作家の事務所に廻るのである。先年三越劇場で娘婿の監督作品映画の上映会があった折、娘婿と作家のトークショーがあった。伊集院先生は「ゴルフに行く時は毎回宮澤の車で送迎してもらうので返礼に米を送っている。だが本当の理由は、宮澤の子供達が20歳になった時、お前達は一体誰のお陰で育ったのか? と問いたいためである」と笑っておられた。長女の家には孫が四人おり、一番下の子は小学校1年生なので、この先まだ10数年は送っていただくことになる。私立の学校に通っているので全員弁当持参である。上の2人は女子で、下2人の男子はまだ低学年なので、それほど米はいらない。長女夫婦はダイエットが絡むのか、米食を控えている。そのようなことで、どうやら家で一番ごはんを食べているのは私のようである。先ほどのトークショーのあと長女が「伊集院さんのお米で一番育っているのはお父さんなんだよね……」と呟いていた。
 先日電気釜を買い替えることになった。長女が、愛知県の鋳物工場の作る炊飯器兼鍋が優れものだという。好都合にも私の俳句仲間にデパート勤務の女性がおり、しかも鍋売り場担当である。相談すると、人気商品で品薄だが上客用に二つ確保してあるという。価格は8万円台で、社員割引で10%引きにできるという。長女に伝えると「10年は使えるはずであり、日割計算をして、家族7人で割ると、1人当たり3円位のコストであり、毎日おいしく食べられるし、他の料理にも使えるのだから安い!」という。こういう乱暴な試算が合っているのかどうか解らないが妙な説得力がある。
 結局買うことにしたのだが、家で一番ごはんを食べているのは私であり、また購入の仲介をしてしまった事情もあるので、代金の一部負担を申し出たのであった



   








 



  

盤水俳句・今月の一句

伊藤伊那男

泡盛や那覇牧志町守宮鳴く        皆川 盤水

 
沖縄本島の北端辺戸岬に沢木欣一の句碑〈夕月夜乙女(みやらび)の歯の波寄する〉の句碑建立の折、建設委員長として三度ほど現地を訪ねたと聞く。「新城太石氏」の前書きがあり、沖縄の句友の案内で牧志町界隈で泡盛を酌んだのであろう。この町の中心に公設市場があり、那覇の台所ともいうべき一角である。雑駁な町なので店の天井などに守宮が張り付いていたのであろう。〈大守宮徳利椰子に鳴きてをり〉〈花蘇鉄袋小路の壷屋窯〉も同時作。
                                 (昭和55年作『山晴』所収)













  
彗星集作品抄
伊藤伊那男・選

故郷も子には旅先かき氷          上條 雅代
ペン胼胝へインクの滲み桜桃忌       堀内 清瀬
人生てふ塩加減あり豆の飯         中野 堯司
ひとり逝き花見弁当ひとつ減る       柴山つぐ子
振る音の一音高き新茶かな         夲庄 康代
更衣まだ細腕をたよられて         堀内 清瀬
潮風が浴衣を通る宿の夜          星野かづよ
夜に浮かび羂索観音めく鵜飼        伊藤 政三
黄ばみたるカストリ雑誌荷風の忌      塚本 一夫
風の音吸ひ込んでゐる竹の秋        住山 春人
遠足の列東塔を十重二十重         中島 凌雲
弥陀仏の金泥梅雨の闇まとふ        谷口いづみ
子供たちだけの抜け道夏来る        小山 蓮子
踏跡も陰のひとつに蟻の国         戸矢 一斗
閑谷や飛ぶを教ふる親燕          中島 凌雲
母の日を母の顔見ぬまま過ごす       梶山かおり
たふさぎの硬さも床し本祭         川島秋葉男







       








彗星集 選評 伊藤伊那男

 

 
故郷も子には旅先かき氷       上條 雅代
信州生まれの私は、当然ながら故郷への思いは深く、四十歳の頃、町の古刹の墓地分譲情報を聞き、買った。ところが妻は寒いから嫌だ、というし、子供達も小さな頃の思い出がかすかに記憶に残る土地という位のことで、結局妻が死んだとき、返却し、東京の墓地に替えた。この句はまさにそのような親の心境を詠み留めたものである。東京で育った子には親の故郷も「旅先」の一つでしかない。淋しいけれどそれが現実で、かき氷の冷たさが頭に響くのだ。 

 
 ペン胼胝へインクの滲み桜桃忌     堀内 清瀬
太宰治の人気はつくづく凄いと思う。私の生まれる一年前に自殺しているので、死後70年近くになるというのに、一向に人気は衰えない。こんな作家は漱石か太宰くらいであろう。私も若い頃熱中した一人である。禅林寺の墓も何度か訪ねたものだ。人気の秘密の一つに文章のうまさがあると思う。文章の魔術師である。私は『お伽草子』を評価する。さてこの句「インクの滲み」が味わい。太宰の死んだ梅雨時の気候などにも連想が及ぶのである。 

  
人生てふ塩加減あり豆の飯        中野 堯司
私は俳句という文芸は才能だけではなく、人生経験がものを言う文芸であると思っている。年輪、人生が作らしめる詩である。このような句も人の世の哀歓を見てきた人でなければ作れないものだと思う。涙を知っている人の句だ。「豆飯」の季語の斡旋が決め手でその日常性のある食物との取り合わせで成功しているのである。 

  
ひとり逝き花見弁当ひとつ減る     柴山つぐ子
この句から芭蕉の〈さまざまの事思ひ出す桜かな〉を思い出す。芭蕉が仕えた伊賀藤堂家の跡取り、蝉吟が若くして亡くなったが、それから二十年ほどして、その子が城主となり、芭蕉が花見の宴に招かれた時の句である。単純なように見えて、その経緯を知れば、読後に深い余韻が残る。掲出句にも同様の感慨を覚えた。再会を約した花見の宴に一人欠けたのである。当然弁当も一つ減る。当たり前なのだが、世の免れ難い節理を念押しするように、淡々と詠んだところに凄みが残るのである。 

  
振る音の一音高き新茶かな       夲庄 康代
新芽を思い切り撚った新芽であるから、音もおのずから違いがあるのであろう。そこに着目した目配りが新鮮である。さんざん詠まれてきた季語も、この句のように、まだまだ発見があるということが嬉しい。 

  
更衣まだ細腕をたよられて       堀内 清瀬
長生きの秘訣は、人に当てにされている、という意識が大きく影響しているように思う。今日やることがある、会う人がいる、と、そのようなことが生活にめりはりを与えてくれるのだ。「細腕をたよられて」の措辞に充実感がある。この作者の長寿は間違いなかろう。 

  
潮風が浴衣を通る宿の夜         星野かづよ
思えば旅先でしか浴衣を着なくなった。こんな旅がしたい。 

  
夜に浮かび羂索観音めく鵜飼       伊藤 政三
鵜匠の仕草を、こうした比喩に持ち込んだ所を評価。
 
 
  
黄ばみたるカストリ雑誌荷風の忌     塚本 一夫
奇行で知られた荷風だけに取合せの妙である。 

  
風の音吸ひ込んでゐる竹の秋       住山 春人
竹の春ならば風音を弾き返すか…。発見のある句だ。

  
遠足の列東塔を十重二十重        中島 凌雲
奈良の薬師寺であろうか、境内の広さも目に浮かぶ。 

 
 弥陀仏の金泥梅雨の闇まとふ      谷口いづみ
 金泥、梅雨時の緑、仏殿の闇、と渋い色彩感である。

  
子供たちだけの抜け道夏来る       小山 蓮子
 秘密の抜け道、子供達の活発な活動期の到来である。

  
踏跡も陰のひとつに蟻の国        戸矢 一斗
 蟻にとってはガリバーの靴の跡。対比が見事!

  
閑谷や飛ぶを教ふる親燕         中島 凌雲
岡山県の郷校閑谷(しずたに)。親燕も教えると重ねた機知の句。 

  
母の日を母の顔見ぬまま過ごす      梶山かおり
様々な事情で会えないが、心の中には一日母の面影が。 

  
たふさぎの硬さも床し本祭        川島秋葉男
褌も真っ新。「硬さも床し」にほのかな滑稽感。 

 
           












  


銀河集作品抄

伊藤伊那男・選



母の日の昔語りに暮れにけり       東京  飯田眞理子
山窪を壺中の天と囀れり         静岡  唐沢 静男
残されてひとり聴きをりほととぎす    群馬  柴山つぐ子
磯菜摘む仁右衛門島に足掛けて      東京  杉阪 大和
波の間の波に遅れて鹿尾菜揺る      東京  武田 花果
日蓮の偈のごと卯波海石打つ       東京  武田 禪次
蒼勁の軸に掛け替ふ竹の秋        愛知  萩原 空木
幽玄の一刻ありぬ白牡丹         東京  久重 凜子
大川に風の溜り場竹の秋         東京  松川 洋酔
春の雲目で追ふ荼毘を待つあひだ     東京  三代川次郎
酔ふほどの香煙花の泉岳寺        埼玉  屋内 松山












   
   








綺羅星集作品抄

伊藤伊那男・選 

異国にてまづは親しき雀の子      カナダ 多田 美記
男女川恋の初めの清水かな       東京  高橋 透水
おざなりにいたはられたる春の風邪   大阪  中島 凌雲
積年の傷の御体御身拭         兵庫  清水佳壽美
缶蹴りの路地はそのまま昭和の日    東京  朽木  直
カステラのくぼみは母の日のゑくぼ   東京  渡辺 花穂
歯磨粉出せば戻せぬ春愁ひ       長野  高橋 初風
重ねたる齢の息や紙風船        埼玉  中村 宗男
松落葉踏みゆく松の廊下跡       東京  白濱 武子
夏蜜柑剝くといふより剝ぐといふ    東京  中村 孝哲
針音のレコードをきく巴里祭      東京  沼田 有希
母の日の母のゐさうな三面鏡      東京  橋野 幸洋
色々のあぢさゐに色々の風       東京  松代 展枝
リラのころきつと伯母から長電話    東京  相田 惠子
余り苗落款のごと置かれたり      東京  大溝 妙子
おそらくは鳴く亀戸の亀ならば     埼玉  小野寺清人
謹厳な面の鬚剃る端午の日       東京  大山かげもと
酒蔵の匂ひに育つ燕の子        長崎  坂口 晴子
東京もここまで来れば閑古鳥      東京  島谷 高水
逆しまに浮世を映し石鹼玉       東京  伊藤 政三
代代を五箇山門徒夏炉焚く       東京  桂  信子
雲よりも泰山木の雲らしく       大阪  末永理恵子

夏落葉昏きに在す観世音        宮城  有賀 稲香
春禽の帳の中の目覚めかな       東京  有澤 志峯
拝復その後花冷の飛鳥山        東京  飯田 子貢
門前に研師の筵柿若葉         静岡  五十嵐京子
永き日や子を待つ母の遠目癖      埼玉  池田 桐人
若き死は若き日のまま昭和の日     埼玉  伊藤 庄平
島々を太らせてゐる春の潮       神奈川 伊東  岬
取り出して寂しくなりぬラムネ玉    東京  上田  裕
ロシア語を思ひ出しつつ鳥帰る     東京  大西 酔馬
よもやまのこぼれ噺に古茶旨し     神奈川 大野 里詩
でか山の曲り処や夏来る        埼玉  大野田井蛙
千の樹は千の色もつ若葉風       東京  小川 夏葉
わが影の午後二時あたり汐干狩     宮城  小田島 渚
行く春や片影となる石仏        神奈川 鏡山千恵子
抜けさうな魚板のへこみ鳥雲に     和歌山 笠原 祐子
サングラス越し真つ青な地中海     東京  梶山かおり
玉の井の脇道みやこ忘れかな      愛媛  片山 一行
仁右衛門島
人気なき島主の座敷黴きざす      東京  我部 敬子
つばくらめゆとりの飛翔高くなり    高知  神村むつ代
お手植ゑの松高々と昭和の日      東京  川島秋葉男
焚けるもの燃やし尽くして霜くすべ   長野  北澤 一伯
筑波嶺の(たお)に大瑠璃鳴き交はす     東京  柊原 洋征
膝頭回す体操昭和の日         神奈川 久坂依里子
藤棚の影やはらかや砂遊び       東京  畔柳 海村
サンダルの色のいろいろ夏兆す     神奈川 こしだまほ
池尻に夏落葉つむ仁右衛門家      東京  小林 雅子
吉田屋に真砂女の硯春惜しむ      東京  小山 蓮子
はつなつの帽子は風と語らひぬ     千葉  佐々木節子
柏餅蒸し立ての息仏前に        長野  三溝 恵子
母の日や待つてゐましたエステ券    東京  島  織布
北海道
麦秋や厩舎の馬の歯を見せて      東京  新谷 房子
おぼつかぬピアノ聞こゆる初桜     東京  鈴木 淳子
浅草・伝法院
奉納の絵馬の剝落うららけし      東京  鈴木てる緒
麦飯や子の測り合ふ背の高さ      東京  角 佐穂子
春愁や形見のペンの書き心地      東京  瀬戸 紀恵
夏蝶の本めくるごと飛びにけり     東京  曽谷 晴子
力抜く生き方も良し鯉幟        愛媛  高橋アケミ
仁右衛門島春の涛音十方に       東京  武井まゆみ
仁右衛門島
住所なき島の表札亀鳴けり       東京  多田 悦子
春光と波ふところに神楽岩       東京  田中 敬子
背後には阿修羅立ちたる薪能      東京  谷岡 健彦
郭公の一声のみの巣立ちかな      東京  谷川佐和子
五線譜にかけぬ音せり半仙戯      神奈川 谷口いづみ
花曇舌にかすかに粉薬         東京  塚本 一夫
ジャングルジム不思議な枠の日永かな  愛知  津田  卓
ふらここの揺れのままなるうつつかな  東京  坪井 研治
月朧外湯につづく安房の海       埼玉  戸矢 一斗
薫風や耳あてて聴く木々の声      東京  中西 恒雄
安房仁右衛門島
島守る家一軒や浜大根         東京  中野 智子
安房の海そろそろ卯浪立つ頃か     茨城  中村 湖童
青鳩の胸の広さや波飛沫        東京  西原  舞
大山かげもとさん
松の芯こぞりて佳き日句集成る     神奈川 原田さがみ
かぎろひの丘統ぶる蟻穴を出づ     兵庫  播广 義春
世田谷浄真寺
二十五菩薩一歩の重さ練供養      東京  半田けい子
散策の歩幅広ごる麦の秋        東京  保谷 政孝
背比べせし日の遠く五月来る      東京  堀内 清瀬
雨の日は雨の明るさチューリップ    岐阜  堀江 美州
吾子の眼の空を吸ひ込む五月かな    東京  堀切 克洋
ぶらんこの足下ごとの窪みかな     埼玉  夲庄 康代
夏籠の道松風を袖に受く        東京  松浦 宗克
祝電の例文あまた桜咲く        東京  宮内 孝子
二人とも泣き出す喧嘩葱坊主      神奈川 宮本起代子
恵那山が雪はよだれぞ五平もち     千葉  無聞  齋
復員の父待ちし日よ桜の実       東京  村上 文惠
漸くに暮れ初みし夜の初鰹       東京  村田 郁子
花は葉に人に晴れどき曇りどき     東京  村田 重子
空井戸は城の抜け穴青葉雨       千葉  森崎 森平
辻廻す綱のほてりや青柏祭       東京  森 羽久衣
遠足の色とりどりの弁当箱       埼玉  森濱 直之
花衣たたみて夢を閉ぢ込むる      愛知  山口 輝久
新皇の雨に荒ぶる神田祭        東京  山下 美佐
みこもかる信濃鱒とふ宿の膳      群馬  山田  礁
寸分の余白も染めて躑躅燃ゆ      東京  山元 正規
甦る一遍像や風薫る          愛媛  脇   行雲










      






     







銀河集・綺羅星今月の秀句

伊藤伊那男

異国にてまづは親しき雀の子       多田 美記
 夫君のカナダ赴任で数年間の予定でトロントへ移住された。先ずその最初の挨拶句、ということになろう。余談だが以前ハワイに遊んだとき、ベランダのテーブルの手の届くほどの位置に雀が来た。羽には少し色が混っていたが紛れもなく雀であった。日本よりも更に親しい距離であった。同時出句の〈春の蠅油の匂ふチャイナタウン〉〈春愁や日の輪はづれし鳩一羽〉〈春うらら見分けのつかぬ銀コイン〉なども異国での愁いや戸惑いを滲ませて新鮮である。このあとの海外生活の投句が楽しみである。
男女川恋の初めの清水かな        高橋 透水
同時出句に〈老鶯の歌垣山に澄み渡る〉〈大瑠璃の語り継ぎゆく嬥歌かな〉〈筑波嶺や妹ぞ恋しき車百合〉〈筑波より富士にエールの遠足児〉などがあり、どの句も見事な出来である。「男女川(みなのがわ)」は筑波山に発する渓流で、歌枕である。その源流を「恋の初めの清水かな」と言い留めたところが軽妙である。その他の句も恋と和歌の山を存分に詠い上げて圧巻であった。最後に遠足児のエールへと転じたところもよく、一回の投句で見事な連作を披露してくれたのである。 

  

おざなりにいたはられたる春の風邪    中島 凌雲
「春の風邪」というと、ついつい軽くみられてしまうようである。「まあ、大事にしてね」程度の挨拶で終ってしまうのである。「おざなりに」が味わいである。


積年の傷の御体御身拭          清水佳壽美
私は奈良や京都で仏像を見るたびに、よくもよくも生き残ってくれたものだ、ご苦労様です、と手を合わせている。あまたの戦火、暴風雨、腐蝕、盗難などを免れて現存しているのは奇蹟といってよい。何百倍もの仏像が消滅している筈である。季語の「御身拭」は四月十九日の京都清凉寺の法会。私は、季節の異なる年末の薬師寺の御身拭を見たことがある。お粥の上澄みに白布を浸して拭う、との説明であった。「積年の傷の御体」は言い得て妙。 

  

缶蹴りの路地はそのまま昭和の日     朽木  直
今どきの子供は缶蹴りなどという遊びは知らないのではなかろうか。空缶一つでどこででもできるのだから子沢山で貧しい時代には最適な遊びであった。その路地が今も残っている、というのであるから、懐かしい句だ。佃島や月島などの長屋住宅もほぼ消失してしまっている。缶蹴りという遊びも路地も……。 

  

カステラのくぼみは母の日のゑくぼ    渡辺 花穂
 今だってそうだが、子供の頃のカステラと言ったらそれはもう最上の菓子であった。茶色の焼色の付いたスポンジを押すと、しなやかに凹み、ゆっくりと戻る。そのくぼみはえくぼのようだと思うという。母の日に贈られたカステラに作者の喜びが象徴的である。父の日には無い表現だ
 歯磨粉出せば戻せぬ春愁ひ       高橋 初風
このようなことは誰にも覚えのあることだ。一旦絞り出したチューブには、どんなに工夫しても戻せない。「春愁」とは深刻なものではなく、そこはかとない哀愁である。このような取るに足らぬことも春愁に包括されるところが、この句のそこはかとない面白味である。 

重ねたる齢の息や紙風船         中村 宗男
子供の頃に吹いた紙風船、子育ての頃に吹いた紙風船、そして今は一人の時間に吹いてみる。すると、同じ紙風船でも人生のステージによって感慨は違うものである。「重ねたる齢の息や」にそのような年輪が出ているのである。俳句は積み重ねた人生の断面―――ということを思う。 

松落葉踏みゆく松の廊下跡        白濱 武子
皇居東御苑に入ると、天守閣跡の広場の端に松の廊下跡の標識がある。あの忠臣蔵の浅野内匠頭長矩が吉良に切りかかった廊下である。松を描いた襖があったことからその名がある。今は何の変哲もない遊歩道で、松落葉が降るばかり。「松」を重ねた歴史回顧で余韻を深めた。 

その他印象深かった句を次に

夏蜜柑剝くといふより剝ぐといふ     中村 孝哲
針音のレコードを聞く巴里祭       沼田 有希
母の日の母のゐさうな三面鏡       橋野 幸洋
色々のあぢさゐに色々の風        松代 展枝
リラの頃きつと伯母から長電話      相田 惠子
余り苗落款のごと置かれたり       大溝 妙子
おそらくは鳴く亀戸の亀ならば      小野寺清人
謹厳な面の鬚剃る端午の日        大山かげもと
酒蔵の匂ひに育つ燕の子         坂口 晴子
東京もここまで来れば閑古鳥       島谷 高水
逆しまに浮世を映し石鹼玉        伊藤 政三
代代を五箇山門徒夏炉焚く        桂  信子
雲よりも泰山木の雲らしく        末永理恵子







           

 
 





 
星雲集作品抄
伊藤伊那男・選

秀逸
  
蝙蝠傘たためば夕べ荷風の忌       東京  宇志やまと
一片は花衣より飛びしかと        東京  大沼まり子
祭笛父に替はりし音色かな        埼玉  大澤 静子
亡き兄へ思慕くるくると粽解く      神奈川 栗林ひろゑ
行く春や魚屋にある深海魚        東京  今井  麦
行く春や砂時計めく我が余生       埼玉  渡辺 志水
豆飯を囲み揃はぬ顔のこと        神奈川 上條 雅代
のどけしや積木で建つるマイホーム シンガポール 榎本 陽子
カーネーションと一目瞭然箱とどく    埼玉  大木 邦絵
角あれど栄螺両手に受けしかな      神奈川 河村  啓
朝まだき酔顔めきて真蛸出づ       和歌山 熊取美智子
鯉幟隣の遠き暮しかな          東京  小泉 良子
パレットに鬱を薄めて夏来る       東京  竹内 洋平
父母の山河の在りて昭和の日       東京  福永 新祇
先ぶれのひづめこだます賀茂祭      東京  秋田 正美

神棚の達磨を燻す夏炉かな        神奈川 長濱 泰子
レース編む人差し指は羅針盤       埼玉  萩原 陽里
母の日の言葉の花に涙声         京都  三井 康有
虎が雨返しそびれし男傘         東京  伊藤 真紀
新茶来て火山灰噴き上ぐる山思ふ     埼玉  今村 昌史
黙の夫より風船のかへりくる       東京  岡本 同世
麦笛やおまけのやうに香もありて     東京  田岡美也子
思ひ出は胸に閊へる麦ごはん       神奈川 花上 佐都







星雲集作品抄


            伊藤伊那男・選

桜や迷ひインコの張り紙も        埼玉  秋津  結
津軽富士郭公の声訛なく         神奈川 秋元 孝之
砲台は明治のままに夏燕         東京  浅見 雅江
庭に打つ掛矢の谺幟杭          神奈川 有賀  理
更衣めぐる季節に袖通す         高知  有澤 由朋
蕗食へばふと目に浮かぶ祖母の顔     愛媛  安藤 政隆
瀬戸内の浜辺に沿って田植かな      東京  井川  敏
一人食ふ固くなりそむ柏餅        東京  生田  武
常盤木の落ち葉重たし池の面       高知  市原 黄梅
風薫る畦道辿り谷戸巡り         神奈川 伊藤やすを
蒼天の下でひたすら田を植うる      愛媛  岩本 昭三
蚕豆を大皿に盛る縄暖簾         神奈川 上村健太郎
一筋の航跡を曳く初夏の潮        愛媛  内田 敏昭
夏の雲羽田取り巻く摩天楼        東京  浦野 洋一
清しくも心きまらぬ更衣         高知  大西 白圭
蕗味噌を作る手の香のいつまでも     群馬  岡村妃呂子
友逝きぬカーネーションの句を遺し    神奈川 小坂 誠子
祇王寺の斯くも小さき竹の秋       京都  小沢 銈三
どの顔もよき人めきて花の下       埼玉  小野 岩雄
ふらここに天女か衣の忘れ物       静岡  小野 無道
千年の秘仏の里や七変化         静岡  金井 硯児
山小屋で聴く郭公のこだまかな      東京  亀田 正則
うぐひすの声聞く母の月命日       長野  唐沢 冬朱
木曾谷の岸をつなぎて鯉幟        長野  神林 三喜雄
役場にも戸籍残さず巣立鳥        愛知  北浦 正弘
一突きで手応へのあり心太        神奈川 北爪 鳥閑
舟盛りの舳先張り出す栄螺かな      東京  絹田 辰雄
筍の纏ひし十二単かな          群馬  黒岩 清女
水輪の輪雨が撥ぬれば蝌蚪の渦      愛知  黒岩 宏行
色の濃き真砂女の浜の諸葛菜       東京  黒田イツ子
内張りの茶箱懐かし新茶かな       神奈川 小池 天牛
芍薬の蕾日増に玉になる         群馬  小林 尊子
したたかや夏草の生ふ道の縁       神奈川 阪井 忠太
蒲公英の絮毛の行方天使めく       東京  佐々木終吉
万屋の駄菓子の横の種袋         群馬  佐藤 栄子
筍の人肌ほどのぬくみかな        群馬  佐藤かずえ
たけのこのあふれんばかり猫車      群馬  佐藤さゆり
藍あつめ滴もあつめ七変化        東京  島谷  操
雨脚の吸ひ込まれゆく松の芯       東京  清水美保子
眉太き神田祭の組頭           埼玉  志村  昌
下闇に地獄通ひの井のひそと       千葉  白井 飛露
焙られて角で踏ん張る栄螺かな      神奈川 白井八十八
磊々の仁右衛門島や鯉のぼり       東京  須﨑 武雄
トンネルの上は茶畑列車行く       群馬  鈴木踏青子
蝌蚪の群拍子そろはぬ尾のゆらぎ     愛知  住山 春人
げんげ田を越えて詣でる飛鳥寺      埼玉  園部 恵夏
春眠や朝の湯船に硫黄の香        山形  髙岡  恵
やはりまた床のきしみや走り梅雨     東京  髙城 愉楽
跳箱へ走る子の膝風光る         福島  髙橋 双葉
筍の茹だる匂が隣家より         埼玉  武井 康弘
水音の身近なるかな燕来る        三重  竹本 吉弘
菜の花が一丸となり景を成す       神奈川 田嶋 俊夫
その家の主は知らねど鯉幟        東京  田中 寿徳
終点の駅の改札山滴る          東京  田中  道
いつもより早めの夕餉豆ごはん      神奈川 多丸 朝子
鴨川を渡り返して春惜しむ        東京  辻  隆夫
片耳に潮騒を置く春の夜         東京  辻本 芙紗
危ふきはカサブランカの蕊の赤      大阪  辻本 理恵
白魚のやさしきままの卵とぢ       東京  手嶋 惠子
夏めくやサラダの色の賑やかに      東京  豊田 知子  
縦縞に吉事の予感初鰹          神奈川 中野 堯司
髪を切る決意煽りし羽抜鳥        大阪  永山 憂仔
元気よき産湯の声や鯉幟         神奈川 萩野 清司
新緑や光放つ葉吸ひ込む葉        東京  橋本  泰
母の日や写真の母と会話して       東京  長谷川千何子
信玄の天翔けくるや武者幟        長野  馬場みち子
野の風をはらみて尾まで鯉幟       長野  平澤 俊子
海魚の子豚に変はる春の雲        神奈川 福田  泉
潮騒の旅の始めの花海桐         東京  福原 紀子
そこここに絵の具の匂ひみどりの日    愛知  星野かづよ
練供養諸手ひらひら散華追ふ       東京  星野 淑子
海人小屋の浜風に干す白子かな      神奈川 堀  英一
新樹光二十五菩薩静やかに        東京  牧野 睦子
新茶手にことばなくとも恙なし      神奈川 松尾 守人
花衣脱ぎて日常取り戻す         愛知  松下美代子
筍の気を感ずるごとく歩く        東京  宮﨑晋之介
空真青残像めける鯉のぼり        東京  宮田 絹枝
梃子入れてゆらぐ神輿の軋みかな     広島  村上 静子
大振りに切りし筍飯が好き        長野  守屋  明
心太三筋捉へて一啜り          東京  八木 八龍
朝顔の身繕ひする夜明前         東京  家治 祥夫
三段の跳び箱飛んで夏に入る       東京  保田 貴子
これよりは旧街道や遅桜         群馬  山﨑ちづ子
菖蒲湯のこどもの声の遠き日々      東京  山田  茜
遠近の山の端淡き朧かな         神奈川 山田 丹晴
新緑や我が荒屋もそれなりに       静岡  山室 樹一
初雷に気合ひもろとも上棟す       高知  山本 吉兆
里山もようやく端に黄水仙        群馬  横沢うだい
古稀ならば背広無用の更衣        神奈川 横地 三旦
母の日に似顔絵渡す幼き手        千葉  吉田 正克
島唄に寄する波音春の宵         神奈川 渡邊 憲二
草むしる心の中の雑草も         東京  渡辺 誠子
夏めくや揃ひのシャツは海の色      東京  渡辺 文子






     








星雲集 今月の秀句

伊藤伊那男

蝙蝠傘たためば夕べ荷風の忌      宇志やまと
永井荷風には日記『断腸亭日乗』がある。晩年は浅草のストリップ劇場に入り浸ったり、玉の井を徘徊したりと奇行の多い文士であった。現預金を全部鞄に入れて持ち歩いていたとか、亡くなった時文机の上のコーヒーカップにはその半分位まで溶けないままの砂糖が堆積していたとかの逸話がある。そうした荷風の生き方がそれとなく解る、抒情味の漂う句である。そろそろ酒の時間、といったところであろうか。同時出句の〈馬の目に海あをあをと五月来る〉〈絵本開くやうにひらいて柏餅〉なども秀逸。 
亡き兄へ思慕くるくると粽解く     栗林ひろゑ
 「くるくる」の平易な言葉の効果が絶大である。粽の紐を解く動作としての「くるくる」と、それに伴って思い出されてくる兄のことが重なってくるのである。「来る来る」とも思われてくる。粽であるだけに、子供の日のことも連想されるし、「粽食べ食べ兄さんが計ってくれた背の丈」などの唄もおのずから浮かんでくるのである。同時出句の〈大安の青空があり新茶汲む〉も一読気持の弾む句である。
行く春や砂時計めく我が余生      渡辺 志水
私もこの句のようなことを思う年代になった。今年の正月にはノートに「うまくいって十年!」と書いた。これは決して諦めの気持ではなく、一日一日を全力投球で遊び、働き、学ぼうという決意である。やりたいことを全部やっておくという決意である。掲出句の作者も、私よりも若干抑え気味ながら同様の思いであろう。人生は砂時計とは、なるほど!「行く秋」でないところが余裕である。同時出句の〈紙風船よろこぶごとくふくらめり〉は人生の喜び。 

 

 豆飯を囲み揃はぬ顔のこと      上條 雅代
 鯛飯とか牡蠣飯、松茸飯などではなく、「豆飯」という日常食と変らないものであるところがいい。他人から見たらどうということもない、日常生活の中の微妙な変化や機微などが句の裏に潜んでいるようである。同じように〈果物を包ませてゐる白日傘〉などにも、私小説的な「物語」があるように思われる。味の深い二句であった。

 

のどけしや積木で建つるマイホーム   榎本 陽子
夏来る翡翠の麺と剝き海老と        〃
子供の日日の丸揚ぐるオムライス      〃
 一句目は子育て俳句ということになろう。積木で建てるマイホーム。成長を見守るあたたかなまなざしが「のどけしや」に表れているようだ。二句目は冷たい中華麺であろう。現在シンガポール在住の作者の生活の一端である。
「翡翠の麺」に夏到来の気分が横溢している。三句目、シンガポールで子育てをしていることを思うと「日の丸揚ぐる」に涙ぐましいものが感じられるのである。

  

カーネーションと一目瞭然箱とどく   大木 邦絵
 「一目瞭然」が何ともいい。去年も一昨年も届いていることが解る。親子の絆である。同時出句の〈一村を隈なく見張る鯉幟〉は、「見張る」という擬人化が眼目である。子供達の安全と成長を祈る作者の気持が乗り移っている、ということであろう。
角あれど栄螺両手に受けしかな     河村  啓
 栄螺を直接手に受けるのは多少の戸惑いがありそうだ。そんな気持が素直に出ているところが面白い。手を引込めたら貰えなくなりそうな気持も混じっている筈で、ほのかなおかしみを覚えるのである。同時出句の〈春キャベツ開けば迷路現はるる〉は観点がいい。断面となった巻葉の襞を「迷路」と見たところが発見である。

  

万屋の駄菓子の横の種袋          佐藤 栄子
 万屋を舞台として、カメラが映していくのだが、駄菓子の棚があり、横に種袋が並ぶ。そのように焦点が小景へと絞り込まれていく技法である。動詞を使わずに「物」だけで最後まで詠み切り、種袋をクローズアップさせたのである。
  
ふらここに天女か衣の忘れ物        小野 無道
天女伝説を公園のぶらんこに持ち込んだところが俳諧的である。ただの子供の忘れ物の衣類なのだが、これを詩に昇華させたのは力量である。 
その他印象深かった句を次に。

神棚の達磨を燻す夏炉かな         長濱 泰子
レース編む人差し指は羅針盤        萩原 陽里
母の日の言葉の花に涙声          三井 康有
虎が雨返しそびれし男傘          伊藤 真紀
新茶来て火山灰噴き上ぐる山思ふ      今村 昌史
黙の夫より風船のかへりくる        岡本 同世
麦笛やおまけのやうに香もありて      田岡美也子
パレットに鬱を薄めて夏来る        竹内 洋平
思ひ出は胸に閊へる麦ごはん        花上 佐都
鯉幟隣の遠き暮しかな           小泉 良子






















銀漢亭こぼれ噺



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2017/4/17 発売されました。
 





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 仕事で接した京都、
京都生まれの妻と結婚してからの京都、
俳句を始めてからの京都、
妻を亡くしてからの京都・・・・・。
京都は味わいも深みも変化させながら、
いつしか喜びと悲しみの交叉する街となってきた。
「京都」を軸に、人生と俳句について綴った
著者はじめての自伝的エッセイ。


        













伊那男俳句  


 伊那男俳句 自句自解(20)
 
蕎麦殻の枕が鳴れり十三夜


 子供の頃、枕の中に何が入っていたのかなどということは当然記憶にない。後年、帰省した折などに、たまたま子供の頃に使っていた枕で寝てみて、寝返りをしたときなどにさらさらと鳴る音に蕎麦殻であったことを知るのである。中にいい具合に空気が流通し、熱を取ってくれるのである。信州は蕎麦どころであっただけに蕎麦殻は身近なものであった。その頃は十五夜は知っていたが、十三夜などという言葉は知る由もない。「十三夜」「十六夜」などという雅びな言葉を知ったのはやはり俳句を始めてからのことである。俳句を通じて様々なことを学ぶことができたのは幸せであった。特に月の満ち欠けを原点とする旧暦で自然に見ることは日本人の歴史や生活を知る上で実に貴重な経験であった。さてこの句は「十三夜」の席題でできた句であったと記憶する。子供の頃の思い出と季語がうまく折り合ったのである。写生句を心掛けた時代の句だが、思い出が絡まったからか、抒情が濃い。

  
襟立しまま外套の吊るさるる


 私の子供の頃の男達は外出の折には皆一様にフェルト製の中折帽子を被っていたものだ。外套も今と違ってぶ厚く重いものであった。カシミアのような上等のものではなく、毛布の生地とあまり変わらないものではなかったかと思う。父、といえばフェルト帽と外套の姿を思い出す。開業医であった父の毎日は多忙であった。朝六時前には当日の診察を受ける番号札を取る行列ができていた。8時には診療が始まっており、夜診察が終ったあとも、急患が来たり、往診がある。また医療保険の請求書を作る事務がある。耳鼻咽喉科は一人当たりの点数が低く患者数が多いのである。そのため、酒好きの父であったが、夕食時に酒を口にすることはなかった。12時位にようやく仕事を終えて、コップ酒を呷って寝る。そんな日々であった。「襟立てしまま」に常に戦闘態勢にあった父の日常の緊張感を外套に重ねたものである。同時句に〈父の世の外套はみな重かりし〉もある。










  
        


 



銀漢の絵はがき


挿絵が絵葉書になりました。
Aシリーズ 8枚組・Bシリーズ8枚組
8枚一組 1,000円

ごあいさつにご利用下さい。



    


















掲示板













 
             

銀漢亭日録

伊藤伊那男


 5月

5月25日(木)
閑散。三輪初子さんと長さん。長さんから先日のプロボクシング村田の敗因など解説してもらう。

5月26日(金)
今日も閑散。「金星句会」あと6 人、など。

5月27日(土)
「纏句会」。ニューヨークから戻った月野ぽぽな、新潟「喜怒哀楽書房」の木戸敦子さんゲスト。木戸さんは句会の取材。武田、洋酔さん、体調不調で欠席。12人。鰹の叩き、鮎風干、桜海老の唐揚、握り、あと松代展枝さん宅でぽぽな歓迎会。超結社で20人位か。手製カラスミ持参。

5月28日(日)
宮澤、明朝よりロンドン行。大英博物館で発見された近松門左衛門の浄瑠璃の台本での英国公演の撮影と。信州の従兄弟から信濃毎日新聞の書評欄に私のエッセイ紹介されている、と電話あり。彗星集選評書いて7月号執筆終了。

5月29日(月)
閑散。種村さん他、漫画家4
人。

5月30日(火)
「雲の峰」同人会長、高野清風さん他5人。それに合わせて清人さんが海鞘、牡蠣などを気仙沼から取り寄せて振る舞う。「炎環」の洋平さん他5人、吟行の帰りに。奥で句会。中村宗男さん、皆川文弘さん、洋酔さん。

5月31日(水)
古書店主の佐古田、安村さん、エッセイ集の祝いにと日本酒届けて下さる。店、閑散。

6月

6月1日(木)
店の5月の月次表作成。昼、ヘアメイクの中川さん来宅。整髪してもらう。「十六夜句会」あと13人。松川洋酔さんゲスト。丁度洋酔さん誕生日にてお祝いの会となる。金井硯児さん、奥様と挨拶に来てくださる。入沢さん。

6月2日(金)
20時位まで閑散。そのあと何故か繁忙。「大倉句会」あとの15人も加わる。

6月3日(土)
倒産した金融会社時代の同窓会、3回目。17人集まって下さる。かれこれ15年ほど前の仲間である。15時から21時まで。皆の話は尽きない。来年の再会を約す。

6月4日(日)
「春耕同人句会」は休み、休養。ただしそのあとの高木良多顧問を偲ぶ会で中野サンプラザ。15階「リーフルーム」へ。献杯の役目。終了後、10名程で「炙谷」で二次会。

6月5日(月)
ランニングマシーン(RM)時速4・5キロで一時間。店、「銀化」の梅田津さん他、四人の会。「かさゝぎ俳句勉強会」あと12人など。

 6月6日(火)
駒ヶ根市長の杉本君、市町村会議で上京とて寄ってくれる。のりをさん。洋酔さん病院の帰りについつい……と。閑散。21時半閉める。

6月7日(水)
福永新祇さん「五人の会」奥で句会。岐阜の堀江美州さん、国会議員のTさん。発行所で「きさらぎ句会」あと10人。「宙句会」あと9人など。

6月8日(木)
「あ・ん・ど・うクリニック」。「大倉句会」五周年記念誌へ送る言葉千字程。14時、「春耕」中島八起氏の句集跋文を書くに当たって、新宿の喫茶店で打ち合わせ。店「極句会」あと11人。あと初参加の大住光汪君と「大金星」。大住君は伊那北高校同期。大病で俳句中断とあったが今日から復帰。

 6月9日(金)
大西酔馬君62歳の誕生会。超結社で25人集まる。水内慶太氏、たまたま来店した対馬康子さんなども。高部務氏「エッセイ集良かった」と来て下さる。高部氏はここ数年『新宿物語』などでデビューした作家。

 6月10日(土)
10時、運営委員会。武田編集長欠席。2週間前から大病の疑いあったが多分大丈夫という知らせに一同胸を撫で下ろす。13時より「銀漢本部句会」58人。あと「テング酒場」15人程。

6月11日(日)
終日家。『鷹羽狩行俳句集成』礼状。中島八起句集の原稿点検。昼寝、テレビなど。夜、桃子と酒。宮澤は明日ロンドンから帰国と。

6月12日(月)
発行所は校正作業、編集会議。店、「闇鍋の会」。森羽久衣さんが能登の水菜を持ち込み。それに合わせて各人色々な材料を持って参集10人。駒ヶ根市の大先輩、今井康之氏、私のエッセイ「実にいい!」と来店して下さる。氏は岩波書店の副社長迄やった人。

6月13日(火)
発行所、鳥居真里子さん句会へ貸し出し。店「火の会」6人。国会議員のT先生。水内慶太氏より月山筍沢山到来。

 6月14日(水)
発行所「梶の葉句会」選句。店、松山さん3人。水内慶太さん。閑散。

6月15日(木)
久々、赤羽良剛氏。京都の浦井さんの友人4人。「銀漢句会」あと21人。まずまず繁忙。

6月16日(金)
店「閏句会」10人。志峯さん学友と4人。

 6月17(土)
「銀漢亭 Oh! 納涼句会」、超結社で28人。5句持ち寄り。席題で3句、2句と楽しく過ごす。大量の酒が空に!

6月18日(日)
終日家。高校同窓会誌へ4句送る。中島八起氏の句集原稿最終点検と跋文5枚程書く。夕方、杏さん一家も来て父の日を労ってくれる。丁度到来した「下村本焼あなご 明石本店」の穴子焼、東北の海宝漬、甲府「かいや」の煮貝、月山筍などを楽しむ。

6月19日(月)
「演劇人句会」9人。22時過、閉めて「大金星」で1時間程飲む。

6月21日(水)
高校同期「三水会」5人。あとは閑散。21時過閉める。読売新聞の記者・10時さんから電話あり、『銀漢亭こぼれ噺~そして京都』の書評、小さなスペースだが日曜日に掲載と。こしだまほさんが本を手渡してくれたもの。

 6月23日(金)
8月号選句。花果さんの句集稿点検。朝、桃子が海老蔵の舞台に行くと。そのあと小林麻央さん逝去の報。テレビ見るとシアターコクーンの舞台が跳ね、客が退場する風景が映ったが、何と桃子が画面を大きく横切る。店、「白熱句会」(水内慶太、檜山哲彦、藤田直子、佐怒賀正美さん)。秋元孝之さんと奈良の三村一さん父子。

6月24日(土)
「纏句会」に10句預けて14時50分発の「のぞみ号」にて京都へ。「ホテルオークラ京都」に荷を解く。A氏ご夫妻に招待いただいた旅。18時にロビーに待ち合わせて、花見小路のお茶屋「一力亭」へ。京都在住のWさんも同行させてもらう。一力亭では30畳程の部屋。屋内も紅殻色。16歳の舞妓さん2人。芸妓さん2人などの接待。何とWさんの友人の娘さんが一力亭に嫁いでおり、挨拶に来た女将と話が弾む。3時間ほど別世界を楽しむ。料理は仕出し店「菱岩」から届くもので見事。「祇園小唄」や「蛍籠」の踊なども。皆と別れて「木屋町サンボア」。「竹鶴」2杯ほど。そのあと冷し中華を食べてしまったが、A氏には内緒にすることに……。

6月25日(日)
8時、ホテル17階「オリゾンテ」にて朝食。読売新聞の「本よみうり堂」欄に私のエッセイ集の短評あり、有り難いこと。9時半、個人タクシー細川さんが迎えに来て、皆で金戒光明寺〜崇道神社〜八瀬のかま風呂(河鹿を聞く)〜大原の建礼門院徳子陵〜三千院〜寂光院など巡る。京漬物「富川」に寄って本日の宿所「俵屋旅館」に入る。夕食は見事としか言いようのない品々。鮎、鱧など只言ではない。酒は「羽田酒造」の「俵屋」。











           
△『漂白の俳人・井上井月』伊藤伊那男著
          
  
    






今月の季節の写真/花の歳時記



2017年8月27日撮影   秋海棠  TOKYO HACHIOJI




花言葉
    「片思い」   
  
        
△秋海棠
戸時代の初め(1624~1643年)に日本に渡来したといわれます。秋を象徴する花で「秋海棠」。ベゴニアの仲間で海棠とはまったく別の花で、ベゴニアの中では、日本で屋外で生育する唯一の種です。

今月の紹介した花々・・・・・。
釣船草/.北軽井沢 藤甘草/.北軽井沢 京鹿子/.北軽井沢 姫檜扇水仙./北軽井沢 姥百合./北井軽沢
   
背高泡立草/北軽井沢 狐の剃刀/八王子 槐/八王子  秋海棠/八王子  
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写真は4~5日間隔で掲載しています。 




2017/8/27 更新



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