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 11月号  2019年


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伊藤伊那男作品 銀漢今月の目次  銀漢の俳句 盤水俳句・今月の一句  
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伊藤伊那男作品

主宰の8句








九品の阿弥陀如来

        
             

 
          

今月の目次






銀漢俳句会/2019/10月号
















  




   



銀漢の俳句 

伊藤伊那男 


施火◎五山の送火
 八月十六日、大文字の送り火を見た。京都御苑の蛤御門を入った建礼門の前あたりから、ほぼ正面となる東山の大文字の一つだけを拝することにした。昼間、銀閣寺近くの、日本画の巨匠橋本関雪の白沙村荘を訪ね、二階のテラスから前面にある如意ヶ岳山腹の火床の最終作業を望見した。大勢の人が動き廻っているのが見える。大の字の一番長い第二画が一六〇メートルあるというから、大変な作業である。
 一昨年の年末、銀閣寺横の登山道からこの火床に登った。東山はいざ登ってみると思いの外急峻で奥も深い。小一時間ほどで火床に着いた。大の字の三偏が交わるあたりから上下を見渡すとその壮大さに驚く。この火床に毎年松葉や割り木を敷きつめるのであるから大事業だ。たった十五分位で燃え尽きてしまう鎮魂の火のために世話役は恐らく半年位は関わりを持つのではなかろうか。それを延々と五百年ほど続けているのである。しかもこの大文字だけではなく、妙法・船・左大文字・鳥居と五山で行うのであるから、やはり京都は底知れない町である。
 白沙村荘のあと、近くの蕎麦店で遅い昼食を摂りながら亭主と話をすると「私は分家なので大文字の準備には加われないのです」という。そんな厳格なルールが今も生きているのであるから唸るしかない。
 私は二十二歳の時就職した証券会社の京都支店に配属され、三年近くこの町で暮らした。その間二回ほど大文字を見ているのだが、ちらりと見たくらいで、ほとんど関心を持つことがなかった。今回は実に四十五、六年振りの大文字、七十歳の大文字である。その間、様々な体験があり、出会いと別れがあった。京都育ちの妻は五十五歳で亡くなり、この東山の続きの墓所に遺骨の一部を納めてある。自分自身も老い先が読める年齢となった今、大文字の火は格別である。午後八時の点火の三十分位前から待ち、大文字の火が完全に消え果て、東山が闇に沈むまで、一時間位を御所の広場に立ち尽くして見送った。
 大文字の発祥には弘法大師や足利義政の名が挙げられるが、確かな資料はない。記録の初見は万治三年(一六六〇)刊の『洛陽名所集』で「そのかみより七月十六日の夜、四方の山に松明にて妙法、大の三字、或いは船のなりなどつくる事也」とある。少なくとも室町時代に始まっていたと思われる。
 季語としては「大文字」「大文字の火」「妙法の火」「船形の火」「左大文字」「鳥居形の火」「」「精霊送火」「五山送火」などと詠まれる。












 



  

盤水俳句・今月の一句

伊藤伊那男

酒臭き御師が囮をかけてをり       皆川 盤水

 
自註に「囮をかけている御師に聞くと、つぐみを狙っているということだった。あたり一面は霧が濃かった。御師は酒を飲んでいた。武州御嶽にて」とある。御師は参拝者用の宿泊用の宿を経営したり、講中を勧誘したり、案内を勤める半神職。この御師はいかにも生臭そうである。先生はこうした生態を描写するのが上手だ。鳥に詳しい先生は興味を持って話しかけたのであろう。誰にでもすっと近寄ってすぐ打ち解けてしまう。
                          (昭和五十七年作『山晴』所収)












  

彗星集作品抄
  伊藤伊那男・選

夕刊の裏を返せば夜の秋          市川 半裂
扇子絵の竹百幹に風もらふ         半田けい子
時々は眺むるだけに登山靴         新谷 房子
朝に夕に水打つこの世鎮まらず       坂口 晴子
水よりも石に寄り来て秋蛍         萩原 陽里
ねむるまで海水浴の波に酔ふ        神村むつ代
簾透く夕日眩き貴船川床          山元 正規
江戸古地図紙魚の道筋残りけり       山口 一滴
向日葵の黄色ゴッホが使ひ切り       尼崎 沙羅
阿呆踊てふも仕草の乱れざる        金井 硯児
聞き役となりて氷菓の溶けにけり      辻  隆夫
二度呼びて端居の人のやつと立つ      白井 飛露
夕焼や影絵となりてさやうなら       志村  昌
運慶の仁王のごとき雲の峰         末永理恵子
盆道にみがかれてある里程標        中村 孝哲
傾ぎつつ花に近づく蓮見舟         柊原 洋征
持ちてすぐ馴染む小筆や今朝の秋      清水美保子
竜宮を探しあてたき箱眼鏡         中野 智子















彗星集 選評 伊藤伊那男

伊藤伊那男・選

夕刊の裏を返せば夜の秋         市川 半裂

「夜の秋」は夏の季語だというと驚く人がいるかもしれない。もともと「秋の夜」「夜の秋」は同じく秋の季語としていたが、原石鼎の〈粥すゝる岨の胃の腑や夜の秋〉を高浜虚子が夏としたものである。もちろん全員が納得しているわけではなく、青木月斗は反対を表明した。だが今ではだいたいの歳時記が秋に立項している。角川俳句大歳時記の解説には「晩夏、昼はまだ暑さが盛んなのに、夜になると秋の気配が漂うこと。(中略)夏のうちに秋を感じる鋭敏な季節感から生まれた季語である」とある。前置きが長くなったが、掲出句はまさにこの季節を見事に表現しているのである。まず夕刊を提示したところがいい。帰宅して暗くなった頃の場面設定へ無理なく導入している。読み終って裏へ到る頃、ふと常とは違う秋の気配を感じたのである。僅かな時間の経過を入れながら秋を感じる瞬間へ持ち込んだのである。 

  
扇子絵の竹百幹に風もらふ        半田けい子
 竹材を描いた扇子絵。風に揺れているのであろう。煽げばその絵の風が現実に絵の中から湧き起こってくるような気がするという魔法の扇。俳句にもその魔法がかかっているかのように爽快な仕立てである。多いということを「百幹」と纏めたところも的確である。

  
時々は眺むるだけに登山靴        新谷 房子
 既に履くことのない登山靴であるが、夏山の季節、それを眺めるだけで季感がある。私も四十代、登山に熱中し、一七十回程の登山記録がある。私の持っていたのはイタリア製の皮靴で、イタリアでは皮を取るためだけに育てる牛がいる、ということを知った。私は今夏十七年振りの登山で白山に登ったが、この句の実感は共有できる。

  
朝に夕に水打つこの世鎮まらず      坂口 晴子
私は時事俳句は好まないが、この句のように日常生活の中の呟きの形ですんなりと出てくるのであれば納得がいくのである。自分で何ができるかは解らないが、世の混乱には困ったものだなと打水をする。目の前の地熱は少し収まっても……それだけ。俳句はそれ以上には踏み込まない、というのが私の作句姿勢。 

 
 水よりも石に寄り来て秋蛍       萩原 陽里
秋蛍は一抹の淋しさを持っているもので、俳句もそのように詠まれることが多い。この句は直接にはそのようには詠んでいない。だがよく読むと、生命を維持する水よりも、昼の温みを残す石に寄る、というところに秋蛍の季節のずれの「あわれ」さが出ているようだ。 

  
ねむるまで海水浴の波に酔ふ       神村むつ代
 海水浴の興奮が眠るまで続いているのだ。子供の頃はそんな風であったな、と思う。私が最初に海を見たのは静岡県豊川の海。伊那谷から七時間ほど飯田線に乗って潮干狩に行った時。海の広さに田舎者は興奮したものである。この句、波に揺られた感覚がいつまでも続いている童心の句。

  
簾透く夕日眩き貴船川床         山元 正規
いかにも山峡の川床の様子が如実。空気が澄んでいる。 
 
  
江戸古地図紙魚の道筋残りけり      山口 一滴
 古地図には紙魚の残した道も……。道を重ねた面白さ。

  
向日葵の黄色ゴッホが使ひ切り      尼崎 沙羅
 絵の具の黄色は使い切った、とゴッホの特徴を際立たせた。

  
阿呆踊てふも仕草の乱れざる       金井 硯児
言われてみればなるほど、ちゃんと手順があるのだ。 

 
 聞き役となりて氷菓の溶けにけり    辻  隆夫     
途中で舐めたら失礼かと……困った場面である。

二度呼びて端居の人のやつと立つ     白井 飛露
〈二度三度呼ばれ端居の腰上げる〉と自分を詠む手も。

  
夕焼や影絵となりてさやうなら     志村   昌
「影絵となりて」「さやうなら」と各々の措辞がいい。

  
運慶の仁王のごとき雲の峰       末永理恵子
なかなかの比喩である。壮大な躍動感を出した。

  
盆道にみがかれてある里程標      中村 孝哲
先祖の霊が迷わないよう里程標も磨くと。
  
傾ぎつつ花に近づく蓮見舟       柊原 洋征
持ちてすぐ馴染む小筆や今朝の秋    清水美保子
竜宮を探しあてたき箱眼鏡       中野 智子
右三句はよく出来ている句だが、私にはやや既視感、類形感があった。

















銀河集作品抄

伊藤伊那男・選

大夕焼沙漠にもある地のうねり     東京  飯田眞理子
曲折に残りし古稀の髪洗ふ       静岡  唐沢 静男
嬬恋と名の入る碑文木下闇       群馬  柴山つぐ子
飽きられて浮き人形は浮きつぱなし   東京  杉阪 大和
流星のまりもとならむ北の国      東京  武田 花果
ひぐらしや六千坊は苔の下       東京  武田 禪次
お薬師に灯ともし仕込む一夜酒     埼玉  多田 美記
波乗の板の往き交ふ切通        東京  谷岡 健彦
巴里祭の胸にワインの血飛沫す     神奈川 谷口いづみ
蚊遣焚く庵にテープの僧の声      愛知  萩原 空木
一言の礼置きて去る秋遍路       東京  久重 凜子
偽りの色の混みあふ水中花       パリ  堀切 克洋
小屋裏に休む幽霊夏芝居        東京  松川 洋酔
日盛の街のゆらぎを手庇で       東京  三代川次郎


















         





綺羅星集作品抄

伊藤伊那男・選

過去へゆける土管を隠す葎かな     宮城  小田島 渚
生者より故人親しき端居かな      埼玉  小野寺清人
釣忍揺れに合はせて水注ぐ       東京  小山 蓮子
自作画のわが過去を見る土用干     東京  田中 敬子
境内を迷宮のごと夜店の灯       大阪  中島 凌雲
軍記物紙魚の走りの速きこと      和歌山 笠原 祐子
あととりのなき手でよそふ蓮の飯    長野  北澤 一伯
高原の風乗せ暑中見舞来る       東京  川島秋葉男
林檎もぐ足下信濃の開拓史       東京  桂  信子
遅れ来し人に川床の灯濃かりけり    東京  小泉 良子
夕焼やかごめかごめの輪に入りて    埼玉  志村  昌
髪洗ふ憑きたるものを落としつつ    東京  山下 美佐

乗る駅も降りる駅にも蟬時雨      東京  相田 惠子
爽やかや窓と言ふ窓開け放つ      神奈川 秋元  孝
かなかなや分校跡に校歌の碑      神奈川 有賀  理
出航を見送る島の晩夏かな       東京  有澤 志峯
御嶽行きバスのまだ来ぬ青胡桃     東京  飯田 子貢
雨の名が四百余の国梅雨深し      埼玉  池田 桐人
褪せもせずささくれもせず竹夫人    埼玉  伊藤 庄平
聞く人のそれぞれにある秋の声     東京  伊藤 政三
また今朝も沖見るだけの盆休      神奈川 伊東  岬
鬼押出の熱さますかに大夕立      東京  今井  麦
早立ちの支度聞きをり鮎の宿      東京  上田  裕
まさをなる校歌の(うみ)や盆帰省      東京  宇志やまと
調律の済みし音色や夜の秋       埼玉  大澤 静子
端居して遥か故郷を引き寄する     東京  大住 光汪
静けさや内に闇抱く夏木立       東京  大沼まり子
通り雨澄める星座を待つ端居      神奈川 大野 里詩
虫送り道祖神へと村動く        埼玉  大野田井蛙
蜩や同じ間取りのたつきの灯      東京  大溝 妙子
猛暑日と書き添へ体温帖記入      東京  大山かげもと
鎌倉の骨董店へパナマ帽        東京  小川 夏葉
ダムの放流万緑へまつしぐら      神奈川 鏡山千恵子
先生が持つ全員の捕虫網        東京  梶山かおり
点と線からまり合うて蛍沢       愛媛  片山 一行
海へだて父母も見し雲原爆忌      東京  我部 敬子
習得の舫ひ結びにキャンプ張る     高知  神村むつ代
後宮の恨みは色に凌霄花        東京  柊原 洋征
風鈴の舌に母の句風と和し       神奈川 久坂依里子
伊予よりの一句添へある夏見舞     東京  朽木  直
水打つて門前の色冷ましけり      東京  畔柳 海村
蟬生るる葉裏に息を整へて       神奈川 こしだまほ
花火師の宙は天国地は地獄       東京  小林 雅子
虫籠を高めに持ちて見せ合へり     長崎  坂口 晴子
たてがみに梅雨の重さや厩栓棒     長野  三溝 恵子
懺悔室の扉の傷や晩夏光        東京  島  織布
絵手紙を描きたくて出す夏見舞     東京  島谷 高水
十の橋十屈みつつ舟遊び        兵庫  清水佳壽美
エプロンのままの端居の妻と母     千葉  白井 飛露
きのふ米屋けふは酒屋の団扇受く    東京  白濱 武子
銀漢を探しに故郷行きのバス      東京  新谷 房子
案山子翁道案内も兼ねてをり      大阪  末永理恵子
朝顔や洗面の水荒使ひ         静岡  杉本アツ子
毒薬の怪しき色や夏芝居        東京  鈴木 淳子
裸火や金魚掬ひの膝あまた       東京  鈴木てる緒
手花火や前歯の抜けし子の笑顔     東京  角 佐穂子
八月尽学徒の文を玻璃越しに      東京  瀬戸 紀恵
駄菓子屋の変はらぬ匂ひ盆休み     神奈川 曽谷 晴子
ほうたるの銀河鉄道尾灯めき      長野  高橋 初風
蟬時雨かつて上野に傷痍兵       東京  高橋 透水
夜店ならとびきり赤きルビー欲し    東京  武井まゆみ
象潟の舟つなぎ石さみだるる      東京  竹内 洋平
江の島の浮くほど叩く驟雨かな     東京  多田 悦子
川床を組む槌音聞きつ八坂へと     東京  塚本 一夫
物干しのありし昭和の遠花火      東京  辻  隆夫
冷奴妻との余生程程に         愛知  津田  卓
踵踏むズックの跣紙芝居        東京  坪井 研治
書架に立つ旧行名の紙魚の社史     埼玉  戸矢 一斗
きのふより高き空あり今朝の秋     神奈川 中野 堯司
秋立つや余生にあまる皿小鉢      東京  中野 智子
霧の中道を説く人来るやうな      東京  中村 孝哲
碑の裏に廻りて蚊の餌食        茨城  中村 湖童
晩夏なり口開いて見る紙芝居      埼玉  中村 宗男
角とれて音丸くなる秋扇        東京  西原  舞
信濃路は田毎の月の水落す       東京  沼田 有希
家族史の畳の焦げや盆休        東京  橋野 幸彦
大杉の影倒れ来る茅の輪かな      広島  長谷川明子
盆過ぎの墓に父母後の母        神奈川 原田さがみ
魚屋道膝に優しき夏落葉        兵庫  播广 義春
ふた昔帰らぬ故郷盆がくる       東京  半田けい子
西瓜食ぶ赤のすつかり消ゆるまで    東京  福永 新祇
施餓鬼会や焼まんぢゆうの味噌匂ふ   東京  星野 淑子
奈良残暑み仏に逢ひ友に逢ひ      東京  保谷 政孝
海のなき町に買はれて貝風鈴      東京  堀内 清瀬
筑波嶺の厄日の雲に畏まる       岐阜  堀江 美州
子の描く西瓜の種の点描画       埼玉  夲庄 康代
頭から角巻の子の眼の大き       東京  松浦 宗克
もう鳴らぬラジオの上の水中花     東京  松代 展枝
ベランダに残暑長々横たはる      東京  宮内 孝子
背の子の寝入りし頃や夜店果つ     神奈川 宮本起代子
厄日かな列島豪雨につつまれて     千葉  無聞  齋
一と山の墓標に埋まる長崎忌      東京  村上 文惠
秋立ちぬ訣れ近きを悟りし日      東京  村田 郁子
母踏みしシンガーミシン敗戦日     東京  村田 重子
葉脈を透かす太陽青ぶだう       東京  森 羽久衣
亡き人も聴くか風鈴鳴り止まず     千葉  森崎 森平
雲海の落暉の色を吸ひ尽くす      埼玉  森濱 直之
炎天に出て眼球を絞り込む       長野  守屋  明
雲吞の浮けば秋思の沈みゆく      愛知  山口 輝久
誰が開けし巻に緩びの落し文      群馬  山田  礁
夕焼の野原に残る草の罠        東京  山元 正規
歯切れよき下町言葉鬼灯市       神奈川 𠮷田千絵子
浦島の子もかくあらむ昼寝覚      愛媛  脇  行雲
戸袋に残るぬくみや秋近し       東京  渡辺 花穂
箱庭をふるさとめかす水車かな     埼玉  渡辺 志水








        
















     







銀河集・綺羅星今月の秀句

伊藤伊那男

過去へゆける土管を隠す葎かな      小田島 渚
私も小さな頃、近所の空き地に積まれた大きな土管の中を潜って遊んだものだ。今から思えば危険な資材置き場であったが、子供の数も多く、大人の目も届かなかった時代である。土管の狭さと、向こう側の明るさが異次元の世界に入るような楽しみがあったものだ。この句は過去へ戻る土管である。行ってみたい気もするが……葎が邪魔をするようだ。 


生者より故人親しき端居かな       小野寺清人
端居とはそういうものだな、と思う。ぼんやりと縁側に座して取りとめもなく回想すると、故人の顔が浮かぶ。あの場面、この場面と……。まだ生きている人々のように近くにいるのだ。同時出句の〈父帰る蠅取りリボン避けながら〉も郷愁を誘う句であった。今の若い人はもはや見たことも無いと思うが、粘着力のあるテープを天井から吊るしていたものだ。触れないように避けて部屋の中を行き来する。 


釣忍揺れに合はせて水注ぐ        小山 蓮子
 うまい句だな、と思う。日常生活の中の発見である。皆が見過ごしてしまっている場面を見逃していない観察眼である。風に揺れる釣忍に合わせて水を注ぐ。俳句はこういう風に詠みたいものだと思う。同時出句の〈草罠も刈り取られあり盆の道〉〈夏芝居女が泣けば影も泣く〉も各々印象深い句であった。


自作画のわが過去を見る土用干      田中 敬子
土用干の中に自画像があったという。何十年も前の自分の姿にしばし目を止めたことであろう。若い時の姿であり自作であればなおさら様々な思い出が沸き上がったことであろう。 


境内を迷宮のごと夜店の灯        中島 凌雲
夜店は子供にとっては別世界であった。アセチレンガスの匂いや、鉄板の上で焼く烏賊や焼きそばの匂い。金魚や風船、お面などの氾濫する原色――まさに迷宮であった。私の娘は、硬貨を握り締め、私と間違えて知らないおじさんの手を摑んで気付かずにいたことがあった。「迷宮」がいい。 


軍記物紙魚の走りの速きこと       笠原 祐子
紙魚の走りも、軍記物であればなおさら、という句。紙魚には本の内容は解らないのだが、それを速い、と見たのが作者の機知である。これも俳句の典型的な技法。
 


あととりのなき手でよそふ蓮の飯     北澤 一伯
蓮飯は、赤飯などを蓮の葉に包み、両親や平素世話になっている目上の人などに配る盆の行事。「あととりのなき手でよそふ」に先祖への詫びの気持などが籠められているのであろう。しかし人の世はそうしたことを繰り返してきたのである。何事も自然に任せるしか無いのが人類の節理。


高原の風乗せ暑中見舞来る        川島秋葉男
 気持ちの良い句である。避暑地にいる知人からの一枚の葉書が都会に残る作者をも爽快な気分にしてくれるのである。句からは知人か親族との親しい関係やお互いをおもんぱかる気持が偲ばれる。


林檎もぐ足下信濃の開拓史        桂  信子
林檎産地の真っ只中で私は育った。信州では多数の家族が満蒙開拓団として楽土を信じて大陸に渡り、敗戦によって丸裸になったその方達が日本に戻り、また開拓地に送られた歴史がある。多くの林檎農家はそのような苦難を乗り越えてきた方々である。「林檎もぐ足下」の措辞が端的にそのことを把握している。同時出句の〈葛あらし天台座主の相聞歌〉は平安京を舞台にした艶冶な句。「葛あらし」に波乱の予感があるところが味わいである。 


遅れ来し人に川床の灯濃かりけり     小泉 良子
 京都鴨川べりの「川床」の嘱目。すでに宴酣の状態である。遅れて着いた人に灯が濃い、というところにさんざめく様子が的確に描き取られているようだ。無理の無い客観的な描写が余情を深めている。


夕焼やかごめかごめの輪に入りて     志村  昌
心の安らぐ句だ。私は読み手をやさしい気持にさせてくれる俳句が一番いい俳句だと思っている。そういう観点で見るとこの句は童心に帰り、自然の恵みに包まれている至福の句である。心を豊かにしてくれる句である。 


髪洗ふ憑きたるものを落としつつ     山下 美佐
やはり長い髪を持った女性が主人公であろう。長い髪には女の情念が絡み付いているという。だが誰にだって情念はある。「髪洗ふ」の句は沢山見てきたが、「憑き物を落とす」ために洗う、という発想は初見である 








 










                




 

星雲集作品抄
伊藤伊那男・選
秀逸
絽に透くる芯まつ直ぐな背中かな    東京  辻本 芙紗
無防備な向日葵の背の高さかな     神奈川 星野かづよ
父の座の父の山河や夕端居       千葉  長井  哲
灯台に種火を残す大夕焼        東京  保田 貴子
盆用意村に掟の多きこと        長野  坂下  昭
夏の夜や万華鏡めく観覧車       東京  立崎ひかり
不揃ひの茶碗酒出る夏祭        東京  福原 紀子
もう耳に付かぬくらゐに蟬時雨     東京  小林 美樹
マルクスの書にのびのびと紙魚を飼ふ  宮城  小野寺一砂
秋の声ふと足止めし神社より      東京  北原美枝子
燃ゆるかに郵便ポスト夏旺ん      東京  絹田  稜
善かれとて言ひしが齟齬に水中花    群馬  佐藤 栄子
並び座す木魚の横の熟れ西瓜      東京  田中  道
鎌倉の出入り七口蟬の穴        東京  田家 正好
捨てがたき栞そのまま曝書かな     東京  長谷川千何子
漱石のこゝろの中に紙魚の棲む     東京  山口 一滴
夕べには絵本に帰る赤とんぼ      東京  竹花美代惠
ととのへる献上かれひ雪起し      福井  加茂 和己
母に吾を詠みし歌あり晩夏光      千葉  中山 桐里







星雲集作品抄

             伊藤伊那男・選 
  

白南風を帆に一杯の練習艇       東京  秋田 正美
底抜けしひしやくのやうな終戦日    埼玉  秋津  結
昼寝覚妣の声して振り向けり      京都  秋保 櫻子
囁きも呻吟も有り風鈴は        東京  朝戸 る津
近からず遠からず置く扇風機      東京  浅見 雅江
夏草やぬつと寄り来る牛の舌      東京  尼崎 沙羅
立秋や五雲たなびく瀬戸の海      愛媛  安藤 向山
星空にただ癒さるる端居かな      東京  井川  敏
改札に百の人生大夕焼         東京  生田  武
引く草の茎の固さも残暑かな      長野  池内とほる
眼窩深く八月のジャズ沁み渡る     東京  石倉 俊紀
日めくりをまとめて千切り秋に入る   東京  市川 半裂
炎昼や渡りきれるか沈下橋       高知  市原 黄梅
暗転の長さ気になる盆狂言       東京  伊藤 真紀
踊りの輪ゆるく解けし夜更かな     神奈川 伊藤やすを
甚平の紐のほつれも去年のまま     広島  井上 幸三
迎火や祖母の呼ぶ声表より       埼玉  今村 昌史
パナマ帽似合ふ歳月同窓会       高知  岩原 里秋
山の田に思ひをはせる野分かな     愛媛  岩本 青山
城山の松に尽きたり法師蟬       東京  上村健太郎
眼を閉ぢて憶ふ仲間や合歓の花     愛媛  内田 釣月
友作る拳の如き南瓜かな        長野  浦野 洋一
かなかなは亡き子の声となりしかな   埼玉  大木 邦絵
朝顔の裏から街見る喫茶店       神奈川 大田 勝行
空蟬のまだ魂を抱きたる        東京  岡城ひとみ
青空は夜空にもあり盆の月       東京  岡田 久男
明易や時計ながめて二度寝する     群馬  岡村妃呂子
広島四句
炎昼や路面電車の次々と        東京  岡本 同世
禅寺の階大きく曲がれば秋       神奈川 小坂 誠子
大文字街はづれなる小橋より      京都  小沢 銈三
梅雨寒の線路軋ませ石灰車       埼玉  小野 岩雄
知らぬ顔しての一撃蠅叩        静岡  小野 無道
北海道物産展の冷房強         東京  折原あきの
夏帯をきつめに締めて出かけをり    東京  桂  説子
八月の畔草猛る捨畑          静岡  金井 硯児
かなかなやランプの宿の灯るまで    東京  釜萢 達夫
望郷は風呂の焚き口渋団扇       長野  唐沢 冬朱
夏芝居隈取緩む千秋楽         神奈川 河村  啓
黒うぶげ水鶏生まるる稲穂陰      愛知  北浦 正弘
黒揚羽北斎墓碑に画狂の号       神奈川 北爪 鳥閑
攻瑰や島動く如コンテナ船       東京  久保園和美
雲海を抜けて立山三山へ        東京  倉橋  茂
門口に一際高き山の百合        群馬  黒岩伊知朗
浅間嶺の空を塒に日雷         群馬  黒岩 清子
夕暮の路に笠待つ風の盆        愛知  黒岩 宏行
吾子胸に寝落ちて窓の星月夜      東京  黒田イツ子
海近く巣立ちて雀蛤に         神奈川 小池 天牛  
白南風にあけつぴろげの相模湾     東京  小寺 一凡
磯跨ぎ婆のほまちの鹿角菜刈る     宮城  齊藤 克之
尚続くおわら祭や雨の中        神奈川 阪井 忠太
かばかりの段差に転ぶ炎暑かな     青森  榊 せい子
蜩や此の世の音の間を縫うて      長野  桜井美津江
師を迎ふ年重ねつつ避暑の家      東京  佐々木終吉
天牛の隠しきれない斑かな       群馬  佐藤かずえ
夏蝶の何か言づてあるやうな      東京  島谷  操
遭難の夢に目覚める熱帯夜       東京  清水美保子
関東か関西風か鰻飯          東京  上巳  浩
施餓鬼菓子手と手が伸びる地蔵盆    神奈川 白井八十八
ひと握りで足りる線香魂迎       東京  須﨑 武雄
七変化糟糠の妻傍らに         岐阜  鈴木 春水
横丁の名残わづかに朝顔に       群馬  鈴木踏青子
水中り瞳大きくなるばかり       愛知  住山 春人
羽衣の舞ふごと泳ぐ金魚かな      千葉  園部あづき
煉獄の禊はかくや炎天下        埼玉  園部 恵夏
暑気払てふ亡き友を偲ぶ会       東京  田岡美也子
子に問はるあの世の世界盆の夜     東京  髙城 愉楽
何処からか滝の音する山の宿      福島  髙橋 双葉
それぞれに帽子置きあり夏期講座    長野  宝 絵馬定
文月や一筆箋に書き添へて       埼玉  武井 康弘
扇風機独り占めする夕餉時       三重  竹本 吉弘
教会の晩禱の鐘風涼し         神奈川 多丸 朝子
父恋し籐椅子きしむ音聴けば      愛知  塚田 寛子
浅葱幕大きく落ちて夏芝居       大阪  辻本 理恵
鰹割く男に勝る土佐女         東京  手嶋 惠子
法師蟬残る宿題山積みに        東京  豊田 知子
各々の終戦語る八月尽         神奈川 長濱 泰子
落款を深々と捺し夏書終ふ       東京  中村  弘
盆支度終へて畳のにほひかな      東京  永山 憂仔
鉾立の大路に積める縄の嵩       大阪  西田 鏡子
鬼灯に触れれば紙の音のして      埼玉  萩原 陽里
大店の昔有りけり渋団扇        静岡  橋本 光子
夏惜しむ皮の縒れたる腕時計      東京  橋本  泰
遠雷に帰路の歩幅の広くなり      神奈川 花上 佐都
明らかにうさぎの在はす今日の月    長野  馬場みち子
さいはひの住む国訪ひぬ夏期休暇    千葉  平山 凛語
夕端居ため息ひとつ今日果つる     千葉  深澤 淡悠
海やまに抱かれたくて盆帰省      神奈川 堀  備中
灯の入りて団欒の声軒簾        東京  牧野 睦子
稜線の先まで見える今朝の秋      神奈川 松尾 守人
太陽を追うて日傘の傾きぬ       愛知  松下美代子
夏の果砂にまみれし虚貝        京都  三井 康有
地蔵盆子の繰り送る大念珠       奈良  三村  一
この展望好みし夫の墓掃除       東京  三好 恵子
炎天も勝利の糧ぞ甲子園        東京  八木 八龍
残り柿明日はいくつ数へむか      東京  家治 祥夫
噴水の始めの一波空叩く        東京  矢野 安美
山里のたづきの中の蟬時雨       群馬  山﨑ちづ子
手花火に詰め合ひてゆく膝小僧     東京  山田  茜
左手で「う」の字を伸ばし鰻裂く    神奈川 山田 丹晴
花火果て瞬時の孤独残しけり      静岡  山室 樹一
炎天下にほひのこもる書斎かな     高知  山本 吉兆
食卓に彩り添へし水中花        群馬  横沢 宇内
礼の茶も経もそこそこ盆の僧      神奈川 横地 三旦
桃狩りの日のぬくもりを捥ぎにけり   神奈川 横山 渓泉
口呼吸しつつ残暑の家路かな      千葉  吉田 正克
ゆふがほや源氏の恋の話など      山形  我妻 一男
鯱群れて羅臼の沖は未だ夏       神奈川 渡邊 憲二
何もかもこの汗引いてからのこと    東京  渡辺 誠子





















星雲集 今月の秀句

伊藤伊那男

絽に透くる芯まつ直ぐな背中かな    辻本 芙紗
 夏の季語「羅(うすもの)」の副季語として「絽」「紗」「上布」「軽羅」「薄衣」などがある。絽は透目を作った絹織物で、風通しがいい。薄衣であるだけに身体の線が明瞭で、後ろ姿に背筋がすっきりと見えたのである。句からは、その絽を着こなす女性の人物像も想像されてくるようである。同時出句に〈炎昼に真つ直ぐ刺さるピンヒール〉があり、こちらは洋装の女性像。同じく「まっ直ぐ」を使って和洋を描き分けている。〈ハンモック風に溶け込む眠りかな〉の「風に溶け込む」が、〈やり過す見知らぬ人と夕立を〉の「見知らぬ人と」が、各々中七で句を際立てていた。


無防備な向日葵の背の高さかな     星野かづよ
向日葵は北アメリカの原産でキク科に属する。高さは二メートルを超えるものもある。その天辺に重くて大輪の花を咲かせるのであるから見た目には実に不安定な形である。句はそれを「無防備な」と捉えた。横向きの花であるから重力も片寄るはずであり、「無防備な」は確かな把握である。俳句にはそうした独自の発見が大切。同時出句の〈どこまでも優しく伸ぶる水着かな〉も伸縮自在な最近の高品質の繊維を俳句に持ち込んで新鮮。〈夕暮の帰途水眼鏡つけしまま〉も懐かしい風景だ。 


父の座の父の山河や夕端居       長井  哲
端居をする縁側にも父の座があったようだ。風通しの良い場所とか眺望の良い場所とかであろう。多分今はもう居ない父のその端居の位置に座り、父の見ていた風景を見る。「父の山河」に父上の人生が重なっているのである。同時出句に母の句がある。〈母の家母には広し蟬時雨〉――家の歴史である。 


 長い歴史の中から生まれた村落の掟には、新参者は戸惑うことが多いことであろう。特に盆の行事などでは様々な取り決めがありそうだ。同時出句の〈送り火や後ろ姿を見たやうな〉はまさに盆の最終行事。御先祖の気配を感じたのである。

 

夏の夜や万華鏡めく観覧車        立崎ひかり
万華鏡は筒を廻しながら一方の小孔から覗くと美しい模様が様々に変化しながら見えるもの。夏の夜の観覧車を巨大な万華鏡に見立てた句である。回転しつつ客の乗っている箱も動くのであるから変化があり、まさに巨大な万華鏡である。同時出句の〈踊る手のそのまま戻る家路かな〉も佳品。 


不揃ひの茶碗酒出る夏祭         福原 紀子
いかにも夏祭である。不意の来客か、通り掛かった祭衆に大急ぎで酒を振舞う。あるだけの茶碗を出したのである。茶碗という具体的な物を出して、活気を伝えた。 


もう耳に付かぬくらゐに蟬時雨      小林 美樹
蟬時雨も聞き馴れると、それが自然の状態になって当り前のように思われてくる。そういう心理をうまく詠み取っている。信州に暮らしていた頃、クーラーも無い時代であったし窓を全開にして蟬の声を聞いていたことを懐しく思い出す。同時出句の〈真白なる灯台暗し晩夏光〉は色彩の濃淡のコントラストを捉えて出色。 


マルクスの書にのびのびと紙魚を飼ふ   小野寺一砂
 私が大学に入った頃の経済学部は「マル経?」「近経?」というような分け方であった。マルクス経済が生きていたのである。今はどうであろうか?恐らくマルクス経済を選ぶ学生は僅少であろう。開くことも無い専門書は紙魚の天国となっているのだ。


燃ゆるかに郵便ポスト夏旺ん       絹田  稜
若い頃読んだ楠本憲吉の俳句入門書に特に名のある俳人の句ではなく〈赤電話ごと私燃えてます〉という句があった。季語もないし、口語調で、私の学んでいた俳句結社では一切取り合わない句だが、噓の無い情のある一行詩として胸裡に刻んだ。掲出句はそんなことをふと思い出させてくれた。もちろん掲出句は季語もあるし、恋愛を詠んだものではない。炎天の真赤なポストを詠み切って出色。同時出句の〈どこ切るも面の濡れし水羊羹〉〈駄菓子屋の氷菓の棒に染みる紅〉もしっかりと対象物を見ている。 


並び座す木魚の横の熟れ西瓜       田中  道
木魚と西瓜の異質なものの並列が面白い。盆用意の一場面なのであろう。田舎では自家の畑で収穫したものを供えたものだ。同時出句の〈一雨の濡れ縁乾き夕端居〉も佳。  
その他印象深かった句を次に
漱石のこゝろの中に紙魚の棲む      山口 一滴
善かれとて言ひしが齟齬に水中花     佐藤 栄子
夕べには絵本に帰る赤とんぼ       竹花美代惠
ととのへる献上かれひ雪起し       加茂 和己
母に吾を詠みし歌あり晩夏光       中山 桐里




















伊那男俳句  


伊那男俳句 自句自解(46)
            
知命なほさびしくなれば鞦韆に

 前回までの自句自解は、第一句集『銀漢』収録の句で、33歳から48歳までの俳句人生を振り返った。このあとは第二句集『知命なほ』に移る。「知命」の由来は論語の「五十而知天命」である。40にして惑わず、というけれど、惑ったまま、天命を知るといわれる年齢に入った。句集に『知命なほ』と「なほ」を付けたのは、知命の年になったもののまだまだ天命を理解できず、落ち着かない日々を送っている……という気持ちを籠めたものである。有馬朗人先生に『知命』があるが、私にはきっぱりと言い切れない弱さがあった、ということになろうか。この句は黒澤明監督の映画「生きる」で中年の志村喬が夜の公園でブランコに乗っている最後の場面が念頭にあった。ストーリーとは関係無いが、人は何歳になろうとも抱えている淋しさは消えるものではない。それをかみしめて、共に生きていくのが人生ということになろうか。そんな50歳の感慨である。
  
嚏してふつとあの世を見し思ひ

 仏教用語に「彼岸」「此岸」がある。彼岸は「あの世」、此岸は「現世」「娑婆」である。彼岸の概念は恐らく仏教伝来以前から日本人が抱えていたものであろう。人はあの世とは何かを考え続けてあの世に近づいていくのである。だがあの世から戻った人は一人もいないので、あの世のことは不明である。宗教の発生した根源はきっとそこにあるのだと思う。さて句について言うと嚏をするときにはおのずから目を瞑るものだ。普通は目を閉じても何らかの残像があるものだが、嚏の最中にはその残像も消え、暗闇だけが残る。それを「あの世を見し思ひ」と言ってみたのだが、真暗でその正体は不明である。この句を作ってから20年くらいが過ぎようとしている。その間に父、妻、母と見送ったけれど、結局「あの世」がどのようなものか解らずにいる。だが何となくあの世に近づいていることは実感している。それまでの間は日々一所懸命に生きなくてはならないと思っている。


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発売日: 2009/7/8












      


 

伊藤伊那男  俳人協会賞受賞










 去る3月5日、平成30年度の俳人協会四賞の授与式が京王プラザホテルで行われました。
ご存じの通り、伊藤伊那男主宰が句集『然々と』で第58回俳人協会賞を、同人の堀切克洋さんが『尺蠖の道』で第42回俳人協会新人賞を受賞四、銀漢俳句会から4賞の内二賞を頂くという快挙となりました。2019/4/30/更新


















俳人協会四賞・受賞式









更新で5秒後、再度スライドします。全14枚。


 二次会・店内に入りきれない人数でしたが,日曜日とあって店の前の通りも通行が少なく,穏やかな天候の下、外に溢れる受賞者の二人や他結社の方々と交流するなど、思い思いにお酒を楽しみながr懇談を深め,何時までも祝賀会の熱気は冷めることがありませんでした。









 受賞 祝賀会

 伊藤伊那男 俳人協会賞
堀切 克洋  俳人協会新人賞
2019/3/17 学士会館
銀漢亭(二次会)


 月刊「俳句四季」に受賞の記事が掲載されました。
月刊「俳句四季」に受賞の記事掲載は
5月号(4/20発売)か6月号(5/20発売)のどちらかを予定しています。


リンクします。

句集 「然々と」 伊藤伊那男

 
句集「尺蠖の道」
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linkします。



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受賞祝賀会 3月17日 日時 12時 
会場 学士会館 東京神田 


haishi etc
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銀漢の絵はがき


挿絵が絵葉書になりました。
Aシリーズ 8枚組・Bシリーズ8枚組
8枚一組 1,000円

ごあいさつにご利用下さい。



    






   








掲示板





























               

銀漢亭日録

伊藤伊那男

8月

8月20日(火)
カウンターが賑わうのみ。22時、閉めて餃子屋で小酌。昨日から家族沖縄へ夏休み。

8月21日(水)
「三水会」5人。閑散。

8月22日(木)
「銀漢句会」あと16人。

8月23日(金)
「金星句会」あと3人。

8月24日(土)
13時半、九品仏駅集合。「纏句会」10人。九品仏、楸邨の墓参りなど。歩いて東京工業大学。谷岡健彦さんの世話で教室を借りて句会。あと商店街の中の中華屋料理にて親睦会。

8月25日(日)
終日家、選句。酒抜く。昼寝。テレビ。

8月26日(月)
店、閑散。仕込みに終始。家族沖縄から戻る。

8月27日(火)
ひまわり館に「萩句会」選句。あと暑気払いに17名が来て下さる。「ひまわり句会」あと7人。今井肖子、西村麒麟さん他、若手句会のあと7、8人。

8月28日(水)
「雛句会14人。三井康有さん京都から。明日の仕込み。22時閉める。橋野幸彦さんお嬢さんと。

8月29日(木)
水内慶太さん『水の器』出版を祝う会。「月の匣」の方々。銀漢亭仲間50数名集まる。清人さん、気仙沼の牡蠣、海鞘など持ち込む。慶太さん、「すし屋の弥助」から棒寿司10本他。その他、差し入れ沢山。

8月30日(金)
「閏句会」7人。あとは閑散。

8月31日(土)
9時、新宿発あずさ号。茅野駅下車、信州伊那井月俳句大会に併せて諏訪吟行。マイクロバスにて出発。24人。茅野の会員、蜂谷さん参加。神長守矢史料館、前宮、上社を巡り、下諏訪へ。万治の石仏。春宮、御柱の木落とし坂。秋宮を巡り、伊那谷へ。「角八」にて親睦会。伊那の坂下昭さん来て下さる。いつものラーメン店に寄り、「ホテルセンピア」投宿。

9月

9月1日(日)
午前中、三つほどの吟行コースを設定したが、私は遅い出発の伊那部宿巡り。9時半発。伊那街道沿いの宿場。天狗党の通過に昼食を提供した歴史あり。突き当たりの春日城跡は初めて訪ねたが実に見事。織田軍に滅亡したが、今も城址を保っているのに感嘆。13時、「いなっせ」の信州井月俳句大会へ。竹入弘元先生(高校の恩師であり井月研究第一人者)がわざわざ私を訪ねて来て下さる。今年に入ってすっかり弱ってしまい、文字を読めなくなったと。「銀漢」誌を楽しみにしていたが、読めないので、贈呈はここまでと。基金戴く。その為だけに奥様の運転で来て下さったのである。事前投句の選評。親睦会。あと「門」にて少々飲み、飯田線、あずさを乗り継いで21時半帰宅。孫の怜輔、大阪城ホールの「おかあさんといっしょスペシャルステージ」、二公演終えて帰宅。

9月2日(月)
家族、今日から北海道旅行と。歯科、内科と巡る。8月の店の月次表作成。

9月3日(火)
大阪の俳人協会での講演資料作成。店、閑散。

9月4日(水)
「きさらぎ句会」あと5人。「宙句会」あと九人。

9月5日(木)
環順子さんと「パティオ」の仲間4人。「十六夜句会」あと十二人。

9月6日(金)
閑散。大阪の凌雲、茅野の蜂谷さん来店。家族北海道から帰宅。

9月7日(土)
終日家。休養日。11月の諏訪での講演会の構想練りながら、寝たり起きたり……。18時半くらいから打上げ花火の音がしきりに聞こえ、いたたまれず、音の方へ。駅の南側、不動橋に人だかりあり、ここから調布の花火大会が眺望できる。久々の花火。見事。多彩。30分程見とれる。戻って鶏のステーキ。焼茄子、若布と胡瓜のサラダ、鯉のうま煮等で家族揃って夕食。担当私。

9月8日(日)
成城仲間の山口敬子さん逝去。弔問す。47歳は悲しい。村上喜代子『軌道』評。角川「俳句」11月号へ4枚ほど。夜、家族揃って鶏鍋、若布と大根のサラダ、蛸刺など。担当私。台風襲来。

9月9日(月)
昨夜の台風で家のオリーブの木が倒れ、歩道を塞いでいる。店、ずっと関西で暮らしていたという石動敬子さん。伊那北高校後輩代田さん(月野ぽぽなの同期)。寺沢和雄、阪西敦子さん、閑散にて皆で雑談。

9月10日(火)
大阪の俳人協会での講演レジメ、播广事務局長へ送る。店「火の会」9人。全体閑散。

9月11日(水)
発行所「梶の葉句会」選句。鶴巻貴代美さん5人。硯児さんと話。毎日新聞の森さん3人。清人、羽久衣、近恵さん。22時閉める。

9月12日(木)
店、井上井月顕彰会の面々集合。来春の「井月忌の集い」の打ち合わせ。店、「白熱句会」。檜山哲彦、佐怒賀正美、木暮陶句郎、小山徳夫、藤田直子さん。厨房にいて、ほぼ参加できず。同時に「極句会」あり、15名ほど。

9月13日(金)
「写真とコトノハ展」の最終日。19時より幹事の倉田さん他12人の打上げ会。21時より入れ替わりに「大倉句会」あとの25人ほど。皆川文弘さん。

9月14日(土)
10時、運営委員会。13時、麹町会館にて「銀漢本部句会」。59人。あと中華料理店にて親睦会。帰宅して娘夫婦と四方山話。

9月15日(日)
14時過ぎ、京都着。阪急電車。洛西口下車。物集女街道に出て物集女城跡、物集女車塚古墳を見て、野村證券明生寮跡へ。48年前に入居。2年程いた思い出の地。今は大きなマンションに。向かいの竹内理髪店は今もやっていて、散髪して貰う。御主人は10年前逝去と。夫人は75歳になると。何とも懐かしい。町に戻り、寺町京極の「スタンド」。生ずしと小芋で小酌。16時、「しん」。ぐぢ、赤身、万願寺。「六曜社」でコーヒー。20時過ぎ、祇園の麻利子さんの店。伊那北高校の同期が寄る店。「相鉄フレッサイン」泊。

9月16日(月)
ホテルでゆっくり。10時、「高木珈琲」でモーニングセット。最近はここが気に入っている。電車で亀岡へ。大本教の「天恩郷」がある亀岡城跡を見学。みろく会館ギャラリーで大本教の歴史などのビデオを見る。亀岡城下を散策。二条駅に下車し、神泉苑を覗くなどしながら町中へ。「イノダコーヒ三条支店」で休憩。うとうと。遊び疲れか。「たつみ」「スタンド」とB級グルメに寄り、今日はそこまで。早々にホテルに帰る。

9月17日(火)
11時、大阪北浜に着く。近くで朝昼食。大阪は右も左も解らない。大阪ホールにて、俳人協会関西支部の講演会。一部の前田攝子さんの近江の季語について聞く。二部が私。「井上井月に見る酒と食の季語」について1時間10分講演。あと「懐い古や」にて親睦会。講演には「春星句会」の皆さん聞きに来て下さり、親睦会にも。あと、茨木和生先生、朝妻力さん、田中春生さんを始め、20名ほどで茨木の朝妻力さん行きつけの「庄助」さんへ。何と、河豚料理一式用意あり。22時過ぎまで歓談。ホテルクレストいばらき投宿。

9月18日(水)
9時半、ホテル出て、新大阪。構内で茶漬の朝食。14時、東京に戻り、そのまま店に入る。
「三水会」7人。後輩の代田さん、たまたま来店して、加わる。駒ヶ根の先輩、今井さん久々来店されて加わる。そこへ、駒ヶ根商工会議所会頭山浦会長(ヤマウラ社長)他、会議所の面々6名が上京したとて寄って下さる。わざわざ店を捜して来て下さったのである。22時半、閉めて、今井さんに誘われて、「クラインブルー」へ。今井さん、83歳というのにお元気。

9月19日(木)
広島の樫村さんを囲む会とて宗一郎、黒岩さん他七人ほど。宗一郎さん還暦。「銀漢句会」あと10人。入沢さん4人など

 9月20日(金)
発行所、「蔦句会」。あと店へ九人。そのあとは閑散。ラグビーワールドカップ、日露戦の為か。21時、閉店す。帰宅すると成城仲間のくみちゃん来ていて一緒に歓談。

 9月21日(土)
13時半、品川駅構内「十六夜句会」「大倉句会」の品川合同吟行会にゲスト参加。構内の郵便ポスト、ゴジラ記念印などを見て、旧東海道品川宿へ。いづみさんの案内見事。品川寺まであちこち見て歩く。17時より、「ごっつ」という居酒屋にて、5句出し句会と懇親会。更に大井町まで歩き、酒場街へ。二次会。










         
    






今月の季節の写真/花の歳時記



2019年11月21日撮影  クリスマスリース  from hatioji





クリスマスリース
クリスマスまで一ヶ月。贈り物用に制作しています。1年かけて八王子で収穫した自然のおくりものを素材を中心に・・。
銀杏黄葉 姫蔓蕎麦 穭田 ミセバヤ 石蕗

桂黄葉 いちょう祭り クリスマスリース

写真は4~5日間隔で掲載しています。 
2019/11/14  更新





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