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 5月号  2017年

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伊藤伊那男作品


主宰の八句

雪解風        伊藤伊那男

初午の風にあづける火伏凧
野火走り黄泉のとば口あらはにす
野火長けて嬥歌(かがい)の山をけぶらする
雪解風校歌の山の高きより
校門の脇残雪の山積みに
春の野に来て童謡のおのづから
塔の影途切るるところ春の野に
白魚を溺れさせたる溶き卵










        
             


今月の目次








銀漢俳句会/5月号













   



銀漢の俳句 

伊藤伊那男 

◎高遠のこと
 銀漢高遠句会が声を掛けて下さり、三月中旬の連休に伊那を訪ねた。ここ数年井上井月の事蹟を調査執筆したこともあり、高遠には愛着がある。この藩の歴史で特筆すべきことをいくつか挙げてみる。まずは徳川三代将軍家光の実弟保科正之である。その父である二代将軍秀忠の正妻は、織田信長の妹、お市の方の遺児お江の方であるが、恐妻家の秀忠は別腹の子の存在を隠したまま死んだ。その後家光が弟の存在を知り、高遠藩主にしたのである。正之はその血縁に加えて行政能力の高さを認められ、会津藩主に栄進していく。幕末、井上井月が伊那谷に来た同時代に藩校進徳館で学んだ俊英に伊沢兄弟がいる。兄修二は東京音楽学校(現・東京藝術大学)の創設者、また東京高等師範学校(現・筑波大学)の初代校長でもあった。弟の多喜男は警視総監、枢密院顧問官などを歴任した。教育レベルが高かったのである。
 さて私は短歌を覚えるのが苦手である。五七五までの俳句は頭に入るが、七七の増える短歌を記憶するのがどうにも難しいのである。今更ながら子供の頃、百人一首に馴染まなかったのが不覚であった。その私だが、高遠を詠んだ次の二つの短歌は今も口遊むことができる。

 
たかとほは山裾のまち古きまちゆきあふ子等のうつくしき町   田山 花袋
向う谷に陽かげるはやし此山に絵島は生きのこゝろ堪へにし   今井 邦子


 花袋の歌には高遠町民は誇りに思っていい。その折花袋は絵島の墓を訪ねたが、住職もその墓の位置が不明であったことを嘆いた記述を残している。邦子は徳島出身の歌人だが伊那歌壇に影響を与えた人だ。さて絵島のことである。大奥女中筆頭の絵島は芝居見物に現を抜かし、役者の生島新五郎との艶聞が発覚し、風紀紊乱の罪で高遠に流された。新五郎は三宅島遠島である。その事件には時の政争政略が絡んだともいわれ、また一説には絵島は月光院の罪を背負ったともいわれる。ともかく絵島は二十八年間、世間から隔離された状態でこの地で亡くなった。享年六十一歳であった。
 高遠は武田信玄と諏訪氏の息女との間に生まれた仁科五郎信盛が城主となった。信玄亡き後の織田信長の甲府進撃に果敢に対峙して全滅した。高遠城址は今、日本有数の桜の名所となったが、その激戦に散った血潮が桜に移ったために紅が濃くなったのだという巷説を残している。もうすぐその桜が咲く頃である。














 



  

盤水俳句・今月の一句

伊藤伊那男



新樹の香ひとしほ帰山の御仏に      皆川 盤水
 
 
日野の「高幡不動」二句の一つ。先生の句碑のある郷里いわきの赤井嶽常福寺の上野頼栄貫主との縁で、同門の高幡不動の川澄祐勝貫主との知遇を得て、毎年の春耕新年俳句大会をこの寺で開くようになった。フジテレビの朝のバラエティ番組の俳句講座もこの寺の境内が舞台であった。そうした縁から句碑を建立し、墓もここに定めた。句はご本尊の丈六の不動尊像が京都での修復を終えて帰山したことを言祝いだもの。「ひとしほ」が滋味。
                               (平成14年作『山海抄』所収)











  
彗星集作品抄
伊藤伊那男・選

雪解やオイルのにほふ納屋開く       森濱 直之
モンブランにインク吸はすも筆始め     坪井 研治
西行庵霞隠れのその奥に          武田 禪次
記憶さへ溶け出してゆく朧かな       伊藤 政三
筑波嶺を焚き上げてゐる野焼の()      武田 禪次
公魚の釣糸八ヶ岳(やつ)を真つ二つ        萩原 空木
綾取りの梯子大きく春障子         松代 展枝
幾度もおのが身を嗅ぐ野焼あと       小田島 渚
比良比叡大きく見せて雪催         中島 凌雲
焦げ臭きやから酌み合ふ野焼あと      伊藤 庄平
田遊びや松の小枝の稲を刈る        畔柳 海村
海光に点々と散る浮寝鳥          播广 義春
女正月母へたのもし講の籤         武田 花果
胃ろうの胃当てて験ある年の豆       萩原 空木
雛僧のつつむ五色の涅槃餅         桂  信子
横丁は昭和の灯り春みぞれ         有賀 稲香
オルガンの鳴らぬ一音春寒し        小山 蓮子















       








彗星集 選評 伊藤伊那男

 

雪解やオイルのにほふ納屋開く      森濱 直之
いよいよ農作業の始まりである。冬の間閉ざしていた農具小屋を開くと、ふっと機械油が匂ったというのである。耕耘機や在庫の缶に付着していたものであろう。遠嶺には残雪が光り、野川の水は勢いを増す。そうした万物の動きまでが感じられるのである。早春の活力である。
 
 モンブランにインク吸はすも筆始め   坪井 研治
もともとは書や絵の筆(・)を指す季語だが、現代は万年筆でもボールペンでも、年の始めに書くことが包括される。現代の書初である。句にはカタカナ文字が二つ入っているが、これも現代である。モンブランの万年筆はカートリッジ式もあるが、吸い上げるものが一般的である。私も二本のモンブランを使っているだけに、この句の実感は深い。

 
西行庵霞隠れのその奥に         武田 禪次 
 吉野は標高を追って下中奥と呼ばれる。西行庵は一番上、つまり奥千本に位置する。その分霞も深いのである。地位も妻子も全てを投げ捨てた西行は謎も多い。「霞隠れ」の措辞で、吉野だけでなく、西行法師の人物像にも思いが及ぶ仕掛けである。

 
記憶さへ溶け出してゆく朧かな      伊藤 政三
 広辞苑を引くと「朧」は、はっきりしないさま、ほのかなさま、薄く曇るさま、ぼんやり、ほんのり、朦朧、などとある。俳句ではもう少し情緒が濃く、心象風景に立ち入った使い方をされることが多いようだ。この句なども天文時候などのジャンルを超えた心のありように深入りしていているのである。

筑波嶺を焚き上げてゐる野焼の()     武田 禪次
 前にも記したが、「初」を付けて詠んでもいい山は、富士、比叡、筑波の三山である。各々都から見える姿のよい山だからである。筑波は標高千メートルに満たないが、深田久弥の『日本百名山』にも選ばれており、「野焼」などの取合せを見ると、読者の胸にはおのずから嬥歌の故地であることも懐しく思い起こされるのである。「焚き上げている」の措辞が句の景を大きくしている。なお、「野焼」なので「()」は省いて「野焼かな」という方法も。あるいは「野火の舌」などとすることも参考に。
 
公魚の釣糸八ヶ岳(やつ)を真つ二つ       萩原 空木
私の子供の頃は諏訪湖は毎年のように結氷していた。その氷に穴を穿ち公魚を釣るのである。釣糸によって真向いの八ヶ岳の連山が真二つに分けられたという。公魚釣の細い糸と壮大な八ヶ岳を組み合わせて視覚に訴えた秀句。 

 
綾取りの梯子大きく春障子        松代 展枝
 「綾取り」はほぼ忘れられた遊び。春障子で決った。

 幾度もおのが身を嗅ぐ野焼あと     小田島 渚
  野焼の焦げ臭さがいつまでも纏わる様子が如実だ。

比良比叡大きく見せて雪催        中島 凌雲
湖西の狭い山麓に行くとまさにこの景が実感。 

焦げ臭きやから酌み合ふ野焼あと     伊藤 庄平
  「やから」の措辞が面白い。獣臭さも交っている雰囲気。

田遊びや松の小枝の稲を刈る       畔柳 海村
 松の枝を稲に見たてた田遊行事の一景。豊作の予祝。

海光に点々と散る浮寝鳥          播广 義春
海照りの中の浮寝鳥。鮮烈な光の交錯を捉えている。 

女正月母へたのもし講の籤        武田 花果
 頼母子講(無尽講)は今もある。女正月の取合せが味わい

 
胃ろうの胃当てて験ある年の豆      萩原 空木
 年の豆を食すことができない。深刻さを淡々と詠む。

雛僧のつつむ五色の涅槃餅        桂  信子
能登総持寺から戴いたことがある。雛僧の作業がいい。 

横丁は昭和の灯り春みぞれ        有賀 稲香
東京の横丁も次のオリンピックまで残るかどうか? 

オルガンの鳴らぬ一音春寒し       小山 蓮子
 もう使わないオルガン。子供が育った後か。
 

今回は20句を選ぶことができなかったのが残念である。自分への挑戦と思って、月に2句、渾身の句を送ってほしい。 

 
           











  


銀河集作品抄

伊藤伊那男・選

父の手が雨降らすやう豆を撒く      東京  飯田眞理子
早梅や音に硬さの水車小屋        静岡  唐沢 静男
大小に寝転びし跡犬ふぐり        群馬  柴山つぐ子
日脚伸ぶ父の画帳の薄埃         東京  杉阪 大和
魚河岸の糶の声もて鬼やらひ       東京  武田 花果
猪鍋に血肉たまはる山詣         東京  武田 禪次
最澄の山嫋嫋と除夜の鐘         愛知  萩原 空木
三味線草膝折りてきく土のこゑ      東京  久重 凜子
初午へふらと降りたる王子駅       東京  松川 洋酔
たんねんに梳く馬術部の年用意      東京  三代川次郎
寒灯へ母を残して去る故郷        埼玉  屋内 松山



   
   








綺羅星集作品抄

伊藤伊那男・選 

初天神筆は形のまま灰に         東京  我部 敬子
豆雛の坐るも立つも盆の上        高知  神村むつ代
パソコンに棲みたる魔物初掃除      東京  渡辺 花穂
鎌倉の谷戸へ我が身へ豆を打つ      東京  村田 重子
願ひそびれしを末社に初詣        岐阜  堀江 美州
三度目はただ念押しに麦を踏む      東京  島谷 高水
二月礼者帰国報告兼ねにけり       東京  白濱 武子
揺れもせで静かな炎菊を焚く       大阪  末永理恵子
重さうな成人の日のつけ睫        東京  宮内 孝子
余寒なほ二二六といふ日付        東京  伊藤 政三
梟や木の虚は木の大き耳         宮城  小田島 渚
能面の号泣を聞く梅若忌         東京  桂  信子
日の当たる方が表や山笑ふ        東京  柊原 洋征
乙字忌の一本締で締むるべし       長野  髙橋 初風
失はれし音のひとつに羽子の音      神奈川 谷口いづみ
絵踏とや無音の海が知る外史       東京  沼田 有希

身の幅の風を纏ひし孕鹿         東京  相田 惠子
藍深き海の黄昏良寛忌          宮城  有賀 稲香
積雪や荷を積む深き馬橇あと       東京  有澤 志峯
一滴に七色雪解雫かな          東京  飯田 子貢
遠富士や瑞垣の茶が咲きそろひ      静岡  五十嵐京子
廻りくる燈台の灯や水仙花        埼玉  池田 桐人
火の色を入日に譲り野焼終ふ       埼玉  伊藤 庄平
しんがりのあやふやとなる探梅行     神奈川 伊東  岬
二月の落第横丁風つのる         東京  上田  裕
思ひ出は長命寺までさくら餅       埼玉  梅沢 フミ
寒柝の川向かうにもこちらにも      東京  大西 酔馬
みちのくや賢治の星を閉づ氷柱      神奈川 大野 里詩
地図になき村の野川の雪解かな      埼玉  大野田井蛙
水あればいづこも氷る秩父かな      東京  大溝 妙子
大盃てふ名の紅梅の咲き挙る       東京  大山かげもと
難しき飛の書き順や鳥雲に        東京  小川 夏葉
鰭切られ鮫は丸太に気仙沼        埼玉  小野寺清人
芦ノ湖のさざ波春の譜のごとく      神奈川 鏡山千恵子
卒寿はや三寒四温つつがなく       東京  影山 風子
探梅や記憶の母と歩むかに        和歌山 笠原 祐子
しつとりと重たし雪国の蒲団       東京  梶山かおり
紙を漉く水の重さの変はりをり      愛媛  片山 一行
説法もまた胸に落つ節分会        長野  加藤 恵介
七福神詣三越まで入れて         東京  川島秋葉男
泥つきの足傷なめて恋の猫        長野  北澤 一伯
涅槃西風銹の激しき父の鍬        神奈川 久坂衣里子
初富士を呼び止めらるるごと仰ぐ     東京  朽木  直
冬晴の五山の甍実朝忌          東京  畔柳 海村
車内みな富士を見てゐる初電車      神奈川 こしだまほ
濃き日差し部屋に招きて布団干す     東京  小林 雅子
折れ蓮の凭れあふまま枯れ尽す      東京  小山 蓮子
接待の大きな薬缶島遍路         長崎  坂口 晴子
久女忌の編糸からむまま暮るる      千葉  佐々木節子
床の間の軸の巻き込む余寒かな      長野  三溝 恵子
野兎の一跳躍や逃げおほす        東京  島  織布
黒潮は深き闇かな雛流し         兵庫  清水佳壽美
墨堤に子規住みし家桜餅         東京  新谷 房子
手ちぎりの餅の花咲く白川郷       東京  鈴木 淳子
撫牛の撫でられ通し初天神        東京  鈴木てる緒
束の間の晴の一日や女正月        東京  角 佐穂子
ととのはぬ顔の呼び込む福笑ひ      東京  瀬戸 紀恵
初蝶や影重ねたり離れたり        神奈川 曽谷 晴子
旧正の墓参かなはず祖に詫ぶる      愛媛  高橋アケミ
田遊びの十畳ほどの「もがり」かな    東京  高橋 透水
木の駅舎木の長椅子のひなたぼこ     東京  武井まゆみ
宇陀の丘かヘリ見すれば風花す      東京  多田 悦子
冬萌や野にかへりたる城の跡       埼玉  多田 美記
初富士を双眼鏡で目の前に        東京  田中 敬子
ぬかるみに足を取らるる義仲忌      東京  谷岡 健彦
犬小屋の松もはづして松納        東京  谷川佐和子
半纏に焦げ跡加へ野焼果つ        東京  塚本 一夫
散髪は少し短め春隣           愛知  津田  卓
亡き友のままの表札四温光        東京  坪井 研治
駆け廻る迷彩色も富士野焼        埼玉  戸矢 一斗
吹き晴れて高嶺に星や鬼やらひ      神奈川 中川冬紫子
梅林のいづくともなく盛りなり      大阪  中島 凌雲
かもしれぬ星の雫といふ樹氷       東京  中西 恒雄
小正月子が子を連れて親許へ       東京  中野 智子
盆梅を育てて一世路地の人        東京  中村 孝哲
七人の敵に背を向け炬燵かな       茨城  中村 湖童
勝ち独楽の風格といふ傷の数       埼玉  中村 宗男
獅子舞の鬣いつぱい見得を切る      東京  西原  舞
あをによし奈良の伽藍の犬ふぐり     東京  橋野 幸洋
亡き人を偲ぶよすがの梅真白       神奈川 原田さがみ
円墳に水禽羽を広げをり         兵庫  播广 義春
山眠る眠らぬ水車ふところに       東京  半田けい子
写楽絵の目鼻違へて福笑         東京  保谷 政孝
弾帯に空の薬莢猟期果つ         東京  堀内 清瀬
日脚伸ぶ舟のかたちに赤子抱き      東京  堀切 克洋
追ふ風と追はるる風と探梅行       埼玉  夲庄 康代
苗売の急かされてゐる雨粒に       東京  松浦 宗克
臘梅の一歩離るるとき匂ふ        東京  松代 展枝
帰りたくなき放課後のしやぼん玉     神奈川 宮本起代子
鷹鳩と化す日ぞ抗癌終薬日        千葉  無聞  齋
雫みな陽を撥ね返す雪解かな       東京  村上 文惠
探梅や古寺を遥かに望みつつ       東京  村田 郁子
隠し湯は信玄ゆかり梅開く        千葉  森崎 森平
探梅や少し隙間のあるリュック      東京  森 羽久衣
島々の輪郭ゆるび春隣          埼玉  森濱 直之
春隣解けぬ知恵の輪あと二つ       愛知  山口 輝久
寒晴や摂社末社の千木の削ぎ       東京  山下 美佐
山がつの銃の手入の猟名残        群馬  山田  礁
風花の行きどころなき吹かれやう     東京  山元 正規
加齢とや猫背となりし日向ぼこ      神奈川 吉田千絵子
裏山をひと廻りして梅探る        愛媛  脇  行雲



















     







銀河集・綺羅星今月の秀句

伊藤伊那男

早梅や音に硬さの水車小屋        唐沢 静男
野水仙日陰に咲くは透くやうに
 両句共季語である植物をよく観察した句である。一句目は取合せの句。水車小屋を配しているのだが、「音に硬さ」に作者の主観が厳然としてある。その頃の空気、季感を水の硬さで捉えて過不足が無い。二句目は野水仙だけを詠んだ一物仕立ての句。写生句なのだが「透くやうに」にやはり作者の厳然たる主観がある。「物」をしっかりと詠めば、つまり作者の眼と心を通して言葉になれば、写生をしただけであっても、独自の主観が入る。その好例である。


たんねんに梳く馬術部の年用意      三代川次郎
道切りの紙垂高々と年用意
「年用意」をテーマにした二句である。一句目は一般の年用意の概念とは異なる場面で意外性がある。正月休みに入る前に馬術部員が馬の世話をする。しばらく会えない部員もいるので常よりも丁寧に見えたのであろう。そのような作業を「年用意」と見たところが発見である。二句目は古典的な作風で詠み手にとっても安心感がある。「道切り」とは悪霊の侵入を防ぐため村境などに注連(しめ)を張る習俗で、「紙垂(しで)」は注連に垂れ下げるもので神への供えである。今も関西などに残る風習。「高々と」に新年への清浄な祈りが捉えられているのである。 

 

初天神筆は形のまま灰に         我部 敬子
「初天神」は正月25日、天満宮の初縁日である。菅原道真の霊を鎮めるのが発祥だが、その後学業成就の神様となった。この句はその境内で筆のお焚き上げを行っていたのであろう。使い古した筆を感謝をこめて納め浄火に委ねる。その筆が焚き上げた後にも、その灰が筆の形を保ったまま残っているというのである。目配りの効いた、発見の句である。 


豆雛の坐るも立つも盆の上        神村むつ代
木か土でできた小さなお雛様が盆の上に飾られている。正座した雛もあれば立雛もある。だが「坐るも立つも」と言われると、一つの雛が立ったり坐ったりするような面白さが生じて、そこがこの句の味わいである。ちなみに「坐る 座る」の違いは室内は「座る」、野外は「坐る」である。「广」は家であり、庇である。同時出句に〈川風のはりまや町に針供養〉も印象深い句だ。よさこい節にある播磨屋橋の逸話に読者を誘い込むのである。 


  

パソコンに棲みたる魔物初掃除      渡辺 花穂
 私はパソコンが操作できず原稿は手書きで編集部に迷惑を掛けている。その替りトラブルを知らない。様々な魔物が棲んでいると聞く。その初掃除をするという現代の日常を捉えた句である。「パソコン」という和製外来語もそろそろ俳句用語として容認された、ということになろうか。同時出句の〈読みかけの絵本そのまま初昔〉〈観音のことさら長き手に淑気〉なども正月の季語を駆使し、「そのまま」「ことさら」など、洗練された言葉の斡旋である。


 鎌倉の谷戸へ我が身へ豆を打つ     村田 重子
 「鎌倉」の固有名詞がよく響いた句である。谷戸は「やと」とも「やつ」とも読むが、正式には「扇ヶ谷(やつ)」「比企ヶ谷(やつ)」など「谷」だけで「やつ」と読む。ただし俳句では混乱を避ける意味もあり、「谷戸」を使うが、私は容認派である。さて句は我が身だけでなく谷戸全体にまで豆が及ぶ、というところが眼目。それによって谷戸の狭さなど鎌倉の地貌が鮮明に浮かび上がるのでる。

  

願ひそびれしを末社に初詣        堀江 美州
新年、いつもの神社に詣でたものの、願い事の一つを忘れてしまった。また戻るわけにもいかず、近所の末社にお願いをしたというのである。「末社に」の発想が俳諧味である。字足らずのように見えるが、数えると句またがりで十七音を守っている。このあたりも句の面白さを増幅させている技倆である。


三度目はただ念押しに麦を踏む      島谷 高水
 霜で根が浮き上がるのを防ぐために早春麦の芽を踏みしめる。そのあともう一度。さらに三度目がこの句である。この頃になると点検を兼ねての作業のようである。「ただ念押しに」の表現が実にうまいところである。

その他印象深かった句を次に
  

二月礼者帰国報告兼ねにけり       白濱 武子
揺れもせで静かな炎菊を焚く       末永理恵子
重さうな成人の日のつけ睫        宮内 孝子
余寒なほ二二六といふ日付        伊藤 政三
梟や木の虚は木の大き耳         小田島 渚
能面の号泣を聞く梅若忌         桂  信子
日の当たる方が表や山笑ふ        柊原 洋征
乙字忌の一本締で締むるべし       髙橋 初風
失はれし音のひとつに羽子の音      谷口いづみ
絵踏とや無音の海が知る外史       沼田 有希






           

 
 





 
星雲集作品抄
伊藤伊那男・選

秀逸

小さき島小さきマリアの踏絵かな     神奈川 水木 浩生
リノリウムの床の隅々まで余寒      東京  今井  麦
春泥の轍をこはしゆく轍         東京  宇志やまと
寒鴉声出すときの尾に力         東京  大沼まり子
亡き母の言葉編み込む太毛糸       神奈川 栗林ひろゑ
さびしさの形に脱がれ白セーター     東京  竹内 洋平
梅が香に風向き変はる兆しかな      東京  辻  隆夫
鯉はねて放生池の水温む         埼玉  大澤 静子
冬温し漱石好みの洋食屋         神奈川 小坂 誠子
富士望む終の住処や牡丹の芽       東京  須﨑 武雄
初夢のために眺むる来迎図        東京  福永 新祇
木道の湿り仄かに蕗の薹         神奈川 上村健太郎
レプリカも心に重き絵踏かな       愛知  星野かづよ
早春や箱根細工は山路いろ        埼玉  萩原 陽里
大股に進みくるなり年の暮        東京  浅見 雅江

春浅し追加の電話石油二斗        静岡  小野 無道
春眠し起き上らねば寝たきりに      広島  竹本 治美
喰積の同じ枡より減り始む        神奈川 福田  泉
なつかしや諏訪の公魚売の声       長野  守屋  明
猫のぞく見合ひの席の春障子       東京  秋田 正美
生卵一息に飲み大試験          埼玉  秋津  結
雉鳴くやけたたましくも凜として     神奈川 秋元 孝之
豆撒きや重き板戸の奥の闇        神奈川 有賀  理
たたなはる剣山の峯は春の雪       愛媛  安藤 政隆


   






星雲集作品抄


将棋さす一張一弛日脚伸ぶ        東京  井川 敏夫
野焼跡早やも五日後新芽出づ       東京  生田  武
盆梅を並べてけふの日差しかな      高知  市原 黄梅
富嶽へと続く小窓や初暦         東京  伊藤 真紀
節分や焙烙鍋に入りし罅         神奈川 伊藤やすを
春の川音立て濁世清めけり        愛媛  岩本 昭三
安曇野の焼野を回る鳶かな        東京  浦野 洋一
二つ三つ鉢に余白の節分草        埼玉  大木 邦絵
故郷のそろそろ梅の便りかな       群馬  岡村妃呂子
覚えなき疵一つある余寒かな       東京  岡本 同世
春宵のともし灯淡き川魚屋        京都  小沢 銈三
枯秩父鳶舞ふ空を高めけり        埼玉  小野 岩雄
蝦蟇油売る口上や初戎          静岡  金井 硯児
いぬふぐり跳び越して踏むいぬふぐり   神奈川 上條 雅代
雪解川飽かず眺めて河童橋        東京  亀田 正則
繭玉にいい按配の枝垂れかな       長野  唐沢 冬朱
父の糸子へ手渡して凧日和        神奈川 河村  啓
神鹿に陣を敷かるる梅見かな       愛知  北浦 正弘
集ふ度病気自慢や日脚伸ぶ        神奈川 北爪 鳥閑
弁当に母のカツあり大試験        東京  絹田 辰雄
冬凪や舟板に干すふかの鰭        和歌山 熊取美智子
葉隠れの柚子の実探す冬至かな      埼玉  黒岩  章
受験子の見上ぐる先の時刻表       群馬  黒岩 清女
寒蜆鋤簾の底の黄土色          愛知  黒岩 宏行
暁の遠富士拝む御慶かな         東京  黒田イツ子
春浅き渚に鷗の羽づくろひ        神奈川 小池 天牛
木々の影壁にこまごま春隣        東京  小泉 良子
春立つや南天の葉に光り受け       群馬  小林 尊子
先駆けの踊り子のやう猫柳        神奈川 阪井 忠太
火柱の空に踊れるどんど焼        長野  桜井美津江
節分会響き動めき豆躍る         東京  佐々木終吉
立春の踏み出す一歩万歩へと       群馬  佐藤 栄子
シャンプーの花のかほりや春浅し     群馬  佐藤かずえ
ひとまはり大きくなる子チューリップ   群馬  佐藤さゆり
陣取りの陣地にありぬつづみ草      東京  島谷  操
春立つやとどまる雲とゆく雲と      東京  清水美保子
六年を経しみちのくや余寒なほ      埼玉  志村  昌
店番のテレビ見てゐる置炬燵       神奈川 白井 憲治
志望校五つある絵馬あたたかし      千葉  白井 飛露
富士拝み古希を迎へし冬の朝       神奈川 鈴木 照明
囲炉裏辺の鴨居遺影と表彰状       群馬  鈴木踏青子
凧揚げて昔の空の広さかな        愛知  住山 春人
春死なむふと諳じる西行忌        埼玉  園部 恵夏
初暦壁に見つけし染みひとつ       東京  田岡美也子
雪形や山寺こけし継ぎ手なく       山形  髙岡  恵
囀りのひとつところに落ち着かず     東京  髙城 愉楽
地吹雪を云ふ弟の庄内弁         福島  髙橋 双葉
まち針の色の林立針供養         埼玉  武井 康弘
大寒のパン一枚の温かさ         三重  竹本 吉弘
初天神御参りあとの船橋屋        神奈川 田嶋 俊夫
期待せし事もなけれど春を待つ      東京  田中 寿徳
渚まで黒き砂浜島椿           東京  田中  道
譲られし席のぬくもり春隣        神奈川 多丸 朝子
春寒し付箋だらけの単語帳        東京  辻本 芙紗
盆梅の手に成る枝と意の枝と       大阪  辻本 理恵
五十年はあつと言ふ間の春暖簾      東京  手嶋 惠子
警策の音に木の芽の奮ひ立つ       神奈川 中野 堯司
江ノ電や視線の先に春の海        神奈川 長濱 泰子
便り待つポスト空つぽ梅かをる      大阪  永山 憂仔
公魚の木の葉の如く釣られけり      神奈川 萩野 清司
麦踏の一畝ごとに雲変はる        東京  橋本  泰
一茶忌の厠を照らすネオンかな      広島  長谷川明子
背を風に押されて行くや春一番      東京  長谷川千何子
嚙み合はぬ会話の続く日向ぼこ      神奈川 花上 佐都
豆撒くや手分けして子の部屋までも    長野  馬場みち子
吾子遠し仕舞ひ込みたる福笑ひ      東京  福原 紀子
独楽立つて極彩色に変じけり       東京  藤田 雅規
梅東風や風鐸の舌揺るるのみ       東京  星野 淑子
岬道はざ大根の屛風かな         神奈川 堀  英一
花挿しの水も氷れる秩父かな       東京  牧野 睦子
天青を余白に入れる梅の枝        神奈川 松尾 守人
満面の笑みが語りし初桜         神奈川 松村 郁子
日脚伸ぶ漁網並べし浜の道        京都  三井 康有
節分の一人二役演じけり         東京  宮﨑晋之介
街角のコーヒーの香に春兆す       東京  宮田 絹枝
浮寝鳥ふくらむ潮の揺籃に        広島  村上 静子
竜天に登る夢見し幾たびも        東京  八木 八龍
さみだるる両国橋やもやひ舟       東京  家治 祥夫
節分や心新たに靴磨く          東京  保田 貴子
立春の陽射しと訪ひぬ母の家       群馬  山﨑ちづ子
豆まきの声の膨らむ成田山        東京  山田  茜
海風やかたへに寄りし野水仙       静岡  山室 樹一
注連縄を燃しし灰を賜れり        高知  山本 吉兆
背筋伸ぶ湯島の梅は五分咲きに      群馬  横沢うだい
嬰児の昼寝に届く春日かな        神奈川 横地 三旦
金縷梅の花いぢらしく金釘流       神奈川 渡辺 憲二
初暦めくれば烏兎の矢の如し       埼玉  渡辺 志水
三寒の寄せ植ゑじつと四温待つ      東京  渡辺 誠子
時忘れ蓬つみつつ四方山を        東京  渡辺 文子






      










星雲集 今月の秀句

伊藤伊那男

小さき島小さきマリアの踏絵かな    水木  浩生
 五島列島などを念頭に置いた想像句なのであろう。こういう季語の句であるから臨場感を持たせた作り方はそもそも無理なことであり、このように遠いまなざしで歴史を逍遙する詠み方の方が合っているようである。句は「小さき」のリフレインが「むかしむかしあるところに……」という雰囲気を醸し出すのである。名も知れぬ島の名も知れぬ村人達にまで及んだ「踏絵」の歴史がさざ波の音を伴って伝わってくるようにも思われる。

リノリウムの床の隅々まで余寒     今井  麦
病院や役所、学校など公共の建物が想像される。部屋も廊下も広く、天井も高いのであろう。どこか無機質な空間である。立春も過ぎているのに、残っている寒さ。「リノリウム」の斡旋で寒さがいやが上にも増幅するのである。特異な素材を用いて感覚の鋭さを見せた。同時出句の〈かりんとうの中の隙間や冬うらら〉も独自の発想で、類例が無い。各々直情の表白を避けて「物」だけを詠もうとしたのが成功の秘訣であろう。それにもかかわらず、作者の個性が歴然として顔を出すのである。 


春泥の轍をこはしゆく轍        宇志やまと
 春泥の道を一台の車が通り車輪の跡を残していく。次の一台が通り、前の車とは少しずれた位置に轍を残していくのである。毎回新しい轍ができていく。その果ての無い繰り返しを詠んだ珍しい句である。


寒鴉声出すときの尾に力        大沼まり子
 寒鴉という季語の本意に迫った句である。他の季節と違って寒鴉の孤高の趣きが詠み取られているのである。「尾に力」の措辞に常よりも引き締った声が想像される。同時出句の〈側溝の水の暗さへ雪下す〉〈メレンゲの立ち加減良き木の芽時〉も佳品である。


亡き母の言葉編み込む太毛糸      栗原ひろゑ
 「言葉編み込む」が巧みである。それも「毛糸かな」でなく「太(●)毛糸」と言ったことで、おのずからその母上の性格にまで思いが及ぶのである。句のうまさはこのような所に出るものだ。同時出句の〈文楽の遊女肩より泣きて雪〉〈香合の雛が寄り添ふ二畳半〉などにも、何とも上質の抒情が響く。


レプリカも心に重き絵踏かな      星野かづよ
レプリカとは「模造品、複製品」である。そっくりに作った贋物。だがそれでさえ心に沁み渡るものがある、というのである。そもそも「踏絵板」そのものが絵や彫物であり、神そのものではない。それでも躊躇する人間の心理があり、この句はそこを深く突いたのである。レプリカの絵踏‥‥この発想を称えたい。 


早春や箱根細工は山路いろ       萩原 陽里
箱根細工は箱根に自生する様々な木材を組み合わせるもので、木肌は黄色から黒までの微妙な色の違いがある。句にあるようにいずれも箱根の土の色である。土から生まれた木の色である。まだ芽吹き前の季節であり、全山が箱根細工の色であることも解る。 


春眠し起き上らねば寝たきりに     竹本 治美
何ともおかしく、かなしい句である。春眠暁を覚えずーーというが、そんなに寝ていると「寝たきり」状態になってしまうぞ、と自戒を呟くのである。 


春浅し追加の電話石油二斗       小野 無道
春になってからの時候の季語に「冴返る 凍返る 寒戻る」「余寒 残る寒さ」「春寒し 寒き春 春寒 料峭」などがあるように、春という安心感を持った後だけに、ことさら寒さが身に沁みるのである。そのころ「石油二斗」の追加注文をする。「二斗」がリアルである。 


なつかしや諏訪の公魚売の声      守屋  明
私と同郷の人の句である。海の生魚が来ない時代、時に冬の公魚などは貴重であった。伊那谷では獲れず、諏訪湖の氷を穿った穴釣りものである。このような売声を確かに聞いた記憶を思い出す。 

  

その他印象深かった句を次に。

喰積の同じ枡より減り始む       福田  泉
富士望む終の住処や牡丹の芽      須﨑 武雄
冬温し漱石好みの洋食屋        小坂 誠子
梅が香に風向き変はる兆しかな     辻  隆夫
さびしさの形に脱がれ白セーター    竹内 洋平




















銀漢亭こぼれ噺



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2017/4/17 発売されました。
 





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 仕事で接した京都、
京都生まれの妻と結婚してからの京都、
俳句を始めてからの京都、
妻を亡くしてからの京都・・・・・。
京都は味わいも深みも変化させながら、
いつしか喜びと悲しみの交叉する街となってきた。
「京都」を軸に、人生と俳句について綴った
著者はじめての自伝的エッセイ。



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伊那男俳句  


 伊那男俳句 自句自解(17)
          
  
量らるるとき寒鯉のしづかなり


 昨年の自句自解(7)に〈筒切りの鯉肥えてをり蔦紅葉〉の句について述べた。その他にも鯉の句は何句かあり、それだけ信州人の私には親しみのある魚である。鯉は魚屋で水槽に泳いでいるものを目の前で潰してもらって買うものである。「俎の鯉」という諺があるが、網で掬い上げて秤に載せたり俎に置くと、その一瞬静かになるときがある。諺は「相手のなすがままに観念する」という意味だが、実際はそんなことはなく、一瞬自分の置かれた場所がどこであるのか解らずに戸惑った状態ではないかと思う。すぐに尾鰭で俎を叩いて跳ねるので、その前に鰓の下に包丁を入れて止めさすのである。寒鯉は特に身も引き締まっている上に、たっぷりと脂をためこんでいるので珍重される。私
は何といっても味噌汁にする「鯉濃(●ルビ こいこく)」が好きである。ある時、前日に諏訪湖で揚ったという大鯉が濡らした新聞紙に包まれ届いたが、まだ生きており、その生命力の強さをまざまざと知った。

 
 東雲に一抹の朱や鷹渡る


 職場の鳥好きの後輩に誘われて日本野鳥の会に入っていた時期がある。特に鳥に興味があったわけではないが、会費が少しでも鳥の保護に役立てばと思ったからである。その友人と渥美半島の先端、伊良湖岬へ鷹狩りを見に行ったことがある。中部地方の鷹類がこの岬に結集し、体力を養いつつ風を待つのである。その時期、鳥好きの人々が集まり、写真を撮ったり望遠鏡で渡りの数を確認したりする。対岸の鳥羽あたりにも飛来を待つ愛好者が待機しているという。芭蕉の句に〈鷹一つ見付けてうれしいらご埼〉がある。句だけ見ると何ともつまらないのだが、米相場で不正を働いた咎で所払いとなった愛弟子の杜国を訪ねてその再会を喜んだ挨拶句であることを知ると俄然味わいが違ってくるのである。
 結局その旅では風が強すぎて鷹柱を見ることができなかった。しかし先達役の鷹が風向きや風力を確認するために度々舞い上がったりと、鷹の気配を全身に感じることができた。









  
        


 



銀漢の絵はがき


挿絵が絵葉書になりました。
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8枚一組 1,000円

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銀漢亭日録

伊藤伊那男


2月


2月10日(金)
パリ在住の秋野みなみさん、堀切君の紹介で。凌雲君。あと閑散と思いきや、「俳壇」パーティー後の佐怒賀正美・直美兄弟、秋尾敏、夏井いつき夫婦、俳壇賞の蜂谷一人夫妻、星野高士、櫂未知子、しなだしん、阪西敦子……各氏。

2月11日(土)
10時、運営委員会。13時、麹町会館にて「銀漢本部句会」。57人。あと、近くの中華料理店にて親睦会。

2月12日(日)
「春耕新年俳句大会」で高幡不動尊。盤水先生のお墓参り。乾杯の挨拶。途中、高木良多先生逝去の報あり。「増田屋蕎麦店」にて二次会。あと10人程でカラオケ。帰宅するとスキーから戻った家族が焼肉店に行くというので一緒に。うむ……飲み過ぎ、食べ過ぎ。

2月13日(月)
事業部中心に新年俳句大会お手伝いの方々の慰労会。14人。水内慶太さん御一行4人。発行所は3月号校正。あと私のエッセイ集の表紙の件など打ち合わせ。

2月14日(火)
RM(ランニングマシーン)1時間。店「火の会」9人。他閑散。

2月15日(水)
高木良多先生告別式。南荻窪願泉寺斎場。「春耕」創刊時から盤水先生を支えた方。店、伊那北高校同期の「三水会」5人。
 
2月16日(木)
RM5㎞。「あ・ん・ど・うクリニック」。店、妻が参加していた「山古志村で日本酒を造る会」の方々12人。仲間を偲ぶ会。あと「銀漢句会」20人。伊那の小池百人君。

2月17日(金)
「蔦句会」10人。あと、題の白魚の生。やり烏賊と若筍、菜の花の煮椀。鰆のつけ焼。あと握り。戻り、宮澤事務所の新年会。スタッフや独立した弟子など10数人集まる。私も料理数皿出す。

2月19日(日)
13時、池袋東京芸術劇場のミーティングルーム、「爽樹」俳句会の「東京梓鍛錬句会」にゲストで招かれる。井上井月について30分程講演。あと句会、あと親睦会。「魚盛」21時、お開き。

2月21日(火)
RM5㎞。店、「井月忌の集い」の打ち合わせで井上井月顕彰会のメンバー。伊那出身の下平和彦さん(鎌倉市次長)。

2月24日(金)
4月号の同人、会員の投句選終える。発行所「門」同人会に貸し出し。その前に3月号発送。あと「金星句会」。環さん4人、など。

2月27日(月)
4月号選評など追い込み。店、演劇人の句会、8人。国会議員のT先生。今年初めてか。

3月

3月1日(水)
彗星集選評を書き上げて4月号の執筆終了。店、「きさらぎ句会」あと11人。「宙句会」あと13人。銀漢へ、2名新規入会申込書を受ける。

3月2日(木)
雑用沢山。店、「十六夜句会」ゲスト松山さんと。あと13人店。山田真砂年さん、山崎祐子さん。

3月3日(金)
区の健康診断。店「大倉句会」あと20数人。

3月4日(土)
アルカディア市ヶ谷にて「第四回井月忌の集い」。160人位集まったか、盛況。懇親会では伊那の勘太郎の踊りも。あと、近くで打ち上げ。

3月5日(日)
「角川現代俳人名鑑」にショートエッセイ、代表句100句など。俳句四季5月号へ巻頭句3句。「春耕」へ菅原庄山子さんへの追悼文。雑用あまた。留守番頼まれたこともあり、「春耕同人句会」欠席。久々、時間あり、RM5㎞。17時からの中野サンプラザ、前川みどりさんを偲ぶ会には出席。あと「炙谷」。

3月6日(月)
RM5㎞。奈良の畑中利久君より電話あり。奈良国博や春日大社国宝館にカフェを出店している実業家。野村證券同期。店、「銀化」梅田津、峯尾文世さん他。発行所「かさゝぎ俳句勉強会」あと10人。

3月7日(火)
RM5㎞。店、阪西敦子さん○歳誕生パーティー。祝句持ち寄り13人。俳人協会総会あとの茨木和生先生、朝妻力、播广さん「たかんな」の吉田千嘉子さん。中村与謝男さん、などなど。賑わう。

3月8日(水)
RM5㎞。思えば結婚記念日。42年前になる。発行所「梶の葉句会」へ選句。店、閑散。水内慶太さん一派。武田編集長。北爪さん。

3月9日(木)
「極句会」あと8人。飯田眞理子さんがゲスト。

3月10日(金)
礼状。通信など。大山かげもとさんの句集『草紅葉』(北辰社)上梓など。5冊目。上々の仕上がり。店、池田のりを、大王製紙の田中役員と同期生。

3月11日(土)
10時、運営委員会。13時、全国家電会館にて「銀漢本部句会」61人。あと「華の舞」にて親睦会10数人。

3月12日(日)
久々、終日家。「春耕」6月号へ故高木良多顧問の一句鑑賞。エッセイ下書き。島織布句集選。「春耕」の中島八起句集選。「高遠句会」へ5句出句。賞品小色紙染筆。などなど。

3月13日(月)
店、藤森さんの「閏句会」7人。「天為」の西村我尼吾・対島康子夫妻。

3月14日(火)
「門同人会」に発行所貸し出し。「火の会」7人。同人有澤志峯さん、3年振りか。母上の介護から解放と。豆腐類沢山お土産に来てくれる。萩原陽里さん、お水取り吟行の帰路と。井蛙さんインフルエンザから復帰。

 3月15日(水)
「草樹」小山徳夫さん他7人。環さん誕生日と。「北軽井沢句会」の柴山つぐ子さん、佐藤さゆりさん、鎌倉の帰りと。お土産持って訪ねて下さる。「三水会」6人。22時、閉めて「福の鳥」で一時間程飲む。

 3月16日(木)
健康診断の結果、異常なし。エッセイ集『銀漢亭こぼれ噺』最終校正。既に5・6回は直したが、見る度に気になる所がある。孫達、学期末。2番目が中学生に、4番目が小学生に。店「銀漢句会」あと16人。

3月17日(金)
RM5㎞。「蔦句会」選句あと6人。3ヶ月に一度の「白熱句会」。水内慶太、檜山哲彦、井上弘美、小山徳夫、佐怒賀正美、10句出し。あとは閑散。

 3月18日(土)
11時、あずさ号にて岡谷乗り換え伊那市駅。井蛙さんの迎えを受け、高遠町「やますそ」にて「銀漢高遠句会」へ。15人程の方が集まって下さる。句会あと伊那の「角八」にて親睦会。料理多々。最後のおろし蕎麦うまし。あと有志で「エルテ」「アドニス」と巡り、ラーメン餃子の「曼荼羅亭」。明日、高校駅伝で全国から200校位集まるとてホテル全く取れず、井蛙さんの実家にお世話になる。

3月19日(日)
9時起。2日酔い。井蛙さん朝食作ってくれる。天竜川の東岸、火山峠を経由、蔵沢寺、桃源院などを巡る。15時過ぎ、2日酔いがさめぬという井蛙さんと分かれ、駒ヶ根の従兄弟の家。するめの糀漬、瓜の酒粕漬、ごぼうのキンピラなどの私の好物を用意してくれていて迎え酒のビール。18時、町の居酒屋に友人3人集まってくれて歓談。22時、「駒ヶ根プレモントホテル」泊。

3月20日(月)
ぐっすり寝る。9時間程か。久々。快晴。木曽山脈の雪嶺が鮮烈。「高きを我に学べよと」の高校の校歌を思い出す。光前寺で従兄弟の車に迎えに来て貰い「福玄」の蕎麦。母の実家のルーツなどを聞く。安楽寺を訪ね、飯田実雄住職に挨拶。13時50分発の飯田線で岡谷。あずさ号で新宿。














           
△『漂白の俳人・井上井月』伊藤伊那男著
          
  
    






今月の季節の写真/花の歳時記



2017年5月25日撮影  雛罌粟   TOKYO/HACHIOJI
  




  花言葉     「いたわり」「思いやり」「恋の予感」「陽気で優しい」
        
△雛罌粟・ポピー
原産ハヨーロッパではポピー。江戸時代に渡来。
漢名は『虞美人草』は楚王項羽が愛しぬいた絶世の美女、虞美人の生まれ変わりという伝説から名付けたという。

紹介した花々・・・・・。
 
血汐紅葉  宝鐸草 ヒトツバタゴ カーネーション 小葉の立浪草
           
アマリリス 雛罌粟ポピー    

写真は4~5日間隔で掲載しています。 




2017/5/22 更新



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