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 7月号  2018年



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伊藤伊那男作品 銀漢今月の目次 銀漢の俳句 盤水俳句・今月の一句  
  彗星集作品抄    彗星集選評  銀漢賞銀河集・作品抄
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 銀漢日録  今月の写真


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伊藤伊那男作品

主宰の八句










        
             


今月の目次







銀漢俳句会/7月号














  




   



銀漢の俳句 

伊藤伊那男 

◎伊那の季語
 5月号で信州特有の季語を紹介した。今回はその中の伊那谷に限定した季語や風習についての幾つかを紹介してみる。
「スケート」………雪の少ない伊那谷はスキーではなくもっぱらスケートであった。今年の平昌冬季オリンピックで小平菜緒選手が見事金メダルを射止めて日本中を沸かせた。そのあと知ったことだが、彼女の伊那西()高校時代のスケートのコーチが、何と私の伊那()高校時代の同期生の新谷君であったという。それだけでなく彼の娘さんもスケーターでバンクーバーオリンピックの代表選手であったという。つまり、私の同期生が2人のオリンピック選手を育てたのであるから、人に言い触らさずにはいられない。それはさておき、私の子供の頃は下駄スケートであった。鼻緒の付いた普通の下駄の下に刃物が付いていると思えばいい。その頃は日常的にも下駄履きだったので、足袋を履くことが普通で、その足を真田紐で固定する。スケート場は、周囲を土堤で囲った校庭で、ここに水を注げばスケートリンクに早変わりする。ほかにも田圃に水を張ったり、沼や池がスケート場になった。
味噌搗く」………歳時記では「味噌搗・味噌作る・味噌炊き」は冬の季語の項に入っている。だが信州の味噌作りは四月である。冬では発酵は進まないし、味噌玉が凍ってしまうからである。桃の花が咲く頃なので「桃味噌」という言葉があったという。母の実家では大釜を据えて、水に浸しておいた大豆を煮た。これをつぶして丸め、味噌玉を作る。軒先にひと月ほど吊り下げて水分を抜き、黴付けを行う。これをもう一度つぶして米麹と食塩を混ぜて仕込むと、一年もすれば山吹色の味噌となる。滲み出た汁はたまり醤油として使った。遠くなってしまった風景である。
野沢菜漬」………野沢菜は江戸時代の中頃、野沢温泉村の健命寺の住職が京都の天王寺蕪の種を持ち帰ったことに始まる。慣例の気候により突然変異を起こし、蕪が小さく葉茎が太くて葉の大きな野沢菜が誕生したのである。伊那谷では野沢菜漬と呼ぶことはなく「お葉漬(はずけ)」と呼んだ。野沢菜から派生したのだが、信州各地で微妙に変化して種類が違うのである。農家ではないが私の家でも十坪位の畑で育て、大樽二つほどに漬けた。厳冬期は薄氷の張った大樽から取り出す。青々として清冽である。春先には発酵が進み飴色に変わり酸味が増してくるのだが、これがまた独得の旨味を出すのであった.











 



  

盤水俳句・今月の一句

伊藤伊那男 

雪渓が天際までの月の山           皆川 盤水

 先生は四十代後半になってから庄内と出羽三山に魅せられて度々通われた。私達弟子も共鳴し、先生の句碑をこの地に三基建立している。中年以降の登山はきつかったと思うが先生は月山にも数回登山されている。二千米に少し欠ける標高ながら、豊かな雪渓を残しており、夏スキーの名所でもある。句は「天際までの」が眼目で、月読(月夜見・月夜霊)国に通じるこの山の醸す霊威の感得が句の芯にあるのだと思う。
                              (昭和五十七年作『山晴』所収)
                             








  
彗星集作品抄
伊藤伊那男・選
地球儀の宇宙漂ふ春の塵         島  織布
春眠や醒めてはちみつ色の午後      永山 憂仔
先触として子の走る神輿かな       こしだまほ
ふつふつと熟るる堆肥や鳥雲に      三代川次郎
子の丈にかがみて石鹸玉の空       坂口 晴子
食べられるもの指しながら青き踏む    森 羽久衣
苗代の余白を埋める空のあを       伊東  岬
俊寛の果てしはいづく島おぼろ      笠原 祐子
鎌倉や篆刻のごと蝌蚪の群れ       高橋 透水
蟻出でてまだ隊列はつくれざる      戸矢 一斗
啓蟄や鼻の穴から内視鏡         山口 輝久
大仏の背に扉あり花は葉に        高橋 透水
夜桜やこゑやはらかく人呼んで      夲庄 康代
反芻の牛の腹這ふ日永かな        唐沢 静男
老鶯や去ろうとすれば又啼いて      島  織布
自転車のパンク修理や軒つばめ      有澤 志峯
飛魚とんで帰郷の海を煌めかす      瀬戸 紀恵
片付かぬ一間となりて春炬燵       中野 智子
磨き継ぐ大黒柱桜餅           三溝 恵子
東京がふる里であり啄木忌        畔柳 海村










       








彗星集 選評 伊藤伊那男


地球儀の宇宙漂ふ春の塵        島  織布
機知の効いた句である。「地球儀の宇宙」とは?学校でも家でもよいが、部屋の中ということである。地球儀のある我々の呼吸をしている部屋が宇宙空間という見立てである。その部屋には春の塵が浮遊している。「春の塵・春埃」は陸の暖かさにより海上から陸へ吹き込む季節風により立つ塵や埃。おのずから旅心の湧く季節でもある。機知の効いた言葉遣いに加えて、季語の斡旋のうまさである。

春眠や醒めてはちみつ色の午後     永山 憂仔
しなやかな感性の発露の窺える句であった。「はちみつ色の午後」――甘くとろりとした膜の張ったような寝覚めだったのであろう。春眠から覚めた時をどう表現したらいいか、首を巡らせてみて、この表現は出色である。感覚的な句やムード的な句には、私は警戒して接するのだが、この句には大いに納得するのである。なお私の作り方だと〈春眠の(・)醒めてはちみつ色の午後〉とするのだが、どちらがいいかではなく、作者次第であろう。 

先触として子の走る神輿かな      こしだまほ
面白い角度から神輿の巡行を観察している。子供というものは常に走り廻っているものだ。神輿が来るぞ、来るぞ!と頼まれてもいないのに触れて廻る。そんな町内の賑やかさが伝わってくるのである。 

ふつふつと熟るる堆肥や鳥雲に     三代川次郎
 畑仕事に入る直前の景。鳥が北国へ帰る頃になれば農家の気持も昂ってくるのであろう。堆肥の山も熟して熱を帯びてくるのであろう。一見の折には「ふつふつと」が不要かな、と思ったが、再考すると、耕人の気持にも通じてくるところがあり、納得するのである。

子の丈にかがみて石鹸玉の空      坂口 晴子
子供と話をするときは、立ったままではなく、しゃがんで目の高さを合わせるのがよいようだ。この作者も子供の丈に合わせて石鹸玉を吹いていたのだが、その位置から見上げると、いつもとは違う風景が拡がっているのに気付く。ほんの少しの違いなのに、石鹸玉の大きさも流れ方も異なって見えたのである。 

食べられるもの指しながら青き踏む    森 羽久衣
「踏青」は中国から古代に伝わってきた行事。当初は物成りの吉兆を占ったという説もあるが、行楽の意味になっていったようだ。春到来の喜びの気分を詠むことが多いが、この句は現実的である。あの草はおひたし、これは天麩羅などと言いながら歩く。そこが俳諧味だ。 

苗代の余白を埋める空のあを       伊東  岬
 苗代田の周囲の水を張っただけの部分への着眼。


俊寛の果てしはいづく島おぼろ      笠原 祐子
鹿ケ谷の密談で鬼界島へ配流。さて島のどこで果てたか。 


鎌倉や篆刻のごと蝌蚪の群れ       高橋 透水
着眼点はいいが、篆と蝌蚪で理屈が先行したか。 


蟻出でてまだ隊列はつくれざる      戸矢 一斗
 穴を出たばかりの蟻。感覚が掴めなくて右往左往。


啓蟄や鼻の穴から内視鏡         山口 輝久
 このような季語の斡旋もあったか! 


大仏の背に扉あり花は葉に        高橋 透水
 鎌倉高徳院の露坐仏であろうか。駘蕩の一景。


夜桜やこゑやはらかく人呼んで      夲庄 康代
「夜桜」の季語に誘発される抒情性。 


反芻の牛の腹這ふ日永かな        唐沢 静男
 牛の胃は第四室まであるという。「日永」が効いている。


老鶯や去ろうとすれば又啼いて      島  織布
 老鶯の完璧な声に聞き惚れてまた歩みを止める。


自転車のパンク修理や軒つばめ      有澤 志峯
昔は自分でもよく修理をした。軒つばめに郷愁がある。 


飛魚とんで帰郷の海を煌めかす      瀬戸 紀恵
 帰郷の船の舳先を飛魚(あご)が掠めていく。心の昂ぶりがある。


片付かぬ一間となりて春炬燵       中野 智子
春の炬燵がまだ残っている乱雑な部屋の様子が如実。 


磨き継ぐ大黒柱桜餅           三溝 恵子
重厚さを残す旧家と桜餅が合う。いや柏餅の方がいいか。


東京がふる里であり啄木忌        畔柳 海村
東京でも迷走した啄木。作者の青春はどうであったか? 












   
   










銀河集作品抄

伊藤伊那男・選

花守の家も世を経る吉野山      東京   飯田眞理子
自画像の未完のままに卒業す     静岡   唐沢 静男
入学児一日一善風呂洗ふ       群馬   柴山つぐ子
枝々を楽譜のやうに百千鳥      東京   杉阪 大和
鷹鳩と化し出番待つ宮鳩舎      東京   武田 花果
のどけしや杜甫草堂の麻雀卓     東京   武田 禪次
腕白も鳴りをひそめて聖金曜     カナダ  多田 美記
闇やさし修二会の炎見し眼には    東京   谷岡 健彦
昭和とは焦げ臭きもの目刺焼く    神奈川  谷口いづみ
夕きぎす山の幾重へ鳴き倦まず    愛知   萩原 空木
よんどころなくて春泥跳びにけり   東京   久重 凜子
もう父が休んでゐたる汐干狩     東京   堀切 克洋
大声でテレビと話す妻のどか     東京   松川 洋酔
野遊の子らの起点は母の膝      東京   三代川次郎




   
   









綺羅星集作品抄

伊藤伊那男・選 

三方に真中の撓む桜鯛         長崎  坂口 晴子
龍天に妻も登つて仕舞ひけり      神奈川 大野 里詩
糸電話遠のく声のあたたかし      埼玉  渡辺 志水
春の雲マッチの火にも燃えさうな    東京  中村 孝哲
区長から訓示のありて溝浚へ      長野  守屋  明
汐干狩帰りのバスはざらざらと     東京  森 羽久衣
御明かしと見ゆる初瀬の牡丹の芽    東京  山下 美佐
山笑ふ笑はぬ山と向き合ひて      東京  小泉 良子
今朝つひに巣箱に鳥の入りたる     東京  島  織布
春の闇集め龍太のインク壷       東京  今井  麦
花漬の七分咲きにてたゆたへり     東京  宇志やまと
潮の香へ塩もみこみて若布干し     和歌山 笠原 祐子
亀鳴くや哲学堂に理外の理       東京  梶山かおり
七色にならぬ日もあり石鹼玉      東京  柊原 洋征
じやが芋の欠伸のやうな芽立ちかな   東京  新谷 房子
淤能碁呂を少し搔き出す潮干狩     埼玉  戸矢 一斗

水温む背骨のわづか伸びにけり     東京  相田 惠子
桜咲く終着駅は海の町         宮城  有賀 稲香
縄文の模様のごとく蜷の道       東京  有澤 志峯
脇道の草を食む牛厩出し        東京  飯田 子貢
いつからがわが晩年や花吹雪      埼玉  池田 桐人
漁り火の揺れて朧となり切れず     埼玉  伊藤 庄平
旅に出て花の時間を遡る        東京  伊藤 政三
部屋毎に置く老眼鏡春の風邪      神奈川 伊東  岬
森に降る光の帳春子榾         東京  上田  裕
燕来るつばめ返しの早わざで      埼玉  梅沢 フミ
花冷えや口中昏き般若面        埼玉  大澤 静子
歩み初む子や春風に仁王立ち      東京  大沼まり子
煤で知る富士の野焼の遠見かな     埼玉  大野田井蛙
チューリップ十までかぞへまたいちへ  東京  大溝 妙子
杖の身のたじろぐ程や春の風      東京  大山かげもと
媽祖廟の長き線香桜東風        東京  小川 夏葉
くれなゐの痛々しきは牡丹の芽     宮城  小田島 渚
のどけしや子の足し算に指かせば    埼玉  小野寺清人
渓流の水もみあひて雪解川       神奈川 鏡山千恵子
能面の裏は飴色さくら散る       愛媛  片山 一行
月朧四更の鬼門たれか来い       東京  桂  信子
鶯の声の追ひ越す山路かな       長野  加藤 恵介
春愁を持ちこしてゐる目覚かな     東京  我部 敬子
まん中の焜炉は重石花むしろ      高知  神村むつ代
植木市売れ残りにも水くれて      東京  川島秋葉男
初つばめ先づ見繕ふ羽根の裏      長野  北澤 一伯
風甘し誕生仏の息吹とも        神奈川 久坂依里子
汐干狩阿漕の浜の伝へなど       東京  朽木  直
草餅の予約が先の寺参り        東京  畔柳 海村
涅槃会の猫みち端で鳴いてをり     神奈川 こしだまほ
托されし花を守りて共に老ゆ      東京  小林 雅子
火の中に太き火柱葭を焼く       東京  小山 蓮子
大空へ大きな返事入学す        千葉  佐々木節子
歯応への葉脈も食み桜餅        長野  三溝 恵子
軽鴨の子の水脈まつすぐとはゆかず   東京  島谷 高水
呉港に並ぶ艦艇陽炎へり        兵庫  清水佳壽美
哲学堂
四聖皆まどろむやうな春の昼      東京  白濱 武子
春夕焼夕陽ヶ丘の名のとほり      大阪  末永理恵子
ものの芽や礎のこる生家跡       静岡  杉本アツ子
小さき手の届かぬ柄杓花御堂      東京  鈴木 淳子
蜷すすむ身幅の道を引き摺りて     東京  鈴木てる緒
花散るや心乱るるごとく降り      東京  角 佐穂子
勿忘草青春といふ瑠璃の日日      東京  瀬戸 紀恵
花のいろ風にうすめて桜ちる      神奈川 曽谷 晴子
思ひきり振るも空振り山笑ふ      長野  高橋 初風
山里の隣家は遠し百千鳥        東京  高橋 透水
迷ひつつ曲がりし径も花吹雪      東京  武井まゆみ
歓声を待つ神輿庫や春浅し       東京  竹内 洋平
桜餅焼印しるき木の枡に        東京  多田 悦子
涙ぐむ答辞の声や桜散る        東京  田中 敬子
義経に妻子(めこ)のありしか遅桜       東京  谷川佐和子
銭湯の傘立ての底花の塵        東京  塚本 一夫
陽炎の上に動かぬ天守閣        東京  辻  隆夫
陽炎のなか江ノ電のあらはるる     愛知  津田  卓
あけ放つ儘の花冷え絵島の間      東京  坪井 研治
盆梅の足音にさへこぼれけり      大阪  中島 凌雲
土筆摘む近くて遠き母郷かな      東京  中西 恒雄
陀羅助は祖母の匂ひや夕桜       東京  中野 智子
苗木植う果実の写真提げしまま     茨城  中村 湖童
子に虹を老に彼の世を石鹸玉      東京  中村 貞代
つま立ちて見る隣家の雛かな      埼玉  中村 宗男
下校児の歌に開けるチューリップ    東京  西原  舞
風死すや亡き数の名を摩文仁の碑    東京  沼田 有希
新任の教師の噂さくら餅        東京  橋野 幸彦
腰越の浜風に鳴る干若布        神奈川 原田さがみ
ふらここの揺るる高さにふと恐怖    兵庫  播广 義春
野を焼いて嬥歌の山をけぶらせる    東京  半田けい子
古色雛涙の如き跡のあり        東京  保谷 政孝
桑を解き秩父の風に放ちやる      東京  堀内 清瀬
春の土一雨に色定まれり        岐阜  堀江 美州
行く春や橋の向かうに橋見えて     埼玉  夲庄 康代
河鹿なく瀬音に暮るる阿蘇の峡     東京  松浦 宗克
母のものまた少し燃す彼岸過      東京  松代 展枝
組み初めて花筏とはまだ呼べず     東京  宮内 孝子
友だちを百人作ろ入学式        神奈川 宮本起代子
開花よりつぼみを愛づるチューリップ  千葉  無聞  齋
八十八寺に入らぬ寺の春障子      東京  村上 文惠
先づは花愛でて久闊新たむる      東京  村田 郁子
函館に露西亜教会啄木忌        東京  村田 重子
花は葉に母屋の裏の古箒        千葉  森崎 森平
焔いま種火に戻り野焼果つ       埼玉  森濱 直之
亀鳴くや季語を調べる電子辞書     愛知  山口 輝久
あぎとふのさながらに序の春の雨    群馬  山田  礁
草餅や客あれば出る渡し舟       東京  山元 正規
風紋の砂丘に画く春一番        神奈川 𠮷田千絵子
ひと畝は菜の花として残しけり     愛媛  脇  行雲
母衣打ちの胸のまぶしき雉子かな    東京  渡辺 花穂







        



       








     







銀河集・綺羅星今月の秀句

伊藤伊那男

三方に真中の撓む桜鯛        坂口 晴子       
実にいい景を詠み取った豊かな句だ。三方は神仏や貴人への供物をのせる白木の台である。その上に桜鯛が置かれているのだが、真中が撓んでいるという。そこが大事なところで、桜鯛の重量感と黄金光りの偉容が十分に捉えられているのである。俳句は対象物に焦点を絞り込んでいくことが要諦であるが、まさに理論通りに詠んだ秀逸。「物」にすべてを語らせているのである。同時出句の〈囀や茶筒に蓋の吸ひつきて〉も「吸ひつきて」に勝れた観察眼がある。〈二度読みの朝刊たたむ花曇〉も季感の捉え方がうまい。季語の斡旋が的確。 

   
  

龍天に妻も登つてしまひけり       大野 里詩
近親者を失った時の句はどうしても主観が強くなり、慟哭が前面に出てしまいがちである。その思いを抑制したところで読者の共感が得られるものである。「龍天に登る」は万物が生動する春の躍動する様子を言う。そうした季語に妻の死を合わせて「登ってしまひ」とユーモアさえ交えているのだが、その裏側には深い悲しみが潜んでいることが解る。同時出句の〈逝く春を惜しみ七七忌の支度〉には、本当は春を惜しむ気分など無い筈なのに、その取合せで読者の胸には逆に悲しみが伝わるのだ。〈背筋伸ばせ鞭をおのれに青き踏む〉という自らへの励ましで読者も救われる思いである。 


  

糸電話遠のく声のあたたかし       渡辺 志水
 「あたたかし」の季語を使って異色の句であった。糸電話という道具立ても面白いが、単に気温の面の温かさだけではなく、人と人の縁のあたたかさとの二つの意味を混ぜ込んであるところが手柄である。同時出句の〈春一番秩父札所を一つ飛び〉には軽快さが、〈こぼれさう箪笥の上の雛飾〉には生活の中のおかしみが伝ってくる。


春の雲マッチの火にも燃えさうな     中村 孝哲
四季それぞれに雲の季語がある。この句の「春の雲」を違う季語の雲に入れ替えたとき、どの季節が一番適合するのか、と言えば、誰が見ても「春の雲」ということになろう。真綿のように、綿飴のように軽そうな雲である。まさにマッチ一本でも火が付きそうだ、と納得するのである。


  

区長から訓辞のありて溝浚へ       守屋  明
 町内の溝浚い位のことで、区長の訓示がある訓辞がある、というのが何とも面白い。真面目に、しかも大袈裟に詠んだところが俳諧味である。下五にオチがあるということだ.。


汐干狩帰りのバスはざらざらに      森 羽久衣
オノマトペ(実際の音をまねて言葉とした語)を使った句の代表例として秋元不死男の〈鳥わたるこきこきこきと罐切れば〉がある。もちろん「ざらざら」は音だけではなく触感を伝える言葉でもあるが。汐干狩の帰路の車内の砂まみれの様子が如実だ。「ざらざら」がこんなに効いた句は珍しい。 


御明かしと見ゆる初瀬の牡丹の芽     山下美佐
「御明かし」は神仏の前に供える灯火。「おとうみょう」とも言う。初瀬は奈良県桜井市初瀬にある真言宗豊山派総本山、長谷寺のことを指す。回廊の付いた本堂に到る石段の両側には牡丹園が広がっている。作者が訪れたのはまだ冬のこと、牡丹は赤い芽を尖らせている時期である。その無数の芽は観世音菩薩へ手向ける灯明のようにも見えたというのである。牡丹園の上に聳える本堂との位置関係を思い浮かべると、まさに荘厳な一景の句である。


山笑ふ笑はぬ山と向き合ひて       小泉 良子
杉の植林が始まってからというもの、日本の里山の景色は大きく変化してしまった。杉山は芽吹きも落葉も目立たない。芽も筍も山菜も無く無味乾燥の里山になってしまったのである。それでもまだ手を付けていない昔ながらの山もあり、この句はその二つの山を対比させているのだ。杉山を「笑はぬ山」と表現したのが勘所である。

 

今朝つひに巣箱に鳥の入りたる      島  織布
私も小さい頃何度も巣箱を作ったことがあるが、一度として鳥が住んでくれたことが無い。多分この作者もそうだったのであろう。その失敗の末に、ついに鳥が入ったという喜びの句である。「つひに」に万感の思いが籠り、そこはかとないユーモアが漂っているのがよいところだ。


その他印象深かった句を次に

春の闇集め龍太のインク壺        今井  麦
花漬の七分咲きにてたゆたへり      宇志やまと
潮の香へ塩もみこみて若布干し      笠原 祐子
亀鳴くや哲学堂に理外の理        梶山かおり
七色にならぬ日もあり石鹼玉       柊原 洋征
じゅやが芋の欠伸のやうな芽立ちかな   新谷 房子
淤能碁呂を少し掻き出す潮干狩      戸矢 一斗
















               

 



 
星雲集作品抄
伊藤伊那男・選

秀逸

囀や答辞に響く硝子窓        東京   大住 光汪 
尾道の遅日の坂の郵便夫       神奈川  中野 堯司
母と待つ家庭訪問さくら餅      神奈川  有賀  理
病院を三軒廻り遅日かな       東京   福永 新祇
風船の売り子飛ばざる不思議かな   東京   辻本 芙紗
自分にもつく噓のあり四月馬鹿    東京   手嶋 惠子
新わかめ茹で松島の色となる     東京   上村健太郎
滝の音も祀る熊野や落し角      東京   保田 貴子
次の日の線香の香の桜餅       神奈川  上條 雅代
野焼の火小さく見せて富士裾野    千葉   白井 飛露
山廬訪ふ大山桜開きし日       埼玉   志村  昌
荒川線遠足の子ら満載す       静岡   金井 硯児
潮干狩十人十色のバケツかな     東京   豊田 知子
活躍のカメラも重し花疲       京都   三井 康有
天鵞絨の褪せし窓掛け春愁      埼玉   秋津  結
体脂肪減らすお茶飲む春一日     神奈川  星野かづよ
遅日かな寺の縁起を友と聞き     東京   長谷川千何子
気象士の顔の緩みて水温む      東京   橋本  泰
糸遊の千切れてはまた繫がりて    大阪   辻本 理恵
黄水仙夕陽に色を吸はれけり     愛知   住山 春人
家族史を軽くたどりぬ雛の宴     東京   島谷  操
母と子の絆吹き込む紙風船      東京   倉橋  茂 
しやぼん玉歪みし街を閉ぢ込むる   東京   北原美枝子
足裏を攫ひゆく波潮干狩       東京   小林 美樹
      




雲集作品集抄

 
糊張の手振れの跡や春障子      東京   秋田 正美
壺焼の匂へる島や暮れなづむ     神奈川  秋元 孝之
針の穴小さきものから針供養     東京   浅見 雅江
夜桜の尽きて町名うす明り      東京   尼崎 沙羅
六十三を一期にしたり花に逝く    愛媛   安藤 向山
校長の祝辞はいつも桜から      東京   井川  敏
水筒の水生温き潮干狩        東京   生田  武
一サイズ大きな靴で青き踏む     東京   伊藤 真紀
春暁や障子の影も濃くなりぬ     神奈川  伊藤やすを
落日や室戸岬の遍路宿        高知   市原 黄梅
のどけしや長江対岸影もなし     埼玉   今村 昌史
七曲りたどりて愛でる馬場桜     愛媛   岩本 青山
地に近く空にも近く糸桜       愛媛   内田 釣月
紙風船追ひし妹今何処        長野   浦野 洋一
春泥を来し猫に置く大雑巾      埼玉   大木 邦絵
天守閣まで登りきて花疲れ      群馬   岡村妃呂子
春疾風飛ばされてゐる雀かな     神奈川  小坂 誠子
ゆく春の比叡横川をねんごろに    京都   小沢 銈三
さまよへる春の雲あり芙美子の居   埼玉   小野 岩雄
春の雨庭の浮き土鎮めをり      静岡   小野 無道
朝な夕な桜追ふ日となりにけり    東京   亀田 正則
群れてなほ孤独を色に一輪草     長野   唐沢 冬朱
いつも見る林の奥に初音聞く     神奈川  河村  啓
すつぽんの両眼光りぬ春の池     長野   神林三喜雄
梟に見つめらるるや朝ぼらけ     愛知   北浦 正弘
 林芙美子記念館
水温む四の坂上芙美子の居      神奈川  北爪 鳥閑
日の当たる埃春めく仁王像      東京   絹田  稜
幼子も尻を濡らして潮干狩      東京   久保園和美
目白鳴く展望台や裏妙義       群馬   黒岩伊知朗
本棚に開けぬ絵本や春の塵      愛知   黒岩 宏行
春耕の畝踏みあらす群鴉       東京   黒田イツ子
無聊には海見る慣ひ風光る      神奈川  小池 天牛
花の中通る電車の音高く       群馬   小林 尊子
父祖代々磯に焦がれて白子干     宮城   齊藤 克之
木洩れ日に一人静の影落とす     神奈川  阪井 忠太
常にある山ありがたし啄木忌     長野   桜井美津江
葉桜や和菓子の新作幟立つ      東京   佐々木終吉
朝礼の起立のさまにチューリップ   群馬   佐藤 栄子
消えるまで目を離せずにしやぼん玉  群馬   佐藤かずえ
這ひ這ひの驚く早さ春うらら     群馬   佐藤さゆり
もう会へぬ人達のこと遠桜      東京   清水美保子
満潮にまた戻り来る花筏       神奈川  白井八十八
閼伽桶の氏の擦れや彼岸西風     東京   須﨑 武雄
酒もつとあつた筈なり春の宵     群馬   鈴木踏青子
地球から尻まで一寸潮干狩      千葉   園部あづき
踏青に天平の風国分寺        埼玉   園部 恵夏
行く春や棹深々と川下り       東京   髙城 愉楽
彼岸会のあと制服の採寸へ      福島   髙橋 双葉
藤垂れて静かな風を呼び起こす    埼玉   武井 康弘
沖縄の海の香ほのと海雲食ぶ     広島   竹本 治美
遠目にも背筋伸ばして黄水仙     三重   竹本 吉弘
爪革を外し拭ふや利休の忌      神奈川  田嶋 壺中
人形座黒子に桜纏ひ着く       東京   立崎ひかり
落し角岩戸隠れの山深く       東京   田中  道
陽炎やいつまでつづく砂遊び     神奈川  多丸 朝子
 竜安寺
再訪の石庭不変花の下        神奈川  長濱 泰子
三年も住めば都や陽炎へり      大阪   永山 憂仔
人去りし砂場に玩具啄木忌      埼玉   萩原 陽里
蜥蜴出づはや水音を聞きつけて    広島   長谷川明子
地の血潮噴くがに結ぶ梅の花     長野   蜂谷  敦
逆上り出来て桜も満開に       神奈川  花上 佐都
桜餅始めましたと峡の町       長野   馬場みち子
相生の山桜今朝開き初む       千葉   平山 凛語
沈丁花仕事は選ぶと決めやうか    東京   福田  泉
春疾風町を斜めに引きずりぬ     東京   福原 紀子
聖橋潜りて長き花筏         東京   星野 淑子
一遍像眼窩に深き春の闇       神奈川  堀  英一
庭隅に陽を呼び込めり花貝母     東京   牧野 睦子
大井川渡る鈍行茶摘過ぎ       神奈川  松尾 守人
メレンゲのよく泡立ちて水温む    愛知   松下美代子
散りむ風の重さや花衣       東京   八木 八龍
天の桴大地を打ちて喜雨来たる    東京   家治 祥夫
とびきりの青空画布に花ミモザ    東京   矢野 安美
名の山をま向ひに見る山桜      群馬   山﨑ちづ子
入学のあより始まる並び順      東京   山田  茜
富士仰ぐ磯巾着の咲く岩場      神奈川  山田 丹晴
サイフォンの音柔らかに春の雪    静岡   山室 樹一
花弁の散る儚さを愛でにけり     高知   山本 吉兆
雪渓の白馬眺むるあんず村      群馬   横沢 宇内
たんぽぽの閉ぢる夕べやまた明日   神奈川  横地 三旦
そり反るかたくりに寄す思ひあり   神奈川  横山 渓泉
良寛の歌に綻ぶふきのたう      山形   我妻 一男
七輪に磯の気を吐く大蛤       神奈川  渡邊 憲二
桜散りふつうの町に戻りけり     東京   渡辺 誠子
時折は渦に吞まれて花筏       東京   渡辺 文子




        












     





星雲集 今月の秀句

伊藤伊那男

囀や答辞に響く硝子窓          大住 光汪
 
信州の小中学校の頃を思い出す。私は団塊の世代であったので子供の数が多く、講堂に入りきれず校舎に囲まれた中庭の青空の下で行われた記憶もある。その場面にこの句を当てはめてみると生徒の答辞の声が周囲の硝子窓に谺する。校庭の木々からは囀も降ってくる。そのように自然に囲まれた卒業式の風景である。音が二つ混在している句だが煩わしさを感じさせないところがいい。同時出句の〈ずれて鳴る二つの時計昼のどか〉もおおらかな春の一景だ。 


尾道の遅日の坂の郵便夫         中野 堯司
「尾道」の地名がよく効いている句だ。若い頃、兄の医学生仲間の実家に私も招かれて尾道で遊んだ。町の中に医院兼自宅があり、我々は坂の上のゲストハウスに泊めていただいたので、この町の様子はよく解った。句は「遅日の坂」が眼目。急峻な住宅街でありながら、温暖な瀬戸内海の雅びな町という特徴をよく捉えているのである。同時出句の同じ季語を使った〈遅き日の定時退社に逡巡す〉も「逡巡す」の措辞に企業戦士であった時代を懐かしく思い出す。


母と待つ家庭訪問さくら餅        有賀  理
私が子育てをしていた頃には、家庭訪問という行事は無くなっていたように思う。共稼ぎの時代でもあり、プライバシーの問題もあり廃止されていったのであろう。私の子供の頃は先生が来るとなるとドキドキしたものだ。教室での不真面目な態度やいたずらがばれるのではないかと。母もそれなりの緊張感があったのか家の中を片付けたり、菓子を用意したものだ。季語の配合がよくよく効いた句である。先生が帰ると残ったさくら餅は作者の口に入るのであろう‥‥。


病院を三軒廻り遅日かな         福永 新祇
 このような人は多いのであろう。たっぷり三つの病院を巡って診断を受け、薬を貰う。一段落すると、いつもなら日が暮れているのに、今日はまだ辺りは明るいまま。ああ春がまた巡ってきたのだな‥‥と思う。「遅日」を使って今日的世相を詠んだ類例の無い作品であった。同時出句の〈里山を膨らますかの百千鳥〉は「膨らます」に独自性がある。


風船の売り子飛ばざる不思議かな     辻本 芙紗
 風船は富山の薬売りの土産のような紙製の折り畳まれたものが原型だが、次第に進化して、現在ではヘリウムガスを注入して空に浮くものが主流である。この句はその風船を詠んでいる。ヘリウムガス入りの風船を束にして握っている売り子を見て、あんなに大きくて沢山の風船を持っているのに何故宙に浮かないんだろうと首を傾げる作者の様子が愉快である。同時出句の〈花見酒尻に敷かれし提案書〉にはひたむきな若手社員の姿が浮かぶ。


自分にもつく噓のあり四月馬鹿      手嶋 惠子
 四月一日は噓をついても許されるとされ、エイプリル・フール、四月馬鹿、万愚節とも言われる。ヨーロッパ起源の風習で日本には大正時代に伝わったという。この句は自分に噓をつく、というのが意外であった。人とは違う観点で四月馬鹿を詠んでいるのである。そこが「俳」‥俳句の根底にある「おかしみ」である。同時出句の〈階段の手すりの温み春そこに〉も「手すり」への着目が独自である。


活躍のカメラも重し花疲         三井 康有
 「活躍のカメラ」の表現がユニークである。撮影をしているのは作者本人なのだが、表現方法としてカメラを全面に出して強調しているのだ。最後は「花疲」で納めたところが楽しい。


野焼の火小さく見せて富士裾野      白井 飛露
 山廬訪問のあと私も実見した風景である。山中湖を隔てた対岸の富士の裾野の山焼である。近づけばきっと壮大な茅原であろうが、富士の偉容を背景にすると芝焼の炎くらいにしか見えないのだ。そうした対比をきっちりと捉えている。同時出句の〈後山下る菫の花を踏まぬやう〉は山廬に対する心の籠った挨拶句。


新わかめ茹で松島の色となる       上村健太郎
 松島湾に浮く数々の島の松の色と茹で上げた新若布の色を重ねたところがうまい。「松島の色」と地名を比喩に取り込んだところが技である。 
その他印象深かった句を次に。


体脂肪減らすお茶飲む春一日       星野かづよ
遅日かな寺の縁起を友と聞き       長谷川千何子
気象士の顔の緩みて水温む        橋本  泰
糸遊の千切れてはまた繫がりて      辻本 理恵
黄水仙夕陽に色を吸はれけり       住山 春人
家族史を軽くたどりぬ雛の宴       島谷  操
母と子の絆吹き込む紙風船        倉橋  茂
しやぼん玉歪みし街を閉ぢ込むる     北原美枝子
足裏を攫ひゆく波潮干狩         小林 美樹



















伊那男俳句  


伊那男俳句 自句自解(31)
          
 
山青し岐阜提燈に灯を入れて
 私の母の弟、池上樵人に〈母が灯し嫂(あによめ)が吊り岐阜提燈〉がある。母の実家は江戸期から続く商家で、敷地には海鼠塀の蔵が五つほどあった。母が育った頃は番頭さんや女中さんが十数人いたらしいが、戦後は没落し普通の雑貨店になっていた。良き時代を知っている祖母は気位が高く、私達も「おばあさま」と呼ばされていた。仕えた「嫂」は随分苦労があったと思う。長谷川櫂は『現代俳句の観賞101』の中で「この句を読んで、まず心の中に浮かぶのは、古い浮世絵に描かれたような老若二人の女の姿である。次に、ではなぜ母はみずから提灯を吊るさないのかと考えれば、若い女の、姑へのいたわりの想いにはたと気づくだろう」とある。私の句は樵人の句に触発され、同じ家の庭に景を転じた発想である。ふるさとを離れて初めて気付くのだが、信濃の夜の緑は深くて美しい。開け放った座敷には木々の香が溢れ、灯を点すと遠くの山々が透けて見えるようだ。家々はそのようにしてご先祖様を迎えたのである。

  
吾が病後一合と決め温め酒

 築地の国立がんセンターで大腸S字結腸癌の切除手術を受けたのは四十五歳の時であった。長い間の暴飲暴食に会社倒産の危機感などのストレスが加わっての発症であった。手術後は反省を籠めて、しばらくは酒を休むと決心して、規則正しい食生活に入った。友人から「元気になったら飲みましょう」と誘われていて、退院から半年過ぎた秋の頃、日野のその友人宅を訪ねた。久々少量のビールと日本酒を味わった。その時は本当に、これから先は一日一合位の酒にとどめて過そうと思ったのである。酒は高校生の頃から飲み続けており、もう人の何倍も飲んだのだし、こうして命拾いしたのだから……。だが、ああ、結局はこんなにだらしない大酒飲みに戻ってしまったのである。つくづく意志薄弱の男である。さてその後悲しい場面があった。この時私を招いてくれた友人は、その翌月位に何と、余命三か月という膵臓癌の宣告を受け、翌年早々に亡くなられてしまった。 
 














  
   


 



銀漢の絵はがき


挿絵が絵葉書になりました。
Aシリーズ 8枚組・Bシリーズ8枚組
8枚一組 1,000円

ごあいさつにご利用下さい。



    



















掲示板
























 
             

銀漢亭日録

伊藤伊那男

5月

5月2日(水)
 今日は店開けることに。6月号の選句稿仕上げ。会員分は大溝さん、同人分は花果さんに取りに来て貰う。日録の不足分はまほさんに。選評、彗星集はこのあと。「宙句会」あと10人。新人会員1人。「未来図」の編集長、守屋さん、宗一郎さんなど。このあと、4日間休み。

5月3日(木)
 夕方、店の掃除。19時、「極句会」に出る。大野田さん誕生日とて、句会あと、「王家飯店」12人で親睦会。あっという間に23時。

5月5日(土)
 9時半、小田急線鶴間駅。「早蕨句会」吟行会に参加。17名。人工透析治療に入った保谷さんもお元気に参加。「泉の森」の丘陵地帯を吟行。隣が厚木基地で米軍戦闘機が時々過ぎる。大和駅まで出て町田へ。昼食後、句会。俳話など。入院しいてた久重凛子さん登場。拍手で迎える。あと、「いろは寿司」にて親睦会。お開き後、久重さん他と喫茶店。幹事の釜萢さんに感謝。

5月6日(日)
 午後、中野サンプラザにて「春耕同人句会」56人。あと、「炙谷」にて親睦会。あと、窪田、池内、柚口、洋酔さん等ともう一軒。帰宅して娘夫婦と少し……。

5月7日(月)
 「かさゝぎ俳句勉強会」あと10人。堀葦男の弟子であった堺田さん。

5月8日(火) 
「あ・ん・ど・うクリニック」。明日、服の下取り屋さんが来るとて、丁度、お掃除に来てくれている中根さんと徹底的に服の整理。随分すっきり。あとは本の整理をしないと。店、「火の会」10人。皆川文弘さん。

5月9日(水)
 武田禪次さんより、癌の疑い晴れたと。かれこれ1年近く色々な検査の末。心労多かったと思う。よかった! 発行所、「梶の葉句会」。あと、「きさらぎ句会」。終わって6人店へ。麦、羽久衣さん。国会議員のT先生久々。

5月10日(木)
 発行所6月号の校正と編集会議。「極句会」は店で句会。洋酔さんゲスト。あと親睦会14人。

5月11日(金)
 第三句集の原稿、北辰社へ渡す。カバーの写真、提供を宮澤に依頼。店、「大倉句会」あと15人。

5月12日(土)
 10時、発行所にて運営委員会。午後、「銀漢本部句会」56人。終わって「王家飯店」にて親睦会。

5月13日(日)
 終日家。休養。堀切克洋句集の跋文用意。夕食。鰹の叩き、雲呑など作る。

5月14日(月)
 昼、「文學の森」創立15周年祝賀会と各賞贈賞式。京王プラザホテルのコンコードボードルームC。堀切克洋君、第8回北斗賞受賞にて招待客として。増成栗人、大高霧海、鳥居真里子、小暮陶句郎、杉阪大和氏等と同席。終わって店。ただし本日は閑散。

5月15日(火)
 13時過、店に入り仕込み。関西の高野清風さんを座長とする「葵句会」の面々。子規庵〜子規の墓を巡って、銀漢亭へ。15名。句会と宴会。清人さんが気仙沼の生牡蠣殻付き、剥き身、海鞘、刺身を用意。

5月16日(水)
 店、水内慶太、麻里伊、十朗さん。「三水会」4人。客少なく、私も交じる。堀切克洋君句集の跋文6枚手渡し。

5月17日(木)
 慶大丘の会の先輩橋本、谷本さん等3名、句会あと寄って下さる。同じ句会の池田のりをさんも来店。水内慶太さん「月の匣」の総会の松山往復切符届けて下さる。別にお金が入っており往復の時間調整に酒でも飲んでくれ…と。何という気配り! 「未来図」の守屋さん、「街」の竹内さん、「銀漢」の武田さん、今日アルバイトの「天為」の天野さんと入れ替わり立ち代わり4人の編集長。加えて元「俳句」編集長の鈴木忍さん。元伊勢神宮の河合真如さん、宮澤と打ち合わせに。伊勢市出身の役者岡明子さんも。

5月18日(金)
 発行所「蔦句会」へ選句。あと7人店へ。入れ替わりに藤森荘吉さんの「閏句会」8人。21時半閉店。

5月19日(土)
 正午、軽井沢プリンスホテル。宮坂静生先生の「岳」40周年記念大会。柳田邦男、アーサー・ビナード氏のジョイントトークを聞く。祝宴まで一時間休憩あり、駅に行き、指定席変更、アウトレットで仕事用の靴二足購入(puma)と大忙し。15時半、祝宴。加古宗也、月野ぽぽな、佐藤文子、坂口昌弘、酒井佐忠氏などと同席。3時間を超えるパーティー。300人位いたか。日帰り。

5月20日(日)
 正午、早稲田のリーガロイヤルホテル東京にて「南風」主宰村上鞆彦、今泉礼奈さん結婚披露宴。礼奈さんは学生時代、銀漢亭のアルバイト。私が婚姻届の証人。今日は乾杯の発声役。俳人が客の半分。80人位は集まったか。盛大。二次会も近くの店。俳句詠み合わせ相撲などもあり。あと高田馬場近くで銀漢亭仲間8人ほどで三次会。連日のパーティーでヘトヘト。

5月21日(月)
 店、「演劇人句会」8人。三輪初子さん他。洋酔さんひょっこり来店。奥さん骨折で入院中。

5月22日(火)
 角川俳句7月号へ16句送る。「俳句αあるふぁ」の料理頁の校正。

5月23日(水)
 店、「雛句会」11人。メンバーは野村證券出身者。全く別に野村證券で30年中国にいた川畑保さんが数年振りに来店。


5月24日(木)
 予約等無い日。宗一郎、るぴ、近恵、はじめ、硯児さんなど常連だけ。22時には閉める。

5月25日(金)
 野村證券同期生で奈良在住の畑中利久君と学習院の仲間4人来店。畑中君は八年勤務の後、独立。奈良を舞台にホテル経営。奈良国立博物館、春日大社国宝館に各々カフェ開店。大阪中心に中華料理九店、来年1月に三越銀座店に出店準備中。会うのは40数年振り。7月に奈良で会う約束。発行所「門」同人会。あと丸山さん。「金星句会」あと5人。

5月26日(土)
 午前中ゆっくり。うたた寝など。16時から、銀漢亭にて倒産した金融会社の同窓会。男8人、女5人集まる。思い出話や近況など語り合い、22時過ぎまで。新入社員だった女性が50歳になったという。往事茫々の思い。

5 月27日(日)
 終日家。7月号の選句終える。うたた寝。夕飯担当。ステーキ焼く。安い肉ながら焼き方に自信あり。宮澤は新潟へ出張中。21時過ぎに寝る。

5月28日(月)
 9時間以上寝たか。風邪どうやら回復。血圧もいつもより低い!









         
    






今月の季節の写真/花の歳時記



2018年7月20日撮影   カサブランカ   TOKYO/HACHIOJI



花言葉    「高貴」「純粋」「無垢」「祝福」

△カサブランカ
贈り物やブーケに欠かせないカサブランカは、ユリの中でも最も美しいとされ「ユリの女王」とも呼ばれます。
梔子 半夏生 百日紅 フロックス コキア  
 
釣鐘人参  
写真は4~5日間隔で掲載しています。 
2018/7/17 更新


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