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 1月号  2019年




伊藤伊那男作品 銀漢今月の目次 平成30年優秀作品集 第8回「銀漢賞」作品
銀漢の俳句 盤水俳句・今月の一句  
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伊藤伊那男作品







主宰の16句


















        
             

平成30年優秀作品集


平成30年度 優秀作品集




   
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第8回「銀漢賞」作品


平成30年度 第8回「銀漢賞」作品













        
             

今月の目次





銀漢俳句会/2019/1月号


     
















  




   



銀漢の俳句 

伊藤伊那男 


◎ふたたび義仲と芭蕉と
 木曾義仲と芭蕉について、昨年12月号のこの欄に書いた。そのあと招待された「雲の峰」(朝妻力主宰)年次総会の講演で何を話そうか、と翌日の吟行日程を見ると、何と、木曾義仲首塚を訪ねるとある。京都に義仲の首塚があるとは! 私は全く知らずにいたのであった。先般訪ねた木曾町日義の徳音寺、木曾福島町興禅寺に各々義仲の墓がある。これは義仲の傍系の末裔の木曾氏が戦国期にかけて勢力を持った時期、出自を誇示することを狙って建てた供養塔である。当然のこと、ここには遺骨はない。近江大津市膳所義仲寺にももちろん遺骨はない。義仲寺の成立については、義仲の死後年を経て粟津の地に巴御前と思われる一人の尼が庵を結び、義仲の菩提を弔ったことが縁起という。戦国期に近江国守護佐々木六角氏が寺を再興して今日に到るという。さて義仲の首のことである。義仲の首は六条河原に晒されたあと、東山法観寺に葬られたという。法観寺は現在、八坂塔(やさかのとう)として遺されているばかりだが、当時の寺域は今よりもはるかに広大であった。首塚は、かつては一筋の北の護国寺に登っていく道沿いにあったというが、現在は塔の敷地の一隅に移されている。小さな一石五輪塔と朝日将軍木曾義仲塚と彫られた石碑がある。
 さて芭蕉には義仲を詠んだ句が2句あることも前回紹介した。
②  義仲の寝覚めの山か月悲し
② 木曾の情雪や生えぬく春の草

 時系列で見ていくと、元禄元年に『更科紀行』の旅があったが前述のように木曾路を通過しながら義仲には触れていない。①は元禄2年『おくの細道』の途次、倶利伽羅峠の手前、燧ヶ城の跡を通った折の句である。②は元禄3年作。つまり2句共『おくの細道』以降の句ということになる。陸奥の旅で、佐藤兄弟を偲び、高館で義仲の最期に袂を濡らした。また前述の義仲の事跡を通り、そのあと福井で、幼児の義仲の命を救いながらも、後年ここで義仲と対峙して果てた斎藤別当実盛の兜に〈むざんやな甲の下のきりぎりす〉の句を残した。そのように旅を続けるに従って義経、義仲への理解を深めていったのではないか、つまり『更科紀行』の旅の頃はまだ義仲を評価していなかったのではないか、というのが私の想像するところである。もちろん芭蕉の紀行文の中の『鹿島紀行』『更科紀行』の二つは只々月を見ることが目的なので、あえて余分なことは書かなかった、という説があることも知った上である。















 



  

盤水俳句・今月の一句

伊藤伊那男
 
正月の凧入間野の松の上          皆川 盤水
 
句は埼玉県所沢市の志城柏氏の新居訪問の属目。氏は本名 目崎徳衛。国文学者であり、「風」創刊同人であった。郷里の新潟県小千谷中心の俳誌「花守」を主宰した。沢木欣一に〈赤松の冬日新室寿ぎにけり〉があり、2人の句に「松」が入っているところから見て、新年の挨拶を兼ねて一緒に訪問したものと思われる。所沢を歴史的地名「入間野」に置き替えて雅さを醸し出している。同時作〈秩父嶺に雪来しといふ初電車〉もいい
                            (昭和50年作『定本板谷峠』所収)













  
彗星集作品抄
  伊藤伊那男
此のごろの空の騒つき小鳥来る       唐沢 静男
逆上がり出来た日の空鰯雲         長谷川千何子
しばらくは瀬尻に群れて下り鮎       杉本 アツ子
豊年の風にふくらむ角隠し         渡辺 花穂
月光の油となりし京の屋根         高橋 透水
橡の実のまつすぐに地を叩きけり      北澤 一伯
仕舞屋と見紛ふ寺や金木犀         長谷川明子
執拗な風にかみつく石榴かな        小川 夏葉
秋桜風に諾ひ風返す            堀江 美州
次々と風は名を変へ冬そこに        杉阪 大和
村歌舞伎内弁慶が弁慶に          谷岡 健彦
松手入終へたる庭に海を見る        上村健太郎
鳴くほどに鈴虫の翅透きとほる       武井まゆみ
一村を知り尽したる捨案山子        齋藤 克之
華やかに欲の渦巻く酉の市         塚本 一夫
鈴虫や廊下の長き湯治宿          武井まゆみ
待針の頭の重さ冬ひばり          片山 一行
訪ね来てかりがね寒き近江かな       中野 智子
竜田姫が手櫛で梳きし雲ならむ       谷口いづみ
針箱の裏の旧姓後の月           夲庄 康代




















彗星集 選評 伊藤伊那男

  
此のごろの空の騒つき小鳥来る       唐沢 静男
 秋、北方から日本へ避寒のために渡来する鳥、その中でも小型種の鳥を総称して「小鳥来る」の季語がある。姿の美しい鳥、鳴き声の美しい鳥などに会うことができて楽しみである。そんな作者の心の昂りが「空の騒つき」の表現になったのであろう。只それは作者個人の昂りだけではなく日本の風土全部が待ちわびていると、普遍性を持たせたところがこの句の良さである。喜びの表出である。

 
 逆上がり出来た日の空鰯雲        長谷川千何子
 皆の思い出の中にある昔日の風景である。私は伊那谷の小学校の校庭の鉄棒であったか……中央アルプス、南アルプスが逆さに見えた。この句は鰯雲を見つつ一回転したのである。「秋の雲」というと私は上田五千石の〈秋の雲立志伝みな家を捨つ〉を思い出す。伊那谷を囲む山の向うに何があるのだろうか、掲句からそんな思い出が甦るのである。

 
 しばらくは瀬尻に群れて下り鮎      杉本アツ子
鮎は秋深くなった頃、下流に下り、川底に産卵する。産卵を終えると体力を消耗して海に流れて死ぬ。この句は産卵に下りた瀬尻。産卵直前のもの、後のものもいるのであろう。屯しているのだが、死はすぐそこにある。自然界の摂理を淡々と詠んだ。 
 
  
豊年の風にふくらむ角隠し         渡辺 花穂
 父の弟の嫁取りの時、私は稚児役で和服で迎えた。三々九度の酒をつぐ役である。花嫁は家に着くと介添役が履いてきた草履を茅葺屋根の上に放り投げる。もう帰ることはできない、という覚悟の所作なのであろう。この句は刈入れも終った頃であろうか、豊年の喜びの中のこと。「風にふくらむ」の措辞が何とも豊かである。 

  
月光の油となりし京の屋根         高橋 透水
京都の町屋は行く度に消えて駐車場などになっていく。和服産業の衰退で室町通り周辺は壊滅的である。宿や飲食店に変ってもいいから建物が残ってほしい、と思う。それでも高い建物から眺めると甍を連ねた一角などが見えてほっとする。その黒い瓦が月光を浴びててらてらと反射することを「油となりし」と大胆に詠んだのである。

  
橡の実のまつすぐに地を叩きけり      北澤 一伯
 橡の実という重量のある木の実だからこその実感である。最近の俳句は技術を駆使する傾向があり、もちろんそれは良いのだが、掲句のように単純に詠む句には心の安らぎを感じるのである。俳句の基本はこういうところにあると私は思っている。

  
仕舞屋と見紛ふ寺や金木犀         長谷川明子
確かにこんな寺がある。金木犀の香で存在を知るのだ。

  
執拗な風にかみつく石榴かな        小川 夏葉
あの独特な形状の石榴だからこその「かみつく」の措辞。 

  
秋桜風に諾ひ風返す            堀江 美州
対象物を丁寧に詠んだ。「風」のリフレインがいい。 

  
次々と風は名を変へ冬そこに        杉阪 大和
「秋風」「白風」「金風」「爽籟」……なるほど。 
 
  
村歌舞伎内弁慶が弁慶に          谷岡 健彦
川柳に近い技法だが、これはこれで面白い。 

  
松手入終へたる庭に海を見る        上村健太郎
海辺の邸宅。一気に海が展けたのである。新鮮な景。 

  
鳴くほどに鈴虫の翅透きとほる       武井まゆみ
 摺り合わせる羽の動きをよく観察した句。

  
一村を知り尽したる捨案山子        齋藤 克之
「知り尽したる」が面白い視点。だが最後は捨てられる。 

  
華やかに欲の渦巻く酉の市         塚本 一夫
「欲の渦巻く」の把握が眼目。華やかな欲がいい。

  
鈴虫や廊下の長き湯治宿          武井まゆみ
継ぎ足しを重ねて段差のある廊下。どこかに鈴虫が。 

  
待針の頭の重さ冬ひばり          片山 一行
「頭の重さ」は実によいのだが、季語は動くか? 

 
 訪ね来てかりがね寒き近江かな      中野 智子
実にうまい句。完璧な嘘をつかれた感じさえする……。

  
竜田姫が手櫛で梳きし雲ならむ       谷口いづみ
 空想上の季語だからこそ、このように思い切り遊ぶ手も。

  
針箱の裏の旧姓後の月           夲庄 康代
類想感は逸れないが季語の配合もよく美しく仕上げた。 






   












銀河集作品抄

伊藤伊那男・選

夜寒呼ぶ風となりたる坊泊り       東京  飯田眞理子
荷の隙にずいきを詰めて親便り      静岡  唐沢 静男
敷くものに雨の音して零余子かな     群馬  柴山つぐ子
散り敷きて裏の明るき朴落葉       東京  杉阪 大和
鉦叩内緒ばなしを聞くやうに       東京  武田 花果
筑波まで五百重の金波稲の秋       東京  武田 禪次
黄落に信号の色見失ふ          カナダ 多田美記
宝塚へと敬老の日の母と         東京  谷岡 健彦
目薬の半ばは胸に星月夜         神奈川 谷口いづみ
花野原にぎにぎしきはパレットも     愛知  萩原 空木
生まれ月なれば
神無月余るいのちをはかりもし      東京  久重 凜子
鳥渡る干物のにほふ浜を発ち       東京  堀切 克洋
豊漁の秋刀魚が空から降つてくる     東京  松川 洋酔
大鍋を据うる鎮守の秋祭         東京  三代川次郎









         





綺羅星集作品抄

                伊藤伊那男・選 

体育の日叩きにたたく紙相撲      東京  白濱 武子
亡き妻をよく知る人のゐて秋思     東京  山元 正規
銭湯に富士を眺むる終戦日       神奈川 こしだまほ
鳥渡るスカイツリーを灯台に      東京  中村 孝哲
豊漁の秋刀魚路地ごと焼けてをり    東京  保谷 政孝
画布はまだ何いろも無き花野かな    埼玉  中村 宗男
子規庵の根元の細き糸瓜棚       東京  我部 敬子
菊供養やや萎れしを有難く       東京  朽木  直
白檀の香も持ち帰る菊供養       東京  畔柳 海村
次にまた会へるかどうか温め酒     東京  福永 新祇
藁塚(にお)に声かけられさうな日暮れどき   東京  小泉 良子
とろろ擂る金婚式まであと二年     埼玉  志村  昌
とろろ汁とは言へ少し嚙みなさい    千葉  白井 飛露
コスモスや画布に描きたす風の筋    埼玉  池田 桐人
講額の形色々きのこ汁         東京  武井まゆみ
蛇笏忌や露ひとつぶに詩を興す     神奈川 大野 里詩
歴代の秋思帳場の脇息に        和歌山 笠原 祐子

能書きの多き男のとろろ汁       東京  相田 惠子
宿坊の写経の一夜新豆腐        神奈川 秋元 孝之
胡桃割る夜の遺影の微笑かな      神奈川 有賀  理
秋祭湖底に眠る神社跡         東京  有澤 志峯
水引の花の影さへ見当たらず      東京  飯田 子貢
月明の木目清らに女身仏        埼玉  伊藤 庄平
落日を表裏に留め黄落す        東京  伊藤 政三
暗闇は海の底から秋の夕        神奈川 伊東  岬
落栗のどれも実の無し神の山      東京  今井  麦
我が丈の五尺六寸天の川        東京  上田  裕
生きてゐる色を纏うて菊人形      東京  宇志やまと
庭中が白白しろの貴船菊        埼玉  梅沢 フミ
神領の十戸鹿垣めぐらしぬ       埼玉  大澤 静子
蜂の子を嚙めば生国歩みくる      東京  大住 光汪
卒五十年校門の秋惜しむ        埼玉  大野田井蛙
猪垣の神籬に似て御岳かな       東京  大溝 妙子
爽やかや磨いて広き窓ガラス      東京  大沼まり子
短日や一日一事ねむごろに       東京  大山かげもと
相模湾の潮目いく筋小鳥来る      東京  小川 夏葉
いつも輪の外にゐる子や鱗雲      宮城  小田島 渚
車麩の熱き越後の茸汁         埼玉  小野寺清人
秋の富士裾野に雲を従へて       神奈川 鏡山千恵子
燈火親しローマは道を敷き続く     東京  梶山かおり
螻蛄鳴きまた増えてゐる処方箋     愛媛  片山 一行
佐渡院の跡の野分の三日三夜      東京  桂  信子
蓑虫の綴り初めは大きめで       高知  神村むつ代
芯強き母の面影秋桜          東京  川島秋葉男
骨組みの矩形をかぞへ張る障子     長野  北澤 一伯
木曽谷の底に風呼ぶ秋桜        東京  柊原 洋征
秋郊や川幅拡げ飛鳥川         神奈川 久坂依里子
コスモスに風透きとほる信濃かな    東京  小林 雅子
追伸のはうが重大おけら鳴く      東京  小山 蓮子
段飾りして奉納の今年酒        長崎  坂口 晴子
手鏡を伏せて身に入む夕べかな     千葉  佐々木節子
青海苔の香に引き立ちてとろろ汁    長野  三溝 恵子
旧番地残れる門や松手入        東京  島  織布
御嶽学校の跡地にままこのしりぬぐひ  東京  島谷 高水
秋刀魚並ぶ波の光を留むるかに     兵庫  清水佳壽美
秋祭鯉さばく父遠巻きに        東京  新谷 房子
十分と思ふ明るさ十三夜        大阪  末永理恵子
次々とリフト花野の空へ発つ      静岡  杉本アツ子
泥付きの農具乾かす芋嵐        東京  鈴木 淳子
戸ごと引くたつきの水の澄む郡上    東京  鈴木てる緒
実柘榴や民話の中に旅をして      東京  角 佐穂子
秋灯八一の歌を書き留めむ       東京  瀬戸 紀恵
吊し柿紐のゆるびもそれなりに     神奈川 曽谷 晴子
猫跳んで月の兎を捕らむとす      長野  高橋 初風
石投げて月光の沼驚かす        東京  高橋 透水
別れ来て釣瓶落としの異境かな     東京  竹内 洋平
蚯蚓鳴く吉良邸跡の井戸の蓋      東京  多田 悦子
勝ち負けをからだごと知る運動会    東京  田中 敬子
秋のばら春のばらより凜然と      東京  谷川佐和子
姥捨の伝へある村地虫鳴く       東京  塚本 一夫
けふの宿きのふの宿もちちろ鳴く    東京  辻  隆夫
花野からもどり普段にもどりけり    愛知  津田  卓
火炙りに噴火で返す秋刀魚かな     東京  坪井 研治
ほんたうの空を智恵子の星流る東京   埼玉  戸矢 一斗
知らぬまに片付いてゐる秋団扇     大阪  中島 凌雲
白桃剝く天のひかりをしたたらせ    東京  中西 恒雄
青空に風で詩を描く秋桜        神奈川 中野 堯司
赤飯を嚙みしめてゐる敬老日      東京  中野 智子
十五夜の道のびてゐるふるさとへ    茨城  中村 湖童
ままごとの母の口真似女郎花      東京  西原  舞
先住は嫁が君なる官舎かな       東京  沼田 有希
おほかたは神の名知らず秋祭      東京  橋野 幸彦
穴に入る蛇は故郷に帰るごと      広島  長谷川明子
ふるさとの友の恙や鳥渡る       神奈川 原田さがみ
七十路の引手を募る秋祭        兵庫  播广 義春
鯉はねて今宵の月を誘ひ出す      東京  半田けい子
敬老日逆縁なきが孝行と        東京  星野 淑子
空稲架を鳴かせて日本海の風      東京  堀内 清瀬
蔓引けば瀬音高まる葛の花       岐阜  堀江 美州
大井戸の井桁の反りや竹の春      埼玉  夲庄 康代
風花や手に届かざる天の声       東京  松浦 宗克
一筋に点を繫いで水引草        東京  松代 展枝
木の実落つ音を合図に木の実降る    東京  宮内 孝子
夜の闇に息づくやうな菊人形      神奈川 宮本起代子
秋気澄む身を輪切りをる超音波     千葉  無聞  齋
打ち晴れてもどる暑さの秋簾      東京  村上 文惠
天高し二歳新馬のファンファーレ    東京  村田 郁子
柿甘し華やぎのある余生なれ      東京  村田 重子
ペン光る運動会の新聞部        東京  森 羽久衣
強振の果ての三振天高し        千葉  森崎 森平
豊の秋天下分け目の戦場も       埼玉  森濱 直之
草虱古き野良着を好みたる       長野  守屋  明
夢いくつ捨てて花野に辿り着く     愛知  山口 輝久
六面に切られて芋の真つ白に      東京  山下 美佐
羨道(せんどう)の闇の奥処に秋の声        群馬  山田  礁
澄む秋や室戸岬の空と海        愛媛  脇  行雲
ひよんの笛ときには神を呼ぶ音に    東京  渡辺 花穂
愁思ふと生命線を見る一日       埼玉  渡辺 志水





          











     







銀河集・綺羅星今月の秀句

伊藤伊那男

体育の日叩きにたたく紙相撲       白濱 武子
安易な「体育の日」である。自分では身体を動かさず、紙相撲に代理を務めさせているのだ。それでも一所懸命に叩いている、というところにユーモアが籠る。ちなみに「体育の日」は東京オリンピックの開催日を記念した祝日。少し安易な設定の感じもある。 

亡き妻をよく知る人のゐて秋思      山元 正規
作者は最近奥様を亡くされている。亡くなったことを知らずに連絡をしてくる方や、結婚前の友人が霊前を訪ねてくることなどもあろう。長年連れ添った夫婦でも知らないことは沢山ある。そんな話を聞いて驚いたり笑ったりする。残された男の哀愁が惻々と伝わる句であった。


銭湯に富士を眺むる終戦日        こしだまほ
銭湯の数が激減してきたのは残念だが、その分家庭の生活が豊かになった証でもあり、やむを得ないことだ。私も学生時代の最初の頃、銭湯に通ったが、ペンキ絵の富士山を眺めるのは安らぎであった。富士山の持つ偉大な力である。作者をもちろん戦争を知らない世代であるが、「終戦日」を配したことで、映像で知ったことや、祖父母、両親などから聞いた話などを回想しているのである。ペンキ絵の日本の象徴としての富士山であるところに、別の解釈も出てくるかもしれない。 


鳥渡るスカイツリーを灯台に       中村 孝哲
スカイツリーが開業した頃、各結社誌におびただしい数のスカイツリー絡みの句が出たものだ。私も〈スカイツリーとは大いなる陽炎か〉という句を作り、それは『新東京吟行案内』(俳人協会編)に例句として掲載されている。ひと通り詠まれたあとの今、この句を目にしたが、都会生活の一部に定着したのだな、と思う。鳥たちはスカイツリーを灯台として日本を目指して渡ってくるというのだ。都市と自然の営みを知的に融合させた作品である。 


豊漁の秋刀魚路地ごと焼けてをり     保谷 政孝
きっと一昔前の風景なのであろう。今はよほど広い庭のある家なら別だが、町中ではすぐ苦情が出てきそうである。少し前の東京の下町では路地に七輪を出して焼いたのである。お互い様の生活である。豊漁ともなればどこの家でも秋刀魚を焼くので、まさに「路地ごと焼けて」いるように見えるのだ。懐かしい風景で、誇張表現が生きている。


画布はまだ何いろも無き花野かな     中村 宗男
キャンバスを花野に据えたばかりのところであろう。画布にはまだ何も書かれておらず、花野の中で白さが異様に目立つ仕掛である。読者はその色のコントラストにはっとするのである。このあと画布はだんだん花野の一部になっていく。 


子規庵の根元の細き糸瓜棚        我部 敬子
私も以前訪ねた時、あれ、糸瓜の茎が細いな、と感じた記憶がある。ただそのことを言っているだけであるが、短命であった子規の人生にも重なるものを感じるのである。そうしたことを僅かながら匂わせるところに写生句の誠実さがある。 


菊供養やや萎れしを有難く        朽木  直
白檀の香も持ち帰る菊供養        畔柳 海村
浅草寺の菊供養は境内でも売られている菊の一枝を祭壇に捧げ、替りに既に供えてある一枝を貰って帰るというものである。菊の花は行ったり来たりするので、少し萎れ始めている。だが浅草寺の功徳を受けた菊なので、「有難く」となるのである。畔柳句は本堂の入口で白檀の抹香を戴き、両手に擦り合わせるので、菊の香ばかりではなく白檀の香も一緒に帰る。そのような菊供養の特徴をよく観察しているのである。「菊供養」をきっちりと詠んだ二句。


次にまた会へるかどうか温め酒      福永 新祇
この歳になると、友人と会うたびに次はお互い息災でいられるかどうか……と切実に思う。「温め酒」の季語が実にいい。友情も温めているのである。「温め酒」を「ぬくめざけ」と詠む人が多いが、正式には「あたため酒」。字余りで構わない。


  

()()に声かけられさうな日暮れどき   小泉 良子
藁(わら)塚(づか)には私も人の気配のようなものを感じることがある。「声かけられそうな」がまさに実感である。その藁塚も昨今は見掛けることが少なくなった。刈り取ったらそのまま全部脱穀、乾燥機へ入ってしまうのである。


 その他印象深かった句を次に

とろろ擂る金婚式まであと二年      志村  昌
とろろ汁とは言へ少し嚙みなさい     白井 飛露
コスモスや画布に描きたす風の筋     池田 桐人
講額の形色々きのこ汁          武井まゆみ
蛇笏忌や露ひとつぶに詩を興す      大野 里詩
歴代の秋思帳場の脇息に         笠原 祐子


















               

 



 
星雲集作品抄
伊藤伊那男・選

秀逸

寝る前のココアに溶ける夜寒かな   埼玉  萩原 陽里
鍬鎌を上座に据うる秋祭       東京  保田 貴子
子と同じ重さの今年米を抱く     神奈川 星野かづよ
籠溢る秋草の野にあるやうに     東京  辻本 芙紗
秋ともし駅名古き旅の本       東京  山田  茜
山入れば祖父獣めく茸狩       東京  豊田 知子
朝霧や前行く夫と半世紀       東京  福原 紀子
秋扇で送りし風の所在なさ      東京  小林 美樹
菓子胡桃右脳左脳の如く割れ     長野  坂下  昭
山鴉釣瓶落しの日を追うて      東京  立崎ひかり
これもまた男料理ぞ秋刀魚焼く    東京  田家 正好
焦げ癖の消えぬ鉄板秋祭       東京  生田  武
木犀の手足搦むる匂ひかな      埼玉  小野 岩雄
身に入むやデザートのごと薬飲む   東京  久保園和美
父母の名を束子で洗ふ秋彼岸     東京  絹田  稜

好きな木の沢山ありて落葉降る    京都  小沢 銈三
草紅葉ピートの上の蒸留所      神奈川 北爪 鳥閑
ライオンに猫の仕草や秋うらら    東京  北原美枝子
太刀魚の己を研ぎて切られけり    静岡  山室 樹一
遠山も谷戸田も淋しおどし銃     神奈川 堀  英一







星雲集作品抄

            伊藤伊那男・選

秋刀魚の眼濡れて市場の最後の日   東京  秋田 正美
父居らぬ夜長の振子時計かな     埼玉  秋津  結
こそばゆき夫の言ひ訳とろろ汁    東京  朝戸 る津
ラ・フランス歪な形画()に立たす    東京  尼崎 沙羅
朝寒や浅瀬を渡る鷺親子       愛媛  安藤 向山
子規庵の一隅照らす鶏頭花      東京  井川  敏
擂粉木の調子上々薯蕷汁       長野  池内とほる
送り火や伯父六人に叔父一人     東京  石倉 俊紀
菊膾法事の膳のひとつ減り      東京  伊藤 真紀
蔵人の締込み白し今年酒       神奈川 伊藤やすを
秋遍路二時間待ちのバス来たる    高知  市原 黄梅
運動会同期寄贈のテントあり     埼玉  今村 昌史
陽に向ひ風のままなる秋桜      愛媛  岩本 青山
佐渡消えて佐渡現るる秋の潮     東京  上村健太郎
秋茜土佐も奥なる馬路村       愛媛  内田 釣月
病室の窓に常念天高し        長野  浦野 洋一
秋夕焼無事の下山に黙礼す      神奈川 大田 勝行
生きて居ればいろいろありて秋彼岸  東京  岡城より子
むさし野の虫を尽くして虫しぐれ   東京  岡田 久男
久方の晴天まぶし晩稲刈る      群馬  岡村妃呂子
生き抜いて十日の菊もよき風情    神奈川 小坂 誠子
敷石の窪みに水や色鳥来       静岡  小野 無道
柿すだれ隙間に覗く甲斐の山     静岡  金井 硯児
一位の実一位と書いて小さき実    東京  釜萢 達夫
かの年の成人の日や朴歯下駄     福井  加茂 和己
潮風の中に小春や浜離宮       長野  唐沢 冬朱
ひとりゐの一人に茹でる衣被     神奈川 河村 啓
旭岳雲に隠るる冬隣         愛知  北浦 正弘
湯西川落人めきてきのこ汁      東京  倉橋 茂
手土産の母の秘伝の栗強飯      群馬  黒岩伊知朗
団栗のつぶてがひとつ樹下の道    群馬  黒岩 清女
真すぐに秋気貫くケーブルカー    愛知  黒岩 宏行
茄子紺の空を広げて野分去る     東京  黒田イツ子
薬売り縁も運びて秋うらら      神奈川 小池 天牛  
鏡井戸心映すや虫の声        群馬  小林 尊子
 永平寺
法堂に衣摺れ爽やか僧の列      宮城  齊藤 克之
心より大和の香り菊膾        神奈川 阪井 忠太
秋うらら前歯抜けたる子と話す    長野  桜井美津江
村繫ぐ川のせせらぎ鰯雲       東京  佐々木終吉
今少し日差しの欲しい晩稲刈     群馬  佐藤 栄子
実山椒一茶の里に香の清ら      群馬  佐藤かずえ
  善光寺
秋日和御数珠頂戴跪く        群馬  佐藤さゆり
曼珠沙華咲き終へ棒のごとくあり   東京  島谷  操
秋日和バスの一番前に座す      東京  清水美保子
時に鳴き時に乱れて鳥渡る      神奈川 白井八十八
卓袱台にエース登場木の実独楽    東京  須﨑 武雄
七十の手習ひ先づは大根蒔く     岐阜  鈴木 春水
取り去りし巣ありし軒に孤蜂舞ふ   群馬  鈴木踏青子
海風の色ひろげゆく花野かな     愛知  住山 春人
鰯引く船に鷗の応援歌        埼玉  園部 恵夏
干柿や平家の里の軒先に       東京  髙城 愉楽
登高のごとし庁舎の展望台      福島  髙橋 双葉
新米や故里産も店に有り       埼玉  武井 康弘
かけ流す湯舟で掬ふ夕月夜      三重  竹本 吉弘
寄進札まばらに貼られ秋祭      神奈川 田嶋 壺中
馬柵越しに鬣なびく夕芒       東京  田中  道
ころがれば拾ひたくなる木の実かな  神奈川 多丸 朝子
鰯雲ふるさと不漁の知らせあり    東京  手嶋 惠子
叢雲のあるも眺めて窓の月      大阪  辻本 理恵
あれあれで通じる会話秋深し     神奈川 長濱 泰子
花野来て花の名一つ知らざりき    東京  橋本  泰
とんぼうに止まられて手の置きどころ 東京  長谷川千何子
里山は毒茸ばかり残りをり      長野  蜂谷  敦
大玉の西瓜男手借りて切る      神奈川 花上 佐都
茘枝熟るおぞましきほど実の赤し   長野  馬場みち子
通り抜け禁止の路地も秋の風     千葉  平山 凛語
花芒活けて野の風呼び込めり     東京  牧野 睦子
一人家の灯がまだ点かず秋の暮    神奈川 松尾 守人
陽は揺らぎ風は独語の大花野     愛知  松下美代子
江ノ電の二駅歩く秋の旅       京都  三井 康有
やや寒し己ではない声になり     東京  八木 八龍
御降や為すこともなく日が暮るる   東京  家治 祥夫
鰯雲脛で挟みて逆上がり       東京  矢野 安美
読まずして古本となる秋の暮     東京  山口 一滴
草の実や子等とひと日のかくれんぼ  群馬  山﨑ちづ子
古希過ぎてゆつくり生きる鰯雲    神奈川 山田 丹晴
今年酒上棟までを待ちわびる     高知  山本 吉兆
秋彼岸記憶の中の母笑顔       群馬  横沢 宇内
梨の他名物もなし梨送る       神奈川 横地 三旦
雁渡る羽音届かぬ地にありて     神奈川 横山 渓泉
懐メロのラジオ身に入む夜更けかな  千葉  吉田 正克
潮騒や雲間に透かす今日の月     山形  我妻 一男
大花野抜けて天上八つの峰      神奈川 渡邊 憲二
二人して薬のむ窓小鳥来る      東京  渡辺 誠子
枝折戸を開けば爆ぜる鳳仙花     東京  渡辺 文子

















星雲集 今月の秀句

伊藤伊那男

寝る前のココアに溶ける夜寒かな     萩原 陽里
夜寒がココアに溶ける――ガチガチの写生派の方の中には、一体どういうことなのか、と異論が出るかもしれない。最近はこのような省略、あるいは転換を用いる俳句が増えているように思う。西洋詩であれば平気で行われる技法のようだが、俳句でどこまで折り込んでゆけるのか‥‥。この句はそのような志向にあるが、私には諾える感性の良さだと思う。写生派であれば
「――ココアに溶ける夜寒の身」になるのかもしれないが、むしろ古い形の「夜寒かな」で結んだところがかえって新鮮である。同時出句の〈夜寒さや身にある首と云ふところ〉も「首」に焦点を絞った感覚の良さ。〈吟行の吾に秋晴れついてくる〉はそこはかとないユーモア。 


鍬鎌を上座に据うる秋祭         保田 貴子
 きっちりと詠んだ写生句である。春から秋まで活躍した農具を飾り感謝を捧げる。思えば耕作という文化は「鉄」から生まれているといってもいい。今も続く日本人のDNAの中に鉄の農具への感謝の念は息づいているのである。そうしたことを「上座に据うる」が的確に捉えているのである。私情を入れないで「物」で詠み切った成果である。同時出句の〈母もまた母恋しがり秋桜〉は反対にほどよい抒情の滲む句。読み終った五七五のあとに作者の「私も母を」という言葉が省略されていることに気が付く。「母もまた」のたった一文字の「も」の絶大な効果である。


子と同じ重さの今年米を抱く       星野かづよ
 私の子供や孫達を見ていると、日本人も変ってきてしまったのかな‥‥と思うときがあるが、私達団塊の世代は、米を残すことができない。盛られたら一粒のごはんも残さないし、釜の底に張り付いたごはんも丁寧に剝がす。そのような私から見ると「同じ重さの」が心に響くのである。もちろん作者は「重量」を詠んだだけなのかもしれないが、私には収穫への感謝の重さ、思いが加わるのである。命と同じ重さである。同時出句の〈化粧水入れ入れと冬支度〉は男には詠めない句で、「冬支度」で詠んだ珍しいタイプの句ということになろう。いい感性を覗かせた。


秋ともし駅名古き旅の本         山田  茜
私事だが、日本地図を手許に置きたくて、先日ブックオフに寄った折に一冊買った。発行時の価格の四分の一位の値段であった。内容は実にいいのだが、よく見ると東北新幹線の盛岡から先はまだ開通しておらず、点線の状態であった。人口減少と市町村の統合などにより廃線、廃駅が頻出している。そのようなことがこの句の背景にある。小さな駅の薄暗い秋灯のもとで古いガイドブックを開いている様子が面白く、ほのかな旅愁が漂う。同時出句の〈豊の秋見上ぐる山はご神体〉も旅の一景であろうが、「ご神体」と少し驚いて見上げたところが面白い。


菓子胡桃右脳左脳の如く割れ       坂下  昭
胡桃の中を脳味噌のようだと見た句はありそうだが、「右脳左脳」にまで踏み込んだところがいい。菓子胡桃だけに、びっしりと実の詰った様子が如実であり、人体模型を見るように展開したところが面白い。同時出句にも胡桃の句〈胡桃割る知恵は人にも鴉にも〉があり、人と鴉との知恵を並列させたところがいい。 


これもまた男料理ぞ秋刀魚焼く      田家 正好
山仲間の友人が秋になると家に招いてくれたことを思い出す。奥さんには手を出させず、庭に七輪を出して秋刀魚を焼く。自慢の蕎麦を打つ。まさに男の料理である。もうもうたる煙が庭中に流れた。「男料理」の措辞が着眼のよさ。同時出句の〈目を合はせ席譲らるる敬老日〉の嬉しいような悲しいような微妙な感覚は、同年代の私の共感を誘う。 

焦げ癖の消えぬ鉄板秋祭         生田  武
焼きそばやソーセージなどを焼く大きな鉄板なのであろう。使い込んで、特に真中の黒い焦げ跡は消えない。この鉄板を「秋祭」に結び付けたのが手柄である。収穫のあとの安堵を感じさせるのである。


身に入むやデザートのごと薬飲む     久保園和美
確かにこんな人を見掛けることがある。笑うに笑えない場面で、「身に入むや」の取合せがいい。秋の冷気やものさびしさという季語だけではなく、一般に使われる「身にこたえる」という感覚がまぜこぜになったところが眼目。

その他印象深かった句を次に

好きな木の沢山ありて落葉降る      小沢 銈三
 木犀の手足搦むる匂ひかな       小野 岩雄
 草紅葉ピートの上の蒸留所       北爪 鳥閑
 ライオンに猫の仕草や秋うらら     北原美枝子
 太刀魚の己を研ぎて切られけり     山室 樹一
 秋扇で送りし風の所在なさ       小林 美樹
 遠山も谷戸田も淋しおどし銃      堀  英一




   

    



















伊那男俳句  


伊那男俳句 自句自解(37)
          
阿波踊り腰の印籠地を擦れり


 阿波踊を詠んでいるが、実は阿波に行ったことが無い。種明しをすると東京は高円寺の阿波踊の嘱目である。町の振興策として始まって既に六十一年になるという。「連」の組織もできているし、本場の踊り子も招くので、技術は相当な域にあるという。句は地元の方々と見物して、そのあと近くの酒場を借りて句会を開いた時のものである。カツカツと響く踊下駄が近づくとやはり血が騒ぐものである。盆踊から発展したというが、「踊るあほうに見るあほう同じあほなら踊らにゃ損々」の囃子詞の通り、陽気で開放感のある踊りは、日本の祭の中では極めてユニークである。この句はひょっとこの面を被った男踊が腰をかがめる度に、垂れた印籠が地を擦るかのように大きく揺れた場面を詠んだものである。俳句は一つの「物」に焦点を当てて印象を鮮明にする――という点で成功した句のように思う。同時作に〈風つかむ仕種も阿波の踊かな〉があるが、こちらは違う祭でも成立しそうである。

  
  
味噌玉の肝のごときを吊るしけり


 歳時記では「味噌搗 味噌作る 味噌焚き」は冬に立項されている。だが、私の育った信州では味噌作りは春の仕事であった。信州はあまりにも冬が寒いので、発酵が進まないのがその理由である。桃の花の咲くころが最適なので「桃味噌」と呼ぶ地域もあるそうだ。
 母の実家は大きな商家で従業員も多く、当時は朝昼晩と食事には必ず味噌汁が出たし、味噌を使った料理も多かったので大量の消費量であった。庭に大釜を据えて大豆を煮ると甘い香りが家中に漂った。これを臼でつぶして塩をまぶし、大きなお握りにして藁で編んだものに包んで軒に吊るすのである。早春の風を受けて乾燥しながら発酵していく。頃合いを見て大きな樽に叩きつけるように投げ入れて熟成を待つのである。ちなみに信州味噌が有名になったのは関東大震災の救援物資として送ってからである。信州にはそれしか送るものが無かった、という淋しいオチがある。

 
  
  








      


 



銀漢の絵はがき


挿絵が絵葉書になりました。
Aシリーズ 8枚組・Bシリーズ8枚組
8枚一組 1,000円

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掲示板




















               

銀漢亭日録

伊藤伊那男

10月

10月15日(月)
8時半、埋橋一樹君の車で、辰野横川の蛇石へ。水成岩の中へ火成岩が突入した天然記念物。周囲の樹相も良い。橡の実を拾う。辰野駅で降ろしてもらい、11時、大住、北澤一伯君の3人で鯉料理の「小坂鯉店」へ。鯉の味噌汁、洗い、鯉の白焼き、かば焼、うざく。酒は「夜明け前」。帰路の八ヶ岳は雪。18時帰宅し、昏々と眠る。今日は店、休みとする。

 10月16日(火)
早起きして12月号のエッセイ。盤水俳句、自句自解など書く。店、「パティオ」の環順子さんと仕事仲間四人。客、途切れたので21時早仕舞。

  10月17日(水)
午前中、岩野歯科。定期検査終了。店、「三水会」8人。皆、この(日)(月)に伊那で会ったメンバー。「汀」の土方公二編集長、初めて来店して下さる。すると金井硯児さん見えて、昔からの知り合いと! 「雲の峰」の酒井多加子さん、角野京子さん等、明日の「春耕」の吟行会に上京と寄って下さる。その他、久々賑わう。

10月19日(金)
発行所「蔦句会」あと8人店へ。伊那北先輩の北野(俳人北野五律の裔)、伊藤(「秋麗」所属)さん。その卒年に早稲田に17人入学。その同期会のあとと。当時、伊那北高校が火災にあい、青空教室。皆、発奮し、東大に10人とか東北大に20人とか合格した稔りの年。高部務さん芸能界スキャンダルの本出版と。その見本誌を持って来て下さる。店の壁の写真展今日まで。倉田有希さん回収に。

10月20日(土)
5時起床。7時半、丸ノ内発のバス二台で群馬県前橋方面。豚の丸焼きの会。阪西敦子さん幹事。豚丸々一頭を早朝から焼いている。別に手打ちうどんあり、麺といい掛け汁といい何ともうまい。天麩羅もあり、青紫蘇の天麩羅を汁に浮かべて油が溶け出したのが何とも! 豚一頭は壮観! 塩でいただく。酒は「玉の光」を持参。帰路は昏々と眠る。

 10月21日(日)
環順子さん新結社誌「パティオ」冬号の巻頭エッセイ書く。快晴。「銀漢賞」選句。夕食、刺身、昨日の豚丸焼きの土産など。

 10月22日(月)
「Oh! 月見句会」(昨日が十三夜)、月の句3句持参。31人参加。十結社位の方々。

10月23日(火)
「萩句会」選句。「閏句会」8人(ホトトギス系)、そのあと、「ひまわり句会」11人。

 10月24日(水)
「雛句会」14人と盛況。たまたま野村OBの川畑さん来店。北京時代に雑誌で私を知り訪ねてくれた方でもう15年前。「雛句会」の山本さん他と知己で喜び合う。「銀化」の伊達さん他。

 10月25日(木)
編集室にて「一八句会」。あと七名店へ。「銀漢句会」あと17人。

10月26日(金)
小野寺清人さん鮪を喰う会十数人。気仙沼の牡蠣も。「金星句会」あと七人。

10月27日(土)
日本 橋の喫茶店で作句。奈良アンテナショップで吉野宮瀧の醤油を買う。「鮨の与志喜」にて「纏句会」、13人。秋鰹の題にちなんで鰹の叩き、極上! 鱈の煮付。椎茸の海老しんじょ包み揚。握り。酒は吉田蔵。

 10月30日(火)
皆川文弘さん、盤水先生の色紙染筆3枚持参。プレゼントして下さる。「ボルガ」店主であった高島茂さんの色紙も。禪次、秋葉男、直さん打ち合わせのあと店へ。閑散にて私も仲間に入り話。森崎森平さん仲間と4人。

  10月31日(水)
野村證券OBの川畑保、秋元正さん来店。清人さん。客少なく話。21時、閉店。帰ればいいのに新宿で飲んでしまう。食べてしまう……ああ、また。

11月

 11月1日(木)
「彗星集」12月号選評書き執筆終了。1月号用のエッセイだいたい書く。店、「十六夜句会」あと9人。伊那北高校同期の竹沢薫君から紹介されたという三菱日立ツール(株)の土倉役員4名。

 11月2日(金)
「大倉句会」7周年記念の会。ゲスト入れて約40人集合。活気あり。清人さんが気仙沼の牡蠣沢山持ち込む。その他、食品、酒と皆さん持参して下さる。

 11月3日(土)
品川発8時の新幹線。崎陽軒の焼売弁当食べると寝てしまう。名古屋で目が覚める。伊吹山の山頂辺りに雪の筋を見る。10時過ぎ、京都。東寺まで歩く。快晴。偶然、国宝大師堂の改修工事の一般公開中でヘルメットを借りて屋根の桧皮葺の作業などを見学。北総門を出ると左手に六孫王神社あり、清和源氏を名乗った源経基を祀る。今日は「雲の峰」総会で源義仲の話をするのでその偶然に驚き参拝。あと梅小路公園、島原を抜けて五条へ出てタクシーで「ザ・パレスサイドホテル」へ。「源氏三代と木曾義仲と芭蕉」の講演一時間。宴会までの間、京都御苑を1時間ほど散策。釣瓶落とし。宴会は住田眞里子さんのバイオリン演奏でスタート。二次会では各自思い出の一曲の一番を歌うという趣向を取り仕切る。22時眠る。

11月4日(日)
6時過起床。風呂でゆっくり。8時半、バススタート。まずは冷泉家の4日間ほどの一般公開へ。初めて拝見する。晴明神社、一条戻橋、昼食は「田辺宗」の「漬物寿司」。高台寺駐車場にバスが入る。高台寺久々。八坂の塔に登る。境内に木曾義仲の首塚あり、参拝。15時半、皆と別れ、大谷祖廟の妻の実家牧野家の墓。妻分骨の祖廟に参る。新京極「スタンド」でビール。五時「しん」に入り、ぐじ、刺身、万願寺など。昨夜の酒がまだ残っている。京都駅で蕎麦と酒少々。新幹線に乗ったとたん前後不覚で眠る。

11月5(月)
中川さんマッサージに来たのを摑まえて散髪を頼む。道具を持っていなかったが家の鋏で。店、「銀化」グループ4人勉強会。対馬康子さん。「かさゝぎ俳句勉強会」あと11人。水内慶太、麻里伊、中村重郎さんなど。

 11月6(火)
「鏡」主宰・寺澤芳雄さん、元俳句朝日編集長・大上さんなど5人の俳句の会。ほか超閑散。帰宅して娘夫婦と小酌。今日、桃子誕生日。

  11月7日(水)
「俳句αあるふぁ」連載の「一句一菜」三ヶ月分執筆(1月、鰤の酒粕煮、2月、鶏の柚子胡椒焼、3月、蛍烏賊さっと煮)。NHK俳句、1月号グラビア6頁の伊那谷吟行記の校正。12月号のエッセイ。自句自解とシャカリキに書く。店、「宙句会」あと9人。「きさらぎ句会」あと7人。金融会社時代の木村博さん。彼はその後、上場会社役員に出世。

11月8日(木)
「極句会」あと11人。

 11月9日(金)
「白熱句会」。水内慶太、檜山哲彦、佐怒賀正美、木暮陶句郎、井上弘美さん。ほとんどが明日の「一茶・山頭火俳句大会」の選者にて、今日は句会中から料理を出し22時半お開きとする。

 11月10日(土)
10時20分、日暮里本行寺。第10回「一茶・山頭火俳句大会」の選者。当日句400超。宮坂静生先生の講演。昼は「志乃多寿司」の折り詰め。杉阪大和氏圧勝。終了後、駅前の「又一順」にて慰労会。冬晴れの良い1日であった。

 11月11日(日)
終日家。「銀漢」12月号の校正終了。昼寝など休養。夜、家族と夕食楽しむ。宮澤は明日から香港と。

 11月12日(月)
ゆっくり寝て目覚めよし。五時から作句。今週は3回句会あり。13時より「銀漢賞」「星雲賞」最終選考会。大和、禪次、静男、眞理子揃う。終わって静男を囲み大和、眞理子さん飲み会。禪次さん12月最終校正作業と編集会議。店は閑散。

 11月13日(火)
久重凛子さんの「玉川学園句会」の方々9名。花園神社の二の酉を見たあと「銀漢亭」へ来て下さる。何と見事な熊手をお土産に! 句会あと食事会。そのあと「火の会」8人。

 11月14日(水)
「梶の葉句会」選句。店、超々閑散。明日、明後日の仕込みをして20時半閉める。新宿で少し飲んでしまう。

 11月15日(木)
「銀漢句会」あと19人。本日、ボージョレヌーボー解禁日。慶大OBの機関誌「丘の風」(禪次さん編集長)到着。行方克己先生が拙句集『然々と』の書評書いて下さった。有難く有難く拝読。出羽手向三光院粕谷様より庄内柿沢山届く。

 11月16日(金)
発行所「蔦句会」選句あと店へ7人。入れ替わりに藤森荘吉さんの「閏句会」8人(ホトトギス系)。北軽句会の柴山つぐ子さん、昔の会社の同窓会で上京したと寄って下さる。「月の匣」主宰・水内慶太さん「すし屋の弥助」の鯖、穴子の棒鮨土産に下さり、皆でいただく。慶太さん、小野寺清人さんがヴーヴクリコで柴山さんに乾杯!
 
10月17日(土)
10時、運営委員会。百号記念、10周年事業など打ち合わせ。13時、「銀漢本部句会」。麹町区民館。7人といつもより少人数。あと近くの中華店にて親睦会。渋谷「鳥竹」で小酌して帰宅。

11月18日(日)
終日家。休養日。「銀漢賞」「星雲賞」の選評書き、秋葉男さんに送る。今年は計79編の応募あり。

11月19日(月)
店、「演劇人句会」6人。皆川文弘さん。昨日喪中の知らせを戴いていたが母堂、文弘さんのいわきの母上皆川美恵子様(「春耕」同人)が5月に逝去されていたことを知らずにいて不覚。佐怒賀直美さん(「橘主宰」)。あとうさぎ、麦さんと餃子屋。

 11月20日(火)
店、「谷根千句会」10人の会。清人さんが気仙沼から、ばい貝、牡蠣、鮪、帆立、蛸など取り寄せ大パーティー。

 11月21日(水)
高校同期「三水会」今日は4人と少なめ。客もいないので一緒に飲む。そこへ伊那北の同期、小池百人君と子息来店。またまた飲む。景気悪いのか近隣の店、安売り競争。2軒隣は、獺祭も含め酒類一切、1時間飲み放題1,000円。イタリアンはワイン30分飲み放題380円。加えて「天麩羅いもや」の後に居酒屋開店準備中。ますますひどくなりそう。














         
    






今月の季節の写真/花の歳時記


2018年1月17日撮影  蝋梅   HACHIOJI




花言葉     「ゆかしさ」「慈しみ」「先導」「先見」  


△蝋梅
和名の「蝋梅(ロウバイ)」は、花びらが蝋(ろう)のような色で、また、臘月(ろうげつ、旧暦12月)に花を咲かせることに由来するといわれます。
中国では厳寒期に咲く花木の代表格として、このロウバイとツバキ、ウメ、スイセンを「雪中四花」と呼ぶそうです。
南天 絵馬 花八つ手 靑木の実 蠟梅
写真は4~5日間隔で掲載しています。 
2018/1/18 更新


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