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 7月号  2019年



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伊藤伊那男作品

主宰の8句







        
             

 
          

今月の目次









銀漢俳句会/2019/7月号










  




   



銀漢の俳句 

伊藤伊那男 


◎細見綾子生家を訪う

 4月末に兵庫県丹波市青垣町の細見綾子生家を訪ねた。前日宿泊した京都からバスで出発したが、高速道路を使ってもたっぷり2時間はかかる山間の農業地帯である。細見綾子の夫は「風」主宰の沢木欣一。昭和40年から50年代は「風」の全盛期で、会員2.000人を擁する大結社であった。沢木は戦後、社会性俳句を推進したが、昭和30年代後半から写生俳句を標榜した。丁度高度成長期に突入した日本は各地で土地開発が進み始め、風土が変貌、画一化していく中であった。そこで、残された風土、風習を詠み止めておこうとする風土性俳句が勃興した。風土を詠むには写生が極めて有効であり、この二つが合致して、「風」系の俳人が次々と角川俳句賞を受賞していく時代であった。その中にも拘らず細見綾子だけは独自の抒情句を貫き揺らぐことはなかった。思えばその前の社会性俳句の時代にも決して染まることは無かったので座標軸は一貫しているのである。
その細見綾子はこの丹波の山中に明治40年に生まれ、日本女子大学を卒業。東大医学部助手の太田氏と結婚したが数年で死別。自身も病を得て帰郷し、療養生活に入った。その時の主治医に勧められて俳句を始めたのであった。大阪の松瀬青々の「倦鳥」に投句し、昭和17年、第一句集『桃は八重』を出版し、注目された。戦後、復員した沢木欣一と結婚し、一時金沢に住んだが、沢木が文部省に入省(後、東京藝術大学教授)したのを機に東京武蔵境に住んだ。
 さて丹波の生家についてである。沢木との間に一人息子 太郎がいた。太郎は俳句を作った時期もあったと聞くが、私の想像では俳句を嫌う、いやもしかしたら憎むようになったのではないか、と思っている。細見、沢木没後、遺句集や全集を出す企画に対し一切許可を出さなかったのであった。7、8年前であったか、自宅の屋根に登り、木の枝を剪っている最中に転落して死去した。再婚していた夫人から俳人協会に連絡があり、その顛末を知るところになったのである。
その後夫人の許諾があり全集も出版され始めた。丹波の生家を夫人が相続し、何と一億円の現金を添えて丹波市に寄贈したのであった。市は条例を作り、展示用に改修工事を行い、昨年一般公開の運びとなったという経緯である。近くの高座神社に〈でゝ虫の桑で吹かるゝ秋の風〉の句碑がある。この句碑建立の実行委員長を皆川盤水先生が務めた。青垣町とは美しい名前である。折しも代田のどれにも美しい丹波の山々が映り込んでいた















 



  

盤水俳句・今月の一句

伊藤伊那男
雪渓が天際(てんぎわ)までの月の山         皆川 盤水

 先生は50歳近くになってから出羽三山に魅了された。沢木欣一に斎藤茂吉研究を勧められ、度々山形を訪ねる中で知識と造詣を深められたようだ。何回か月山に登山をしているが、初めての登山は55歳と高齢、かなりの覚悟が必要であったと思う。芭蕉も登った山である。雪渓の道を「雪渓が天際までの」と臨場感を持って把握したのは、この山の神々しさに触れての挨拶である。〈月山に速力のある雲の峰〉はまだ登山する前の作。
                            (昭和57年作『山晴』所収)















  
彗星集作品抄
  伊藤伊那男・選

大君の退位は待てず葉桜に         小野 無道
信濃川雪解の濁り継ぎ継ぎて        小野 岩雄
植樹祭軍手のままの祝辞かな        小山 蓮子
花の夜の寺門葷酒へ開け放つ        伊藤 庄平
古りし鍋筍湯掻くためだけの        多田 悦子
田を返すその深きより父祖のこゑ      多田 美記
黝ずみて板に返りし板踏絵         坂口 晴子
行く春や旧町名の回覧板          上田  裕
つばくろへ大きく開く長屋門        武田 禪次
焼いてなほ朱濃くなりし花鰔        田中  道
目借時万華鏡めく内視鏡          山口 輝久
大恋愛のすゑや菠薐草ゆでる        小田島 渚
言霊の乗り移る手や嵯峨念仏        清水佳壽美
雲雀野をぬけて入鹿の首塚へ        三代川次郎
亡き人の再び死ぬる春の夢         長谷川明子
都府楼の礎石に触るる花夕べ        瀬戸 紀恵
弔問に言葉は要らぬ沈丁花         渡邉 憲二

















彗星集 選評 伊藤伊那男


大君の退位は待てず葉桜に         小野 無道
 ここ数ヶ月元号令和が入った句を嫌というほど目にしたが、一口に言って、いい句はなかった。今日的話題――時事――を詠むのは難しいものである。半年もしたらもう色褪せてしまうものなである。それなら自然の造形を詠む方がはるかに良い、ということになる。その中では、掲句のような作り方は大成功と言える。「平成」とか「令和」という言葉は使っていないけれど「退位」を使って、生前の譲位であることを明確にしている。四月末日という節目で春の季語の桜から、夏の季語の葉桜へ転換する。そのような仕掛けが鮮やかに施されているのである。

  
信濃川雪解の濁り継ぎ継ぎて        小野 岩雄
信濃川というのは秩父山地に発源する千曲川と、飛騨山脈に発源する犀川が長野市で合流し、信濃川の名称に変る。更に越後の魚野川が合流して新潟市で日本海に注ぐ全長三六七kmの日本第一の長流である。他にも無数の細流を巻き込んでおり、春であればその度に雪解水を呑み込んでいく。そのことを「継ぎ継ぎて」と表現しているのであり、雄大で的確。信濃川の固有名詞が揺るがない名作となった。

 
 植樹祭軍手のままの祝辞かな       小山 蓮子
植樹の前か後か解らぬが、植樹を行った来賓が挨拶をするのに、軍手のままであったと言う。そこに目を付けたところがこの句の手柄。皆が見逃してしまう微細なところを見逃していないのである。ちゃんとアンテナを張っているからこその発見である。白い手袋と新緑の対比も読み手の目に浮かぶ仕掛けである。 

  
花の夜の寺門葷酒へ開け放つ        伊藤 庄平
最近は桜で知られる寺が夜桜のライトアップで観光客を集めているようだ。拝観料の二毛作という商魂である。花見時の夜であるから既に酒の入った人々が多い。「葷酒山門に入るを許さず」の碑文など何のそのといった状態。批判精神と世相の滑稽味が入り混っているのであろう。 

  
古りし鍋筍湯搔くためだけの        多田 悦子
 面白い句だ。一年に一回だけ使う調理道具。私で言えば大きな岩魚の形をした骨酒を作る酒器。からすみを作るときの天日干用の虫除け網……など。さてこの句、凹凸のある大きなアルミ鍋であるか。大きな鍋なので筍が入ったときだけ。それも毎年ではないかもしれない。無用の用か。

  
田を返すその深きより父祖のこゑ      多田 美記
 一読、村上鬼城の〈生きかはり死にかはりして打つ田かな〉を思い出す。何代にもわたって連綿と繰り返して稲作がある。父母、祖父母の汗の結晶を今、自分が継承している。耕すたびに先祖の声が甦るのである。

  
(くろ)ずみて板に返りし板踏絵         坂口 晴子
幾度も踏まれて判別ができない踏絵。深い思いが籠る。 

  
行く春や旧町名の回覧板          上田  裕
 町名も変る。回覧板だってほとんど見ることが無い。

  
つばくろへ大きく開く長屋門        武田 禪次
 気持ちの良い句だ。ここへ飛来する燕は幸せもの。

 
 焼いてなほ朱濃くなりし花鰔       田中  道
 婚姻色の出た鰔は焼けばもっと朱を増すと誇張した句。

  
目借時万華鏡めく内視鏡          山口 輝久
 自分の内臓を見ているか。医者の方だと怖い。

  
大恋愛のすゑや菠薐草ゆでる        小田島 渚
人生とはそのようなもの。ほうれん草の日常性がいい。

  
言霊の乗り移る手や嵯峨念仏        清水佳壽美
清涼寺釈迦堂の無言劇。手が全てを語るのだ。 

  
雲雀野をぬけて入鹿の首塚へ        三代川次郎
敗者はいつも悲しい。穏やかな風景の中の悲劇。

  
亡き人の再び死ぬる春の夢         長谷川明子
ちょっと悲しい春の夢。そのようにして記憶は続く。

  
都府楼の礎石に触るる花夕べ        瀬戸 紀恵
筑紫の太宰府。歴史への思いを詠んで抒情が深い。

  
弔問に言葉は要らぬ沈丁花         渡邉 憲二
沈丁花の「沈」の字や香りの深さの取合わせが効いている。















銀河集作品抄


伊藤伊那男・選

万愚節中国製なるタイみやげ       東京  飯田眞理子
青き踏むただ我が庭を行き戻り      静岡  唐沢 静男
潮じめる土牢の洞百千鳥         群馬  柴山つぐ子
鳴くたびにさざ波立てて夕蛙       東京  杉阪 大和
卒業歌木の長椅子の片傾ぎ        東京  武田 花果
春眠や遠き霧笛の尾の中に        東京  武田 禪次
五加木飯出羽の武骨をとほす夫      埼玉  多田 美記
雁風呂の肌嚙んでくる熱さかな      東京  谷岡 健彦
官女らに永久の黒髪雛納め        神奈川 谷口いづみ
生きのびて胃ろうに注ぐ春の水      愛知  萩原 空木
万葉集の帙をひもとく名残雪       東京  久重 凜子
韃靼の風来て蝶をおびやかす       東京  堀切 克洋
海苔篊に定期航路の水脈襲ふ       東京  松川 洋酔
豆撒や横綱が塩つかむごと        東京  三代川次郎














         





綺羅星集作品抄

       

伊藤伊那男・選

睨みあふ国の迷彩山笑ふ        長野  北澤 一伯
かげろふにも躓く母でありにけり    東京  鈴木てる緒
花疲れ三面鏡の一面に         埼玉  夲庄 康代
陽炎の芯は原爆ドームなり       千葉  無聞  齋
鎌倉の闇の量感虚子忌なる       神奈川 久坂依里子
ここより空風船追へぬ高さより     東京  桂  信子
風の名の多きふるさと石鹸玉      東京  宇志やまと
生き生きと町は子育て燕来る      神奈川 大野 里詩
俗にして亀鳴くをまだ聞きそびれ    東京  畔柳 海村
海鳴りを足裏で聴く潮干狩       千葉  森崎 森平
花守にかつて僧たる日々ありと     埼玉  渡辺 志水
皇居より泥もらひ来る夕燕       東京  宮内 孝子
鳥帰る防潮堤の切れ間から       岐阜  堀江 美州
脇腹のあたり歩めば山笑ふ       茨城  中村 湖童
蟻穴を出でて掻き出す穴の闇      東京  有澤 志峯
法要も婚礼もある寺の春        東京  大溝 妙子

桜蕊降るにまかせて立ち話       東京  相田 惠子
退院の真つ先に行く春の海       神奈川 秋元 孝之
蜆汁働き方を変へられず        神奈川 有賀 理
土筆野や穂先をかはす関ヶ原      東京  飯田 子貢
春愁や書きかけの遺書状差しに     埼玉  池田 桐人
大漁旗振つて島の子卒業す       埼玉  伊藤 庄平
囀にせかされてゐる朝ぼらけ      東京  伊藤 政三
青麦や隙間だらけの時刻表       神奈川 伊東  岬
空き家しか見えぬ北窓開きけり     東京  今井  麦
縄文も弥生も埋め花大根        東京  上田  裕
行きずりの人に声かけ花日和      埼玉  梅沢 フミ
遠足や学校の名をまた聞かれ      埼玉  大澤 静子
調律の済みし森より囀れり       東京  大住 光汪
うぐひすや一区切りつく厨ごと     東京  大沼まり子
蜂の巣の塞ぐ雨戸にある乾き      埼玉  大野田井蛙
身仕度を指顧春寒の家を出でぬ     東京  大山かげもと
もてあます両手の荷物春の雷      東京  小川 夏葉
地虫いま眼鏡の端に見えてくる     宮城  小田島 渚
春障子衣裳合はせの声漏るる      埼玉  小野寺清人
指で窪つけて蒔かるる花の種      神奈川 鏡山千恵子
二三片花びらつけて甘茶仏       和歌山 笠原 祐子
今空と同じ色なる犬ふぐり       東京  梶山かおり
蜜蜂の縞のひとつの震へをり      愛媛  片山 一行
溯ることも隅田の花筏         東京  我部 敬子
素つ気なく行き交ふ花の散りしあと   高知  神村むつ代
花冷えの車座徐々に縮まれり      東京  川島秋葉男
彼の世との境と思ふ花吹雪       東京  柊原 洋征
日溜りの塵の一つに春の蠅       東京  朽木  直
水の上に張り出してゐる朝桜      東京  小泉 良子
きいきいと扉なかせて御開帳      神奈川 こしだまほ
をり節にふる里恋しよもぎ餅      東京  小林 雅子
山ざくら秩父詣での簡易宿       東京  小山 蓮子
花冷や奥処にしまふ喪の真珠      長崎  坂口 晴子
春夕焼だんだん畑を下りくる      千葉  佐々木節子
ふらここの踏み出すところ土凹む    長野  三溝 恵子
クレソンを光の水に引きにけり     東京  島  織布
つひ空を仰ぐかな角落ちし鹿      東京  島谷 高水
朧夜の百鬼夜行のやうな路地      兵庫  清水佳壽美
潮干狩り迷子は貝を握りしめ      埼玉  志村  昌
花鯎薫もどこかはなやぎぬ       千葉  白井 飛露
ときをりは天女撒くらし花吹雪     東京  白濱 武子
希望希望一杯希望桜咲く        東京  新谷 房子
集めたる落花ふたたび風に舞ふ     大阪  末永理恵子
まだ空の高さは知らず蝶生まる     静岡  杉本アツ子
凧高く空と我との糸電話        東京  鈴木 淳子
よく晴れてけふは囀待つばかり     東京  角 佐穂子
二の丸に隣り合ふ畑夕蛙        東京  瀬戸 紀恵
春雷に急停車する縄電車        神奈川 曽谷 晴子
声くらべ鶯嬢と鶯と          長野  高橋 初風
鴨川の水音に乗る花筏         東京  高橋 透水
行き交ふもみな花人のあゆみかな    東京  武井まゆみ
闊歩する縁切寺の春ショール      東京  竹内 洋平
燻されし桜鯎はさくらの香       東京  多田 悦子
ごつごつの石と見まがふ土蛙      東京  田中 敬子
鳥帰る水面に綺羅を置き去りに     東京  塚本 一夫
水溜りひとつ跳び越し春夕焼      東京  辻  隆夫
初桜完治まだきも退院す        愛知  津田  卓
倒木の枝の芽吹きや吉野建       東京  坪井 研治
古書店のはたき生き生き春の塵     東京  戸矢 一斗
洛中へ吸ひこまれたるつばくらめ    大阪  中島 凌雲
一片を旅信に綴る山ざくら       神奈川 中野 堯司
聞き役のかすかな鼾春炬燵       東京  中野 智子
膝に貼る二枚の湿布花疲れ       東京  中村 孝哲
虎杖や峡の田毎の水光る        埼玉  中村 宗男
伸びさかる頭傾くつくしんぼ      東京  西原  舞
瀬音澄む鞍馬の宿の青簾        東京  沼田 有希
三日三晩つなぐ灯や御開帳       東京  橋野 幸彦
共にとは言へぬ間合や春の鴨      広島  長谷川明子
夫恋ひの声とも残る鴨の澪       神奈川 原田さがみ
遺跡より望む霞の茅渟海        兵庫  播广 義春
三寸のおん身甘茶におぼれさう     東京  半田けい子
竜宮へ帰る旅路か桜鯛         東京  福永 新祇
暗がりに港がかりや花筏        東京  星野 淑子
レンズ越しの匍匐前進犬ふぐり     東京  保谷 政孝
啓蟄や天地を返し砂時計        東京  堀内 清瀬
()に這うて蛍は相を占ふか       東京  松浦 宗克
夜の皿に際立つてゐるアスパラガス   東京  松代 展枝
新社員育ちの良さを衒ひなく      神奈川 宮本起代子
オリーブの島の便りや鰆東風      東京  村上 文惠
風船に玩ばれつ行く児かな       東京  村田 郁子
瞑りても花吹雪きけり吉野山      東京  村田 重子
また違ふこゑ囀に加はりぬ       東京  森 羽久衣
春駒の総身風となりにけり       埼玉  森濱 直之
花筵境が崩れ交はす酒         長野  守屋  明
暫くは漕がず揺らさず半仙戯      愛知  山口 輝久
花守として惣門の仁王像        東京  山下 美佐
彼岸会や踵を余す堂の磴        群馬  山田  礁
スカイツリー辺りもつとも陽炎へり   東京  山元 正規
地下鉄の地図広げゐる街うらら     神奈川 𠮷田千絵子
糸桜仰ぎて見れば昼の月        愛媛  脇  行雲
いたどりのつんと腹切やぐら道     東京  渡辺 花穂


















     







銀河集・綺羅星今月の秀句

伊藤伊那男

睨みあふ国の迷彩山笑ふ        北澤 一伯
韓国側のイムジン河のほとりを訪ねたという。私達の若い頃フォークグループの「イムジン河」という歌がヒットしていたことを思い出す。南北の境界の河である。作者は私の同期なので、きっと強烈な記憶を持っての訪問であろう。句の中の迷彩は軍服の色を指すのであろうが、まるで若葉の色まで、そこだけは迷彩色であるかのように思われてくる。同時出句の<畦塗は北より流るる水で塗る>も複雑な政治状況を農作業の中にさりげなく詠み込んでいるが、静かな表現であるだけに尚更感慨は深まるのである。


かげろふにも躓く母でありにけり    鈴木てる緒
 かげろうのはかなさを象徴的に用いた抒情句で成功した。「かげろふにも躓く」とは何とも詩的な表現である。躓くはずもないかげろうに躓く――多分体力も気力も衰えてきた母の様子が如実である。「かげろふにも」の字余りの「も」が重要であり、「ありにけり」というほとんど意味を持たない措辞が生きているところがいい。


花疲れ三面鏡の一面に         夲庄 康代
 「花疲れ」という、肉体的な疲れともやや異なる疲れをうまく捉えているようだ。三面鏡の全部ではなく、一面だけに「花疲れ」が映っている、というところにそれが出ているようだ。「花疲れ」という気分的な疲れを感覚的に詠み切って出色であった。


陽炎の芯は原爆ドームなり       無聞  齋
原爆ドームを残しておいたことは良かったと思う。戦争の悲惨さの記憶として、目に見える負の遺産として存在していることが貴重である。「陽炎の芯」とは即ち記憶の芯ということであるかもしれない。原爆の激しい光線ではなく、平和を希求する光を発しているのだ。 


鎌倉の闇の量感虚子忌なる       久坂衣里子
「鎌倉の闇」というのは単なる自然の明暗ではなくて、歴史が醸し出す闇ということであろう。またここを拠点に活動した高浜虚子の持つ闇――悪人虚子でもあり、臣虚子でもある――も合わせて表現しているようだ。「量感」の表現に虚子の桁外れの大きさが出ているようだ。 


ここより空風船追へぬ高さより     桂  信子
「空」は一体どこから始まるのか、地表の上はすぐ空であるのか?屋根から上であるのか?東京タワーから上あたりなのか……?作者は風船が手から離れてもう摑まえられないあたりからが空であるという。面白い基準である。子供の高さ、大人の高さと微妙な違いもあろう。柔軟な発想がいい。


風の名の多きふるさと石鹸玉      宇志やまと
作者の故郷は信州だが、この句の場合は読者の各々の故郷を思い出して貰いながら味わうのがよかろう。日本中どこでも独特の風の名前がある。子供の頃吹き散らした石鹸玉は、何という風に乗って飛んでいったのであろうか……。同時出句の<紙風船つけば減りゆく母の息>は人の世の抗うことのできない宿命を詠む。これは名作だ。<夕桜着物の国を灯ともして>はほどよい抒情。花衣を違う角度から捉えた独自の感性。 


生き生きと町は子育て燕来る      大野 里詩
 一読、昭和二十年代の後半から三十年代中頃までを懐かしく思い出す。燕の数ほどの子供が町に溢れていて、道路が遊び場であった。町全体で子育てをしていた感じである。燕も犬も猫も身近な時代であった。明日はもっと明るいという希望があった時代……。そんな活気を思い出す。同時出句の<燕の子口を大きくしたもの勝ち>にもあの時代の空気が漂っているように感じられる。


俗にして亀鳴くをまだ聞きそびれ    畔柳 海村
 「亀鳴く」という本来は鳴かないものを鳴くと断定した文人趣味的な季語を面白く生かした。文芸を極めた先達には聞こえたようだが、私にはまだまだ……と言いながら、したり顔の文人への揶揄も少し入っているようだ。「また聞きそびれ」「まだ聞かずをり」か。


海鳴りを足裏で聴く潮干狩       森崎 森平
  中七の「足裏で聴く」が新鮮な発見である。砂地だけを見ているので海の動き、波の波動は素足の裏で感知するしかない。感覚の良い句となった。

 その他印象深かった句を次に

花守にかつて僧たる日々ありと     渡辺 志水
皇居より泥もらひ来る夕燕       宮内 孝子
鳥帰る防潮堤の切れ間から       堀江 美州
脇腹のあたり歩めば山笑ふ       中村 湖童
蟻穴を出でて搔き出す穴の闇      有澤 志峯
法要も婚礼もある寺の春        大溝 妙子















               

 



 

星雲集作品抄
伊藤伊那男・選
秀逸

神饌に囀を添へ三方に        東京  保田 貴子
万年の吐息漏らして亀鳴けり     埼玉  萩原 陽里
明日去ればいつ来る家郷鳥雲に    東京  立崎ひかり
露なる攩網の形に蛍烏賊       東京  辻本 芙紗
蛤の一晩嘆く濁り水         東京  尼崎 沙羅
囀のはみ出してゐる今朝の森     東京  小林 美樹
重なりてなほよるべなき花筏     東京  矢野 安美
清水の塔に千歳の春霞        神奈川 白井八十八
春めくや思惟を支へる弥陀の指    東京  長谷川千何子
新任の教師に訛り啄木忌       長野  坂下  昭
薬売り相も変らず紙風船       群馬  佐藤 栄子
陽炎へる野に立つ我も陽炎へり    神奈川 横地 三旦
柿若葉去年の蔕を付けしまま     神奈川 横山 渓泉
春の日の飯食ふたびの眠りかな    東京  絹田  稜
おさがりもつんつるてんに風光る   神奈川 星野かづよ





星雲集作品抄

            伊藤伊那男・選


廬舎那仏さくら吹雪を半眼に     東京  秋田 正美
純白の卓布の染みや春うれひ     埼玉  秋津  結
灯籠のうす紅ひろげ枝垂梅      京都  秋保 櫻子
初蝶や少女の夢は定まらず      東京  浅見 雅江
お花見の弁当ねだる番鳩       愛媛  安藤 向山
善行は目立たぬやうにすみれ草    東京  井川  敏
待つことのまづ無き床屋山桜     東京  生田  武
雨戸繰る音聞きながら朝寝かな    長野  池内とほる
青葉雨悪しき予報はよく当たる    東京  石倉 俊紀
蝌蚪散りて映るわが影ぐしやぐしやに 東京  市川 半裂
姿なく桜前線みちのくへ       高知  市原 黄梅
寝息乗せ遠足のバス帰り行く     東京  伊藤 真紀
日の落ちて闇に溶けゆく山桜     神奈川 伊藤やすを
宍道湖のじよれんの光しじみ舟    広島  井上 幸三
巣立てとて案ずる明日の天気かな   埼玉  今村 昌史
ランドセル背負ひしままに蝌蚪発見  高知  岩原 里秋
ふる里や一望千里山笑ふ       愛媛  岩本 青山
みちのくの旅の始まる花曇      東京  上村健太郎
杉木立神々しきも伊勢詣       愛媛  内田 釣月
行く春や命を紡ぐ庭の土       長野  浦野 洋一
羊毛をさほど暴れず刈り終へる    埼玉  大木 邦絵
春めきていづちともなく寺参り    神奈川 大田 勝行
山の子は山の息して地蜂追ふ     東京  岡城ひとみ
釈迦の歳越えてしまひぬ万愚節    東京  岡田 久男
桃の花満開なれど間引かるる     群馬  岡村妃呂子
呆けてもなほ香を残す蕗の薹     神奈川 小坂 誠子
日本に来るとき速度増す燕      京都  小沢 銈三
春北風の佐渡を隠せりあの辺り    埼玉  小野 岩雄
境内に知る人なくて虚子忌今日    静岡  小野 無道
雪の果て十五の出船ありしかな    宮城  小野寺一砂
天昇るはずの龍の字懸り凧      東京  折原あきの
啓蟄のどこか騒めく地の表      静岡  金井 硯児
刃こぼれの越前岬いなつるび     福井  加茂 和己
遠山に薄衣掛ける夕桜        神奈川 河村  啓
藪を出て初音の口やそれらしく    愛知  北浦 正弘
春陰の白鳳仏や指の欠け       神奈川 北爪 鳥閑
白木蓮の遮るもののなき白さ     東京  北原美枝子
店番も客も媼の日永かな       東京  久保園和美
古希近し遍路の旅へ誘ふ友      東京  倉橋  茂
草も木も震へるごとき名残雪     群馬  黒岩伊知朗
チューリップ咲くや下校のチャイム鳴り 群馬  黒岩 清子
千年の池に幾重の花筏        愛知  黒岩 宏行
海鳴りに歩み速める夕遍路      東京  黒田イツ子
灌仏の視線辿れば富士落暉      神奈川 小池 天牛
常世へと散り行く友や花万朶     群馬  小林 尊子
濃霧はれ舳先の漁師目は獣      宮城  齊藤 克之
春の日や妻の料理をちよいと褒め   神奈川 阪井 忠太
言ひ訳の要らぬひとりの朝寝かな   長野  桜井美津江
ふらここや空をめぐれる子らの声   東京  佐々木終吉
おぼろ夜の化粧鏡のくもりかな    群馬  佐藤かずえ
伸びをしてどこまでも海磯遊び    東京  島谷  操
一両車吞み込まれゆく山桜      東京  清水美保子
葺替への茅の匂ひや火伏札      東京  須﨑 武雄
方丈もあれば上々花の宴       岐阜  鈴木 春水
マルクスに凝りし日のありちやんちやんこ 群馬 鈴木踏青子
春興や父母駅にして縄電車      愛知  住山 春人
野火止の水の恵みや麦青む      埼玉  園部 恵夏
学帽の淡き思ひ出勿忘草       東京  髙城 愉楽
緋牡丹の一片あはれ崩るるや     福島  髙橋 双葉
夏近し竿の手入れに心して      埼玉  武井 康弘
相寄りて春光分かつ鋏の刃      東京  竹花美代惠
畦の上土筆は森のにぎはひに     三重  竹本 吉弘
老いてゆくやうに風船凋みゆく    東京  田中  道
たんぽぽや声の弾けるすべり台    神奈川 多丸 朝子
業平の塚を見返る若緑        東京  田家 正好
彼岸会や読経の声の風にのる     愛知  塚田 寛子
たも網の揺るるに光る蛍烏賊     大阪  辻本 理恵
波が来ててんてこ舞の磯遊び     東京  手嶋 惠子
春夕焼切り絵となりし瀬戸の橋    東京  豊田 知子
 鎌倉にて
春嵐つはものどもの勝鬨か      神奈川 長濱 泰子
ゆく雲を遠くに重ね辛夷咲く     千葉  中山 桐里 
春の雪消えていつもの街透ける    東京  橋本  泰
新元号「令和」と知れり花筵     神奈川 花上 佐都
三脚の並ぶ一本桜かな        長野  馬場みち子
春暑し渋谷の夜の雑踏は       東京  福原 紀子
周五郎伏せて春灯暗くせり      神奈川 堀  英一
亡き父の引揚げ記録春灯       東京  牧野 睦子
ランドセル足がすぐ見え山笑ふ    神奈川 松尾 守人
亀鳴くやその日暮しの枕元      京都  三井 康有
猫と身を寄せ合ふ寒の戻りかな    東京  八木 八龍
古書店は西日の中に沈みけり     東京  家治 祥夫
薄氷や僅かに戻る還付金       東京  山口 一滴
挿してすぐ水かけあがるチューリップ 群馬  山﨑ちづ子
豆の花飛び立ちさうな朝かな     東京  山田  茜
初花や予報と違ふ陽の光       神奈川 山田 丹晴
幼子の寝息つつまし蛙鳴く      静岡  山室 樹一
むせ返る土の匂ひや芋植うる     高知  山本 吉兆
雪形がやせては太り農作業      群馬  横沢 宇内
珈琲の香の深まりし花の雨      千葉  吉田 正克
紅梅のほどよき匂ひ奥座敷      山形  我妻 一男
飛石に星散りばめし沈丁花      神奈川 渡邊 憲二
桜咲きいつもの道でなくなりぬ    東京  渡辺 誠子
暮れなづむ花菜畑は名画めき     東京  渡辺 文子















星雲集 今月の秀句

伊藤伊那男

神饌に囀を添へ三方に         保田 貴子
三方とは「神仏または貴人に供物を奉り、または儀式で物をのせる台。方形の折敷を檜の白木で造り、前・左・右の三方に刳形のある台を取り付けたもの。古くは食事をする台に用いた」とある。要はお供えを載せた台である。多分、鯣・昆布・塩・酒などであろうか。時は春、神社か寺の森は囀りがたけなわで、その声が三方にも載って供えられたという。本来のお供え物でない、鳥の声を供物と同等に扱うという詩的処理を施しているのである。同時出句の〈鷹化して鳩に大樹は曲物に〉は異なるものを並列にした面白さ、〈ポジションはベンチのままに春夕焼〉は野球少年の哀感。片仮名が二つ続くのは煩雑にて、ベンチ→「控へのままに」位にしたらどうであろうか。 


万年の吐息漏らして亀鳴けり      萩原 陽里
「万年の吐息」とは面白い表現である。鶴は千年、亀は万年と、長生きの象徴として用いるが、その長い長い生命の中から吐き出す吐息が鳴き声となった、というのはなかなかの技倆である。同時出句の〈竹皮を脱ぎてより竹寺の貌〉は本来に戻った竹寺の様子を、〈錫杖を突けば鈴の音花馬酔木〉は馬酔木の花の形状を、各々うまく捉えた。 


明日去ればいつ来る家郷鳥雲に     立崎ひかり
取合せが決った一句。たまにしか来ない故郷だが、また都会に戻る。次はいつ来ることになろうか、鳥は母国へ戻っていくというのに‥‥という感慨である。人の世の哀しみが滲む名品である。


露なる攩網の形に蛍烏賊        辻本 芙紗
攩網(たも)は小形の掬網で魚類をすくいあげるもの。蛍烏賊を引き上げると、一斉に光を発して闇の中に攩網の形が明瞭になった、という。美しい仕上りの句である。近頃は蛍烏賊漁を見学するツアーもあるそうだ。同時出句の〈鉛筆の一本にも名春炬燵〉は学期末の倦怠感が味わい。〈夜桜や遊具の色の賑やかに〉は視点の意外性。


蛤の一晩嘆く濁り水          尼崎 沙羅
 一晩砂を吐かせた蛤の水の濁りを「嘆く」と捉えたのは出色である。その濁りは蛤の嘆きの象徴。翌日食べられてしまうことを知っていたのであろうか。「嘆く」を使ったことにより、小説的な味わいを醸し出したようだ。同時出句の〈金継ぎの家宝の絵皿桜鯛〉〈落人の裔はちりぢり蜆舟〉も印象深い作品であった。


囀のはみ出してゐる今朝の森      小林 美樹
囀は繁殖期の雄の縄張り宣言と雌への呼びかけを兼ねた鳴き声をさす。新緑の頃が真っ盛りである。「はみ出してゐる」はまさに実感で、滴るような豊かな新緑が読み手の胸に甦る。同時出句の〈蝌蚪の水とろり瞼の重き午後〉もその時期の季感をうまく捉えている。目借時ということになろうか。 


重なりてなほよるべなき花筏      矢野 安美
花筏の果無さを一物仕立てで上手に捉えた。重なって淀みに留まっていても結局は流れ去っていく。「重なりて」と微細なところまできっちりと詠み取った眼力を褒めたい。 


清水の塔に千歳の春霞         白井八十八
「清水」の固有名詞がいい。もちろん京都の清水寺のことである。坂上田村麻呂の創建といわれ、平安遷都とほぼ同時期という歴史を持つので、「千年」は噓ではない。「千歳の春霞」が雅である。同時出句の〈逃水を追つて不思議のアリスかな〉も兎の穴を通って地下の不思議な国に入ってゆくアリスの物語へ「逃水」を使って導入する展開が見事であった。柔軟な発想を称えたい。 


薬売り相も変らず紙風船        佐藤 栄子
富山の薬売りは今も脈々と続いていると聞く。一年に一回置薬の配置と清算に廻るが、その時のお土産が紙風船。「相も変らず」がえも言われぬ俳諧味を醸している。


陽炎へる野に立つ我も陽炎へり     横地 三旦
 目の前にあるものが陽炎なら、自分だって陽炎に見える筈である。だが、そのように自分を詠んだ句は目にしていなかったように思う。同時出句の〈競馬場楕円に囲み花万朶〉もなるほど、競馬場なら「楕円」!発見である。


柿若葉去年の蔕を付けしまま      横山 渓泉
対象物をしっかりと観察した句は強いな、と思う。若葉の頃でも昨秋の痕跡をしっかりと残しているのだ。見た物に一歩も二歩も踏み込んで、人が見逃しているものを捉える。そこに天然の妙が潜んでいるのである。 



















伊那男俳句  


伊那男俳句 自句自解(42)
            
飾る間も七夕竹のしづく浴ぶ

 私の誕生日は7月7日。現在の暦だからこそ七夕の生れということになるが、もし明治5年より前の旧暦時代であったら、この日は何もない梅雨の最中の1日である。当然のことながら今の7月7日はかなりの確率で雨の中である。七夕竹も前後の雨が葉の裏に残っていて、願いの短冊を結ぼうとすると雨滴を浴びることとなる。誕生日を聞かれて答えると「おおっいい日ですね」と一度で覚えてくれるのだが、私としては心の中で「すみません。本来の七夕ではなくて」という思いがある。でもラッキーナンバーの7が二つ並んでいるのは何だか運の良い生まれのような気がして嬉しいのである。親交のあった俳人で「才円」主宰であった中戸川朝人氏も7月7日の生まれで〈父母若き日の七夕にわれ生る〉の句を発見して親しみを持ったものだ。私はこの7月で満70歳になるのだが。やはり冒頭の句のような空模様になるのだろうか……?  
  
箱庭の水車を廻す息かけて

 俳人は「箱庭」の季語が好きである。五七五という極少の詩形と、風景を極少に閉じ込める箱庭というものとの類似性が興を呼ぶのかもしれない。箱庭は江戸時代に大流行したというが、日本の住宅事情とも合っていたのであろう。世俗を離れて、詩仙のような生活をするのは古来文人墨客の夢であった。ただし実際に生活するのは大変で、確か太宰治の小説に次のような話があった。住んでみると訪ねてくる人が無く淋しさが募る。隠遁しても毎日食べなければいけないが、近くに店も無く調達が大変。それを見越して行商人が法外な値段で売りに来る。洗濯、煮炊き……毎日が忙しい、と。仙境というのもなかなか大変なようである。結局箱庭でも作って自分替りの人形を置き、水車に息をかけて廻すくらいが丁度いいのかもしれない。箱庭を見ながら仙境に浸り、妻から「ごはんできたわよ」と声を掛けて貰って吾に返るというのが一番の幸せであるのかもしれない。










      


 

伊藤伊那男  俳人協会賞受賞










 去る3月5日、平成30年度の俳人協会四賞の授与式が京王プラザホテルで行われました。
ご存じの通り、伊藤伊那男主宰が句集『然々と』で第58回俳人協会賞を、同人の堀切克洋さんが『尺蠖の道』で第42回俳人協会新人賞を受賞四、銀漢俳句会から4賞の内二賞を頂くという快挙となりました。2019/4/30/更新










俳人協会四賞・受賞式









更新で5秒後、再度スライドします。全14枚。


 二次会・店内に入りきれない人数でしたが,日曜日とあって店の前の通りも通行が少なく,穏やかな天候の下、外に溢れる受賞者の二人や他結社の方々と交流するなど、思い思いにお酒を楽しみながr懇談を深め,何時までも祝賀会の熱気は冷めることがありませんでした。









 受賞 祝賀会

 伊藤伊那男 俳人協会賞
堀切 克洋  俳人協会新人賞
2019/3/17 学士会館
銀漢亭(二次会)


 月刊「俳句四季」に受賞の記事が掲載されました。
月刊「俳句四季」に受賞の記事掲載は
5月号(4/20発売)か6月号(5/20発売)のどちらかを予定しています。


リンクします。

句集 「然々と」 伊藤伊那男

 
句集「尺蠖の道」
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linkします。



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受賞祝賀会 3月17日 日時 12時 
会場 学士会館 東京神田 


haishi etc
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銀漢の絵はがき


挿絵が絵葉書になりました。
Aシリーズ 8枚組・Bシリーズ8枚組
8枚一組 1,000円

ごあいさつにご利用下さい。



    





   







掲示板

























               

銀漢亭日録

伊藤伊那男

4月

4月23日(火)
「ひまわり会館」の「萩句会」選句。戻ると朝妻力さん、俳人協会賞予選委員二度目の務めで打ち合わせの帰りと。村上鞆彦、今泉礼奈夫婦。生後一ヶ月の貴彦君お披露目に。「青垣」の方々5名。「ひまわり句会」あと9名。山田真砂年さん。

4月24日(水)
家、次女杏来たけれど選句で話できず。店「雛句会」9人。終わって21時、閉めて帰宅。

4月25日(木)
朝から選句選評詰める。店「閏句会」9人。松山さん元会社同僚と。小島健さん。「港」主宰・大牧広先生、4月20日ご逝去と。「蛇笏賞」受賞されてよかった。

4月26日(金)
14時、毎日「俳句αあるふぁ」の中島三紀編集長とカメラマン氏来て、連載の「一句一菜」の撮影。五品目出し、これで1年分の写真は終了。店、「俳壇」社長、安田編集長、菊田、佐怒賀直美さん。高校先輩の井ノ口氏と新橋の三重子姐さん。「金星句会」あと8人。さあ、このあと10連休。

4月27日(土)
品川発の新幹線乗車。シウマイ弁当。名古屋まで熟睡する。一時、新大阪に集合。50人。バス二台で高槻市の「今城塚古墳」へ。本物の継体天皇陵だと言われており、感激ひとしお。古墳の上まで歩けるとは! 案内していただいた樋口さんというボランティアガイドさんは80歳というが、かつ舌もよく動きも俊敏で力を貰う。京都の「ザ・パレスサイドホテル」に入り、事前投句の披講の俳句大会・親睦会。棚山波朗主宰もお元気に入京。

4月28日(日)
昨夜、23時過ぎに寝たので5時、爽やかに起床。京都御苑の杜に鎌形の月が掛かり美しい。明けると新緑が眩しく、木の間から比叡山も見える。「俳句αあるふぁ」の原稿などを書く。8時発、丹波市青垣町へ。細見綾子生家訪問。小学生が綾子作詞の校歌で迎えてくれる。高座神社の「でで虫」句碑、通った女学校など廻り、柏原駅にて私と武田さんは皆と別れ、電車で伊賀上野へ向かう。伊賀にて大野田井蛙さんと合流。ともかく酒場の無い町。ようやく一軒捜し当て、伊賀の酒「半蔵」「るみ子の酒」「義左衛門」など。「ホテルルートイン伊賀上野」泊。

4月29日(月)
7時40分の伊賀鉄にて伊勢に向かう。秋の吟行会の下見。10時、おはらい町「ゑびや」で朝食。鯛の兜煮。内宮参拝し、神宮会館視察。外宮の参拝。14時、「若柳」(豚捨)へ。神宮元禰宜、遷宮時の広報室長河合真如氏にお招きいただき、最高級の牛肉網焼きを御馳走になる。河合氏と吟行打ち合わせ。
18時、「ルートイン松阪駅東」投宿。武田さんはもう食べられないと言うので大野田さんと町へ。20年前に印象深かったホルモン屋「一升びん」へ。その後、発展して今やこの地を代表する有名なチェーン店。結局かなり食べ、かなり飲む。ハラミ、レバー、タン、松坂牛のタン、酒三合ずつ。あと、「北熊ラーメン」でつけ麺と餃子。……やってしまった。

4月30日(火)
朝食抜く。9時過ぎ、三井家発祥の地。本居宣長家など散策して松阪城。雨の中。本居宣長旧宅(鈴屋)。改めて宣長の凄さに驚嘆。与力長屋を経て、樹敬寺の宣長の墓を詣づ。あと一升びん本店。昨夜に続き食べる。飲む。ああ……。16時前、松阪を後にする。名古屋迄昏睡。18時、静岡。静岡北ワシントンホテルプラザ逗留。おでん横丁に繰り出し、静岡おでんを楽しむ。大野田さんの幼友達相原節子さんと3人。

5月

5月1日(水)
令和初日の朝、曇天。八時半、ホテルを出て、駿府城へ。天守台発掘現場を訪ね、ビデオ見学。ボランティアの説明を受ける。県庁21階の展望台から城と町を俯瞰。富士山が雲の中ながら輪郭わかる。家康もこれを毎日見ていたのだ。11時半、熱海駅。唐沢静男君、金井硯児さんの出迎えを受け、網代の唐沢家へ。洋子夫人もお元気。刺身、煮物、蕨、熊汁、鯵のひらき、などなどの歓待を受ける。酒は「磯自慢」。酔って私は一眠り。東海道線小田急を乗り継ぎ、22時帰宅。家族は京都。

5月2日(木)
終日家。彗星集評送り、6月号の原稿終了。「俳句αあるふぁ」の原稿3ヶ月分。吟行会のエッセイ八100字「春耕」へ送る。礼状他雑務。1日酒抜く。

5月3日(金)
11時半、鎌倉駅。光汪、井蛙の伊那北高校同期、太田うさぎ、天野小石、甲士三郎(小石兄)、いづみ、展枝。寿福寺の虚子の墓、実朝の墓。廃仏毀釈まで鶴岡八幡宮寺にあった仁王像拝観。八幡宮の牡丹園、白旗神社吟行あと、二階堂の小石さん実家、高橋家(甲士)へ。日影茶屋から弁当取り、句会と宴会。酒は「雪の茅舎」「手取川」。庭の筍一本貰い、散策しながら鎌倉へ。小町通りの中華料理店に入り、二次会。23時帰宅。

5月4日(土)
終日家。阿波野青畝についての講演会用意に没頭。酒抜く。5日、6日も家。

5月7日(火)
10日振りの店。閑散。21時過ぎ閉める。新潟日報、信濃毎日新聞社より記載記事届く。

5月8日(水)
二階「梶の葉句会」選句。店、水内慶太、アキラ、ユウさん。「きさらぎ句会」あと五人。「宙句会」あと13人。「薫風」創刊35周年記念大会事前投句の選句。

5月9日(木)
店、「極句会」プラス「十六夜句会」合同句会19人。あと、洋、清人、井蛙さん来て、ヴーヴクリコ開栓。

5月10日(金)
「大倉句会」あと19人。

5月11日(土)
10時、運営委員会。街は神田祭の雰囲気。13時、「銀漢本部句会」。59人。あと「上海庭」にて親睦会。15、6人か。外に出ると神輿一基が揉み歩いている。

5月12日(日)
「俳壇」7月号のインタビュー記事の校正など。昼寝。礼状など。16時から成城散歩。みつ池緑地は国分寺から続く「はけ」。喜多見不動など。夕食は蕗煮、蓮根炒め、鮎山椒焼、パクチーのおひたしなど用意。

5月13日(月)
6月号校正。編集部へ渡す。店、「かさゝぎ俳句勉強会」あと11人。洋さん、橋野さんなど…。全体閑散。

5月14日(火)
店「火の会」11人。櫂未知子さん久々来店。「火の会」の選句して貰い、一緒に酒宴。他、閑散。

5月15日(水)

杉阪大和句集最終校正。エッセイ一本。店、「三水会」7人(堀部君友人の京都の仁井田さんも)、深川知子さん。「大倉句会」運営会の面々。伊那北2年先輩というドイツ語の先生、安藤勉さん。

5月16日(木)
「銀漢句会」あと13人。『然々と』再版なる!

5月17日(金)
発行所「蔦句会」選句。あと店へ6人。広渡敬雄さん。九州大学同期5人の会。赤穂中学の先輩今井さん久々。協会賞受賞を知ったと祝いに。

5月18日(土)
14時、日本橋「鮨の与志喜」。井蛙さんと私とで日本酒三本持参。協会賞受賞の2回のパーティーのお手伝いしてくださった仲間への感謝の食事会。北辰社、武田さんと秋葉男さんの配慮。25人。皆、楽しんで下さる。あと10名ほどであったか居酒屋で少々。帰宅して家族と食事。

5月19日(日)
終日家。信濃毎日新聞、詩歌欄へエッセイ。中村孝哲さん句集稿確認作業。

5月20日(月)
信州、柏原の池田充さんという方、訪ねて来て下さる。マブソン青眼さんと親しい様子。「演劇人句会」8人。

5月21日(火)
11時、咸亨酒店「萩句会」百回記念の昼食会にお招きいただく。16人。あと発行所句会で選句。店閑散。てる緒さんと久々話。「江戸城天守を再建する会」の秋山事務局長他。

5月22日(水)
「雛句会」13人。津田卓さん生還!膵臓の3分の2、十二指腸、胆嚢全部、胃の一部切除して3週間で退院。

5月23日(木)
俳人・住宅顕信を映画化した「ずぶぬれて犬ころ」の監督本田孝義さん。三笠書房の押鐘会長『然々と』を信州の友人に渡したいと5冊。あと閑散。















         
    






今月の季節の写真/花の歳時記


2019年7月22日撮影  アルストロメリア  from HACHIOJI





花言葉   「持続」「未来への憧れ」「エキゾチック」

アルストロメリア
アルストロメリアの和名は「ユリズイセン(百合水仙)」です。
横向きに咲いている花の形が、なるほど百合や水仙に似ています。

シマトネリコ ヤナギハナガサ 藪萓草 ブッドレア デイリリー
ミゾソバ 姫檜扇水仙 アルストロメリア
写真は4~5日間隔で掲載しています。 
2018/7/22   更新


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