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 11月号  2017年

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伊藤伊那男作品


主宰の八句
祇園会        伊藤伊那男

納めたる祇園粽の軽さかな
京の路地てふ千年を股団扇
唇は朱の一文字鉾の稚児
巡行は鉾の一歩の前のめり
長刀が五階を過る鉾祭
貰ひたる風のぬるさも京扇子
二階より後の祭の復習ひ鉦
旅の荷に嵩張つてゐる鉾粽
(「俳句」平成二十九年十月号、「京の路地」十六句より)





        
             


今月の目次









銀漢俳句会/11月号















   



銀漢の俳句 

伊藤伊那男
 

◎俳句の遊び
 同人の髙橋初風さんの投句に
   
裏庭に二羽庭に二羽羽抜鶏

という句があった。「庭」が二回、「二羽」が二回あり、耳で聞けば「にわ」が四回、十七音の内八音を占める。更に「羽(羽に傍点)抜鶏」があるので「羽」の字は三回登場するのである。このような言葉遊びを織り込む技法は古来から喜ばれてきたものである。
 言葉遊びの高度なものとしては「回文歌」がある。一番知られているものに、
 長き夜の遠の眠りの皆目覚め波乗り舟の音の佳きかな
がある。これを平仮名で書くと
 なかきよのとおのねふりのみなめさめなみのりふねのおとのよきかな───であるが、これを反対から読んでみていただきたい。舌を巻く見事さで、回文となるのである。
 俳句には、宝井其角の句に
   
今朝たんと飲めや菖の富田酒

 がある。平仮名にすると〈けさたんとのめやあやめのとんたさけ〉となる。其角の才智の光る「回文句」である。
 これとは違うが〈秋の野に人まつ虫の声すなり〉のように一語に「待つ」と「松」を掛けた「掛詞」も和歌、俳句、歌謡でよく使われる手法である。細川幽斎が豊臣秀吉の朝鮮出兵に送った句に次のものがある。
からたちはやがてそのままきこくかな
漢字にすると
   
枳殻はやがてそのまま枳殻かな

であり、「枳殻」の読み方の違いを織り込んでいるのだが、実は、
   
唐立ちはやがてそのまま帰国かな

が隠されている。つまり、唐立ち(韓立ち=朝鮮出兵)に戦勝して無事の帰国を祈る(はなむけ)の句なのである。一見駄洒落のように見えるが、命のやりとりをする緊迫した時代にも、このように遊び心を失っていないのが日本の文化であり、「言霊の国」の証であることを実感するのである。
 さて小林一茶に次の句がある。
   
昼からはちと陰もあり雲の峰

「雲の峰」の変化を詠んだ一見普通の句なのだが、この句の中には昆虫を中心とした生き物の名前が沢山詠み込まれているのである。さていくつあるか数えてみてほしい。正解は
   
蛭蚊ら蜂蜥蜴も蟻蜘蛛蚤ね

生き物は七種、虫のある漢字は九と満載である。このような楽しみもあることを知っておきたい。

 
 


  








 



  

盤水俳句・今月の一句

伊藤伊那男

風垣のくくり縄嚙む放ち鶏         皆川 盤水
 
「風垣」は寒風を避けるための囲いで、主に日本海側の海風が直撃する地方で多く見掛ける。この句は佐渡での属目であるという。板や竹、葭、茅などを組み合わせて棕櫚縄などで括った敷地の中の、たまたま小春日和の一日の風景なのであろう。放ち飼いの鶏が括り縄を突ついているのだ。本格的な冬が到来する前の長閑なひとときである。先生の好きな鶏を配して、先生の胸の中にある日本の美しい風景である。
                                  (平成2年作『随處』所収)









  
彗星集作品抄
伊藤伊那男・選
夜業の灯消せば向かひの灯が映る      梶山かおり
飯坂へ秋の細道踏みてみし         小池 天牛
故郷の砦と思ふ墓洗ふ           村上 静子
洛中をとよもす起筆大文字         屋内 松山
メロンより西瓜が好きで胡座かく      上田  裕
手花火や路地奥よぎる荒川線        森崎 森平
芯を継ぐシャープペンシル夜の秋      有賀  理
かさぶたの剥がれし白さ休暇明       多田 悦子
鳳凰の濡れし貫禄木場神輿         武田 花果
川音を合間に郡上踊かな          杉阪 大和
現世(うつしよ)(えい)が頭上を泳ぐ午後         白井 飛露
名水を堰き止めてゐる缶ビール       多田 悦子
紙魚走る万葉の世の相関図         笠原 祐子
凭れ合ひつつ傾ぎけり秋桜         小山 蓮子
深川祭しかと用意の雨合羽         島  織布
隠れ住む路地の仕舞屋酔芙蓉        塚本 一夫
火の帯となる利根川の夕焼かな       鏡山千恵子










       








彗星集 選評 伊藤伊那男

 
夜業の灯消せば向かひの灯が映る     梶山かおり
「夜業・夜なべ」の概念もここ半世紀の内に随分変ったように思う。私の若い頃には結婚式の最後に〈母さんは夜なべをして手袋編んでくれた〜〉などという歌を流して花束贈呈をして会場を泣かせたりしたものだ。今は共感を得ることは無理であろう。俳句でも〈お六櫛つくる夜なべや月もよく 青邨〉や〈炉にはたく印前だれ夜なべずみ 泊雲〉などが主流であったが、だんだん都市労働者の残業へ移っていく。〈夜業の灯消す鉄粉の暈の中 畦雨〉の如くである。この句もたとえば京浜工業地帯の小工場の雰囲気である。こちらが終業すると、まだ向かいの工場は働いていてその灯が窓に映るのである。現代風景の中の哀愁のようなものがそこはかと残る夜業である。
 
  
飯坂へ秋の細道踏みてみし        小池 天牛
「奥の細道」の飯坂の段は陰暦五月、梅雨にさしかかる頃である。「…ゐろりの火のかげに寝所をまうけて臥す。夜に入て、蚤・蚊にせせられて、眠らず。持病さへおこりて、消入斗になく…」と悲惨な一夜を過ごしている。この句はそれを踏まえて、季節を変えて、秋の飯坂を訪ねたのである。「細道」の言葉を使ったことで、芭蕉を回顧し、芭蕉に代って気持の良い旅にしてみようという思いが重なっているようだ。

故郷の砦と思ふ墓洗ふ          村上 静子
私もそうだが、兄弟全部が都会に出て、生家は人に渡し、墓だけが残っている、という人は多い。私の場合は、父母の墓は東京にしたが、父方の先祖の墓は屋敷墓であり、叔母一人が守る。十基ほどの墓石が並ぶが、さて将来どうなることか…

  
洛中をとよもす起筆大文字        屋内 松山
京の送り火は五山に灯るが、最初が東山の大文字。その点火の瞬間を「起筆」と捉えたのがこの句の取柄である。その起筆に合わせて京の町に歓声や溜息が響動(とよも)す。ともかく、一にも二にも「起筆」の斡旋を称えたい。なお京の人が驚いていたが「大文字焼(・)」と言う旅人が増えたという。「今川焼じゃないんだから…」と。

  
メロンより西瓜が好きで胡座かく     上田  裕
メロンというと。やはりきちんとテーブルについてナイフとフォークかな…というイメージである。一方西瓜ならスイカ割りをしてもいいし、皮ごとざっくり切ってかぶりつき、種を飛ばしてもいい。そんな嗜好、生き方の違いを一句としたもの。「胡座かく」の納め方がうまい。

 
 手花火や路地奥よぎる荒川線      森崎 森平
荒川線は東京に唯一残った路面電車。住宅の中を通り抜けたりもする。車窓からチラリと見た路地に手花火を見たという。都会生活で癒される一景である。

芯を継ぐシャープペンシル夜の秋     有賀  理
 パソコンを使えない私はこのような日々。季語の選択がいい。

かさぶたの剥がれし白さ休暇明      多田 悦子   
多くの男子の思い出を呼び起こす句。夏も終りの感慨

  
鳳凰の濡れし貫禄木場神輿        武田 花果
深川の水掛け祭の風景が如実。「濡れし貫禄」がいい。

  
川音を合間に郡上踊かな         杉阪 大和
山間の町だけに川の流れも早い。臨場感が出た。

  
現世(うつしよ)(えい)が頭上を泳ぐ午後        白井 飛露
水族館の通路の上を泳ぐ鱝。「現世や」の打出しがうまい。

名水を堰き止めてゐる缶ビール      多田 悦子
缶ビールで名水の流れを止めるという面白さ。俳諧味。

  
紙魚走る万葉の世の相関図        笠原 祐子
確かに複雑な時代。紙魚が走れば尚更に。

  
凭れ合ひつつ傾ぎけり秋桜        小山 蓮子
コスモスの盛りの末の状態をよく観察した句であった。

  
深川祭しかと用意の雨合羽        島  織布
町中が水を掛け合う不思議な祭。ちゃんと用心の人も。

  
隠れ住む路地の仕舞屋酔芙蓉       塚本 一夫
都会の隠者。「酔芙蓉」の配合でゆるやかな時間が解る。

  
火の帯となる利根川の夕焼かな      鏡山千恵子
坂東太郎とも呼ばれる利根川の大きさを詠んで見事。
 










 












  


銀河集作品抄

伊藤伊那男・選

草の花陸奥に仏の国の跡         東京  飯田眞理子
月山より枝を引き寄せさくらんぼ     静岡  唐沢 静男
雨あとの先へ先へと花かぼちや      群馬  柴山つぐ子
毛虫這ふ模様を送り色送り        東京  杉阪 大和
虹の弧は神の縄跳びやもしれず      東京  武田 花果
古書店の日除はみ出す廉価本       東京  武田 禪次
ザイル手に振り向きざまの雲の峰     愛知  萩原 空木
婚の荷へ天つ日にほふ一葉かな      東京  久重 凜子
和泉てふ町に住み慣れ蕃茄冷ゆ      東京  松川 洋酔
クレーンの吊る窓枠や雲の峰       東京  三代川次郎
籠枕籠枕詩嚢へ海の風通す        埼玉  屋内 松山








   
   








綺羅星集作品抄

伊藤伊那男・選 

美術部の油臭さや夏旺ん        宮城  小田島 渚
仮の世の仮の一日のテントかな     和歌山 笠原 祐子
富士塚の入山規制山開き        東京  渡辺 花穂
三伏の京の灯どこかあの世めく     大阪  末永理恵子
闘魂の鶏冠にのこる羽抜鶏       東京  橋野 幸洋
山頂は巨き磐座雲の峰         東京  山元 正規
風死すや魚の匂ひの島に満つ      埼玉  森濱 直之
寺ひとつあれば緑蔭ひとつあり     東京  森 羽久衣
大奥の犇めきあへる立版古       東京  堀切 克洋
川風は昔のままに鰻食ふ        茨城  中村 湖童
鉾町や姉三と来て進まざる       大阪  中島 凌雲
子離れのあとの人生浮いてこい     東京  瀬戸 紀恵
踊の輪へ入るが供養と佃島       東京  白濱 武子
今さらに眺むる手相一葉落つ      東京  小山 蓮子
剥がされてなほ皮はぎの膨れ面     東京  畔柳 海村

前減りの靴が休めと終戦日       東京  相田 惠子
胡瓜揉む卒寿傘寿と生き抜いて     宮城  有賀 稲香
蛍火や囲ふ手籠に脈を打つ       東京  有澤 志峯
すぐ昼の来さうな朝や大暑の日     東京  飯田 子貢
てのひらを返し月押す盆踊       静岡  五十嵐京子
花束の芯に向日葵古稀祝ふ       埼玉  池田 桐人
なんとなく米櫃覗く終戦日       埼玉  伊藤 庄平
放たれし鳩はすぐ地に終戦日      東京  伊藤 政三
逆しまにラムネの泡に映る郷      神奈川 伊東  岬
外灯の影を重ねて苧殻売        東京  上田  裕
星まつる明日ある事をうたがはず    埼玉  梅沢 フミ
曝書して辿りし道を少し羞づ      東京  大西 酔馬
難問の解けて涼しき机かな       神奈川 大野 里詩
ひと刃置くだけで罅入る西瓜かな    埼玉  大野田井蛙
天からの手紙のやうに桐一葉      東京  大溝 妙子
耳鳴りに非ず初蟬幽かにす       東京  大山かげもと
髪切つて八月の街大股に        東京  小川 夏葉
みちのくに買ひしこけしや夜の秋    埼玉  小野寺清人
爪立てて大樹かかへる兜虫       神奈川 鏡山千恵子
口紅に紅筆沈む暑さかな        東京  梶山かおり
物語はじまるやうに百日紅       愛媛  片山 一行
盆僧とはおのれのことであつたるよ   東京  桂  信子
盆僧の降りくる島の船着場       東京  我部 敬子
野ぶだうや欠けつつ続く一系譜     高知  神村むつ代
海の音吸ひ取つてゐる水母かな     東京  川島秋葉男
盆路を母の歩調に歩みけり       長野  北澤 一伯
硯する音の静謐秋立てり        東京  柊原 洋征
桐一葉天為に任す落ち処        神奈川 久坂依里子
三伏の砂に塗るる雀どち        東京  朽木  直
近くまで寄り噴水に触れられぬ     神奈川 こしだまほ
佃の盆踊
鄙びたる爺の盆唄盆踊         東京  小林 雅子
牛飼に牛に花野の起伏かな       長崎  坂口 晴子
夏風邪を引き摺りて見る雲白し     千葉  佐々木節子
玉突きのやうにこだまの遠花火     長野  三溝 恵子
深川祭水浴びてより勢ひけり      東京  島  織布
わが息の鞴のごとき大暑かな      東京  島谷 高水
寄り添ひし京の町家に鉾灯       兵庫  清水佳壽美
トンネルを抜け来て信濃夏深し     東京  新谷 房子
おもちや箱隅に砂ある夏の果      東京  鈴木 淳子
炎昼の火傷しさうな滑り台       東京  鈴木てる緒
あの町のあの夜も同じ盆踊       東京  角 佐穂子
夏痩せて受け流さるる我が小言     神奈川 曽谷 晴子
穏やかに八十路を生きて西瓜食ぶ    愛媛  高橋アケミ
炎帝を盛んに扇ぐ象の耳        東京  高橋 透水
昼寝覚薬缶の笛に促され        長野  高橋 初風
閉ぢしまま影となりたる川蜻蛉     東京  武井まゆみ
行水の盥に浮かす潜水艦        東京  多田 悦子
夏館一音鳴らぬ古ピアノ        カナダ 多田 美記
灯火は人も引き寄せ火取虫       東京  田中 敬子
手に乗する顎おもたき我鬼忌かな    東京  谷岡 健彦
毘沙門天片手拝みに夜店かな      東京  谷川佐和子
姿見のなかの坪庭露涼し        神奈川 谷口いづみ
夏休み借りつぱなしの昆虫記      東京  塚本 一夫
人類の文明開化青田から        愛知  津田  卓
塗箸を竹箸に替へ夏料理        東京  坪井 研治
夏休み畳の海を泳ぐ子も        埼玉  戸矢 一斗
盆踊思ひ出かよふおない年       東京  中西 恒雄
わだかまりあればなほさら夜の長し   東京  中野 智子
さながらに空の城砦雲の峰       東京  中村 孝哲
鵲の橋に二三羽足らぬてふ       東京  中村 貞代
蟬生まるなほ身に負へる土の熱     埼玉  中村 宗男
母抱くやうに着付けし浴衣かな     東京  西原  舞
走馬燈兎は亀を追ひ越せず       東京  沼田 有希
川波に灯揺るる広島忌         神奈川 原田さがみ
青葉木菟樹上に姿勢正しをり      兵庫  播广 義春
大いなる一葉千日回峰路        東京  半田けい子
姿勢よき事が着こなし秋袷       東京  保谷 政孝
ひと指しを舞ひて地につく桐一葉    東京  堀内 清瀬
炎天や繫ぎ目確と組む足場       岐阜  堀江 美州
扇風機素つ気なく首振りにけり     埼玉  夲庄 康代
渡り来てすぐ身づくろひ大白鳥     東京  松浦 宗克
都会より手足の帰る盆休み       東京  松代 展枝
卓袱台の丸き思ひ出初秋刀魚      東京  宮内 孝子
名画座のポスター捲れ夏の果      神奈川 宮本起代子
迷走の台風の目は成長中        千葉  無聞  齋
戦中の話ついつい日雷         東京  村上 文惠
忌日なれば
その日をば待ちし如くに芙蓉咲く    東京  村田 郁子
淡々と過ぎる起き伏し金魚玉      東京  村田 重子
網直す背ナに轟く土用波         千葉  森崎 森平
一人居を放恣に生くる古簾       愛知  山口 輝久
夏痩せていつもの椅子の痛さかな    東京  山下 美佐
蚊遣香の終の一条極太に        群馬  山田  礁
接岸のロープ手渡す雲の峰       神奈川 𠮷田千絵子
ひと暴れして夢に消ゆ夜の雷      愛媛  脇  行雲





   








     







銀河集・綺羅星今月の秀句

伊藤伊那男

虹の孤は神の縄跳びやも知れず      武田 花果
虹を見てこのような壮大な発想が出てきたことに驚く。あの巨大な孤は神の縄跳びの縄であったのか……。俳句は机辺や厨事の些事も詠むが、このようにスケールの大きな句も詠むことができるのだ、ということが新鮮である。 


  

月山より枝を引き寄せさくらんぼ     唐沢 静男
 さくらんぼといえば山形県。佐藤錦の誕生の地である。月山はやはり山形県を代表する信仰の山。さくらんぼを摘むのに枝を引き寄せるのだが、この句では「月山」から「引き寄せ」ると、詩的構成を加えたところが見事である。恵みを与えてくれる月山への感謝の念も混じっているようだ。


  

毛虫這ふ模様を送り色送り        杉阪 大和
対象物をよく観察した句だなと思う。毛虫の動作を見ると進むとき体液が移動するのであろうか、模様が動き、また色も動く。確かにそのように見える。それを「送る」という言葉を使ったところが的確で、それによって前方へ移動していることが解るのである。俳句は写生の力を付けることが基本の第一、と私は提唱している。観察と写生によって天然自然の妙を摑み、それを他社にも理解できる表現で伝達する。作者の感情など入れなくてもよい。天然の妙を摑んだだけで大きな感動を呼ぶのである。人間の感情――主観――など自然の中で見たら、小さい、小さい。 


籠枕詩嚢へ海の風通す          屋内 松山
 一読何とも気持の良い句だ。海辺の高台の開け放たれた夏座敷で昼寝をしているのだろうか。隙間だらけの籠枕に頭を置いているので心地の良い海風が通り抜けていく、というのである。単に頭や体に風が通る、というのではなく、「詩嚢」と言ったところがこの句の嘱目である。「詩嚢」の本来は「漢詩の草稿を入れるふくろ」の意が転じて「詩人の詩想」を意味する言葉となった。物理的な「頭」ではなく「頭脳」に転じた、文人俳句的な鮮やかな佳品。


  

美術部の油臭さや夏旺ん         小田島 渚
 夏休みの間の美術部の一景。複数の部員が熱心にキャンバスに向かっている様子が如実である。油絵具が散乱している。揮発油の匂いも混じっているのであろう。秋の展覧会に向けて全力投球しているのか「油臭さ」の措辞がその様子を活写している。「夏旺ん」の季語の斡旋も的確。


仮の世の仮の一日のテントかな      笠原 祐子
「仮の世」とは無常な現世。人は誰でも死んでいくのであるから、あの世へ行くための一時の生、という仏教的な思考である。その仮の世の一日をキャンプに行き、テントを張るというのである。まさに仮の宿であり、実に知的構成の行き届いた作品で、感嘆しきりである。「テント」の例句として頭の中に残しておきたい句である。 


 

富士塚の入山規制山開き         渡辺 花穂
 
 江戸時代、富士信仰が盛んであった。講を組んでの富士山登山が行われたようだが、女人禁制であり、老人は体力的に無理であり、そこで考え出されたのが、「富士塚」。富士山で集めた溶岩などを中心に富士山の模型を作り、お山開き日に登るのである。作者が行った日は混雑していたのだろう。順番待ちを「入山規制」という現代語を使ったところが妙味で、時代をごちゃ混ぜにした面白さ。

 

三伏の京の灯どこかあの世めく      末永理恵子
暑い最中の京の夕暮時であろうか。暑さが少し収まったものの風も止んで空気も澱んできた黄昏時、ぽつりぽつりと町に灯が点り出す。昔、逢魔が時といって一番恐れられた時間帯である。「京」の固有名詞で「あの世めく」を生かした句となった。 


  

闘魂の鶏冠にのこる羽抜鶏        橋野 幸洋
 みすぼらしい姿となった羽抜鶏だが鶏冠だけは痩せることもなく闘志を残している、という。「闘魂」を使ったことで、羽抜鶏の孤高の姿が浮き上がってきたようだ。

  
その他印象深かった句を次に

山頂は巨き磐座雲の峰          山元 正規
風死すや魚の匂ひの島に満つ       森濱 直之
寺ひとつあれば緑蔭ひとつあり      森 羽久衣
大奥の犇めきあへる立版古        堀切 克洋
鉾町や姉三と来て進まざる        中島 凌雲
川風は昔のままに鰻食ふ         中村 湖堂
子離れのあとの人生浮いてこい      瀬戸 紀恵
踊の輪へ入るが供養と佃島        白濱 武子
今さらに眺むる手相一葉落つ       小山 蓮子
剝がされてなほ皮はぎの膨れ面      畔柳 海村
草の花陸奥に仏の国の跡         飯田眞理子











           

 
 





 
星雲集作品抄
伊藤伊那男・選

秀逸
秋虹を潜りてもまだ濁世たり       神奈川 栗林ひろゑ
投函へ抜けゆく路地の涼新た       東京  小泉 良子
防空壕跡のくらやみ八月来        埼玉  大澤 静子
油蟬熾火のごとく夜の底         東京  大沼まり子
ひび割れし石鹸白き晩夏かな       東京  宇志やまと
山の名を確かめてゐる夏炉かな      東京  今井  麦
鳴き龍を一喝したるはたた神       埼玉  渡辺 志水
鉢巻の態で知れたる祭好き        長野  守屋  明
寝返りて西日届かぬところまで  シンガポール  榎本 陽子
針箱に西日も納め仕舞ひとす       千葉  白井 飛露
校門を出ればそこから夏休        東京  渡辺 誠子
巻き癖の取れて晩夏のカレンダー     広島  長谷川明子
膝揃へ箸を揃へて盆の膳         東京  辻  隆夫
榠樝の実据ゑるに座標定まらず      東京  竹内 洋平
糸瓜より糸瓜の影のくびれをり      神奈川 中野 堯司
隣人の近づきすぎといふ暑さ       東京  島谷  操
朝露に靴の重みを感じけり        埼玉  黒岩  章
水頒かつ千枚の田に稲の花        埼玉  今村 昌史
炎昼や祝詞掠れし地鎮祭         東京  生田  武
芋虫の食ひ残したる菜を食らふ      神奈川 横地 三旦
盆波を車窓に見つつ故郷へ        静岡  山室 樹一
ゆるやかに時を進めて百日紅       東京  田中 寿徳



     




星雲集作品抄

            伊藤伊那男・選

搔き止まぬ坊主頭のあせもかな      東京  秋田 正美
廃校はロケ地となりぬ百日紅       埼玉  秋津  結
桐一葉初めての遺書書き直す       神奈川 秋元 孝之
帰省せし孫に大きな永久歯        東京  朝戸 る津
うつむけば胸の音して髪洗ふ       東京  浅見 雅江
下駄音に歩を緩め合ふ浴衣かな      神奈川 有賀  理
父母在らば百拾余歳霊迎         愛媛  安藤 向山
冷奴箸は輪島の朝市で          東京  井川  敏
一間のみ月の差し入る夜更けかな     高知  市原 黄梅
薄紙をしづしづ延ばす盆提燈       東京  伊藤 真紀
母偲ぶ水引草や風に揺れ         神奈川 伊藤やすを
建て替への話などして花茗荷       神奈川 上村健太郎
蜩や今日一日の安堵感          長野  浦野 洋一
仏花にも飽きしと思ひ水中花       埼玉  大木 邦絵
大根蒔く浅間の裾を均しつつ       群馬  岡村妃呂子
乾びたる蠅原爆の図の前に        東京  岡本 同世
シーサーの見下す庭に仏桑花       神奈川 小坂 誠子
葭切や琵琶湖に残る港址         京都  小沢 銈三
炎昼の法被駆け抜く雷門         埼玉  小野 岩雄
枝豆や枝ごと茹でて妻の郷        静岡  小野 無道
風死すや吊られどほしの河豚提灯     静岡  金井 硯児
朝顔や赤チン塗つてくれた家       神奈川 上條 雅代
 平澤俊子さん
そつと立つ風に香りの秋簾        長野  唐沢 冬朱
皮剝の剝かるる素肌艶やかに       神奈川 河村  啓
下宿せし昔日西日射す窓辺        長野  神林三喜雄
東雲の峰々すでに冬隣          愛知  北浦 正弘
夏木立塀に寺格の五本線         神奈川 北爪 鳥閑
下向くも花片は反らし百合の花      東京  絹田 辰雄
をちこちに底魚めきてビアホール     和歌山 熊取美智子
施餓鬼会の真中の僧の緋の衣       群馬  黒岩 清女
 綾渡の夜念仏
蠟燭の揺るる径筋盆の寺         愛知  黒岩 宏行
郡上踊杉下駄の音節々に         東京  黒田イツ子
詔勅を聴きに隣家へ敗戦日        神奈川 小池 天牛 
収穫を急かせてゐたる野分雲       群馬  小林 尊子
竹林の奥深々と秋気澄む         神奈川 阪井 忠太
三尺を少し広めに初浴衣         長野  桜井美津江
ソムリエのコルクの音や夏惜しむ     東京  佐々木終吉
晩学の得ては忘れて風知草        群馬  佐藤 栄子
もぎたてのトマト弾けぬやうに置く    群馬  佐藤かずえ
足の先より目覚めたる昼寝かな      東京  清水美保子
まだ解けぬ玉の入れやうラムネ瓶     埼玉  志村  昌
ラムネ玉鳴らしはじける喉仏       神奈川 白井八十八
消防の分団灯や火取虫          東京  須﨑 武雄
地の呻き尚消えずあり原爆忌       群馬  鈴木踏青子
起重機のみな炎天をさしてをり      愛知  住山 春人
絵蠟燭二つ三つ買ひ盆支度        埼玉  園部 恵夏
上げた髪ほどいて歩く夜の秋       東京  田岡美也子
政庁の礎石の丘に合歓の花        山形  髙岡  恵
ふるさとに向かひ手合はす盂蘭盆会    東京  髙城 愉楽
草市や悔みを交はすひとに会ふ      福島  髙橋 双葉
柳絮舞ふ湯の湖に浮かぶ釣船に      埼玉  武井 康弘
板渡す小川わたりて盆の道        広島  竹本 治美
焦点のやうやく決まる昼寝覚       三重  竹本 吉弘
みな揃ひ何れが我が子夏帽子       神奈川 田嶋 壺中
路地裏のけんけんぱの声西日踏み     東京  田中  道
日日数ふ一日限りの紅蜀葵        神奈川 多丸 朝子
祇園会を回す男のホイッスル       東京  辻本 芙紗
祇園会に扇ぐ手止まず稚児の母      大阪  辻本 理恵
風鈴を窓辺に出して風をみる       東京  手嶋 惠子
ご朱印を待つ間を埋むる蟬の声      東京  豊田 知子
 シベリアにて
女郎花異国に咲くも可憐なり       神奈川 長濱 泰子
眼の裏のうつつ眩しき昼寝かな      大阪  永山 憂仔
空蟬は過去の己にしがみつく       埼玉  萩原 陽里
集まりて刹那刹那に滝に落つ       東京  橋本  泰
端居して夕べの風をまのあたり      東京  長谷川千何子
冷汗や都会の陰の曲り角         長野  蜂谷  敦
掬ひ来し金魚袋のまま吊す        神奈川 花上 佐都
 平澤俊子さん
君逝くや夏野はるかに翔けぬけて     長野  馬場みち子
会議室窓いつぱいの晩夏かな       神奈川 福田  泉
虫の音やこの頃書かぬ日記帳       東京  福永 新祇
水打つて書斎まで引く風の道       東京  福原 紀子
ホイッスル響き球児の夏終る       神奈川 星野かづよ
裸子の破顔まるごと洗ひ上ぐ       東京  星野 淑子
大列柱神殿に降る銀河かな        神奈川 堀  英一
風船葛園庭の子等鬼ごつこ        東京  牧野 睦子
星座図に重ね合はせて天の川       神奈川 松尾 守人
のびをして現世に戻る昼寝覚       愛知  松下美代子
冷奴父の話は母の事           京都  三井 康有
夜空へと滲みて続く夜店かな       東京  宮﨑晋之介
郷愁やこの夏蔭の深ければ        東京  宮田 絹枝
燃え盛る炎だけの絵原爆忌        広島  村上 静子
色変へぬ松や諭吉の終の寺        東京  八木 八龍
炬燵寝に燥ぎし記憶なつかしき      東京  家治 祥夫
内宮と外宮を渡し天の川         東京  保田 貴子
取りたての瓜の馬にて父迎ふ       群馬  山﨑ちづ子
水筒の数だけ笑顔夏休み         東京  山田  茜
雲の峰山に成り切り富士隠す       神奈川 山田 丹晴
産土は悠久にして刈田かな        高知  山本 吉兆
夕立や午後の予定を流し降る       群馬  横沢うだい
仲見世に風鈴の音も紛れをり       千葉  吉田 正克
煮南瓜や昭和の味は母に似て       神奈川 渡邊 憲二
秋来る二の腕を風通り過ぎ        東京  渡辺 文子






     















星雲集 今月の秀句

伊藤伊那男

秋虹を潜りてもまだ濁世たり       栗林ひろゑ
秋の虹は、夏の虹と比べると、淡々としてはかなく憂愁の思いが深い。「虹を潜る」といっても実際に潜るわけではなく、近くに見るということであろう。自然の造形に触れてふと我に返ると、結局現実の「濁世」に生きているのである。秋の虹を境に幽明の世界を往き来する心情の濃い仕立てだが決して一人よがりではなく読み手の胸にすんなりと入る。「濁世たり」は決してこの世を厭うているわけではない。むしろ「たり」に哀惜の気持を感じるのである。同時出句の〈流燈の去りたる後の水急ぐ〉〈雑草がまづずぶ濡れに秋時雨〉も安定感のある佳品。


投函へ抜けゆく路地の涼新た       小泉 良子
一年を通じて行う行為なのだが、この日は少し違う。暑かった日々の中からふと感じた「秋」の発見。日常生活の中の微妙な変化を詠み取ったのである。奇を衒うこともなく淡々と詠んだところに、安定した俳句観が窺われる。 


油蟬熾火のごとく夜の底         大沼まり子
 都会に暮していると、真夜中でも煌々と明るいので、蟬も鳴き止まない。昆虫さえ夜更しなのである。「熾火のごとく」に熱帯夜が続いているであろうことや、喧噪がまだ納まっていないことなどが読み取られるのである。同時出句の〈抽出しのかろく引かれて夏衣〉も軽妙である。


山の名を確かめてゐる夏炉かな      今井  麦
 明朝登る山脈の麓に宿を取り、暮れ残る山々を眺める。宿の主が指差しながら教えてくれたのであろう。そうした間にも山々は稜線を消していく。座敷の中の夏炉がひときわ明るくなっていくのである。同時出句の〈虹のこと誰かに言ひたくて一人〉も皆に覚えのあることだ。


鉢巻の態で知れたる祭好き        守屋  明
 なるほど、と思う句だ。鉢巻の巻き方ひとつを見ただけでその人が祭好きであることが解るのである。所作のひとつひとつにオーラが漂っているのである。そこを詠み取ったのが手柄。同時出句の〈思案して納まるところ冷素麺〉〈だみ声を自転車に乗せ氷菓売り〉も人事句の面白さ。自分や他人の挙措動作の中に何か楽しいことはないか、と興味を持って見詰める茶目っ気――創作の力である。


寝返りて西日届かぬところまで      榎本 陽子
 一読微笑んでしまう句である。昼寝の人が伸びてきた西日を避けて寝返る。更に西日が伸びてまた寝返る。その繰り返しをうまく捉えたのである。西日の季語を用いて今まで目にしなかった句である。同時出句の〈山笠の立つ空港に降り立てり〉は海外から福岡空港に帰着したその瞬間であろう。これも山笠を詠んで珍しい句だ。


校門を出ればそこから夏休        渡辺 誠子
子供の頃、夏休みの到来が何と待ち遠しかったことか。捕虫網、麦藁帽、魚を採る簎、などを並べて指折り数えていたものだ。終業式のあと校門を飛び出す。その瞬間から夏休みである。「出ればそこから」がうまい!鞄の中の成績表を親に見せるのは辛いところだが‥‥。 


巻き癖の取れて晩夏のカレンダー     長谷川明子
カレンダーの巻き癖はなかなか取れないものだ。晩夏の頃ようやくにしてその巻き癖が取れたという。「晩夏」の斡旋が何ともうまいところだ。着目もいい。発見の句。


膝揃へ箸を揃へて盆の膳         辻  隆夫
盆の膳は、家に迎えた祖先の霊と共に食事をするもので、自ずから衿を正すものである。「膝を揃へ」にそのことが出ている。この句が面白いのは「箸を揃へて」と人間と物とを並列にした点である。これによって家の中も掃除が行き届き清浄な気が満ちていることが解るのである。同時出句の〈手に吊りし水の重さや金魚買ふ〉も佳品。


糸瓜より糸瓜の影のくびれをり      中野 堯司
 思えば糸瓜は奇妙な形である。どういう必然性があってあの形になったのであろうか。句はその影が実物よりも更にくびれているという。実物とその影の形状の違いを見抜いた感覚がいい。きっとそうだろうと思わせる説得力がある句だ。
その他印象深かった句を次に。


隣人の近づきすぎといふ暑さ       島谷  操
朝露に靴の重みを感じけり        黒岩  章
水頒かつ千枚の田に稲の花        今村 昌史
炎昼や祝詞掠れし地鎮祭         生田  武
芋虫の食ひ残したる菜を食らふ      横地 三旦
盆波を車窓に見つつ故郷へ        山室 樹一
ゆるやかに時を進めて百日紅       田中 寿徳























銀漢亭こぼれ噺



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2017/4/17 発売されました。
 





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 仕事で接した京都、
京都生まれの妻と結婚してからの京都、
俳句を始めてからの京都、
妻を亡くしてからの京都・・・・・。
京都は味わいも深みも変化させながら、
いつしか喜びと悲しみの交叉する街となってきた。
「京都」を軸に、人生と俳句について綴った
著者はじめての自伝的エッセイ。


        















伊那男俳句  

伊那男俳句 自句自解(23)   
    
熟れ柿のどこにどう刃を入れやうか

 柿は日本、中国、朝鮮半島などが原産地。万葉集の歌人に柿本人麻呂の名があるように、古くから親しまれてきた果樹である。「銀漢」編集長の武田禪次さんは殊の外柿好きで、旅先などで柿、干柿を見つけると目の色が変る。私はそれほどではないが、富有柿や庄内柿などをうまいな、と思う。さてこの句は山梨県塩山市にある恵林寺界隈の百目柿を詠んだものである。恵林寺は武田信玄の葬儀を行った寺で、その後の織田信長の甲州攻めの折、織田勢に従わない快川が楼門に籠り、火攻めに会い没した。その時の和尚の偈「山門必ずしも山水を用いず心頭滅却すれば火も亦涼し」は有名である。その寺の周辺が百目柿の産地で、干柿にされるが、驚くほどの大きさである。ぽたぽたに熟れたものは渋味が抜けていてそのまま食べる。中は柔かいのに皮は思いの外固いので齧るわけにはいかない。皮を剥くにも、さてどこから刃を入れたらよいものか……試すがえす迷うのである。
 
 登山宿ポストは鳥の巣箱ほど


 四十歳の頃から突然登山を始め、十年少しで一七〇回ほど登山をした。おおむね金曜日の夜中に出発し、翌早朝から登攀して、麓の温泉に入って帰宅する。日曜日は何もなかったように普通に過ごす、という登山であった。この句はそうした登山仲間との登山ではなく、東京新聞の句会の方々との白馬岳登山吟行での嘱目である。論説委員の広瀬一朗、堀古蝶、山田春生さんなど「風」重鎮に同行したのである。当夜は白馬大雪渓下の白馬尻の小屋に泊った。食事のあと居残って句会となった。二十人ほどいたのでそう簡単には終らない。山小屋の従業員から消燈時間が迫っていると、何度か注意を受けたようだが披講が続き、しびれを切らした山小屋が突如電燈を消してお開きとなった。その山小屋の入口に小さなポストがあった。小学生の頃作った巣箱ほどの大きさであった。夏の間だけのポストである。きっと便りは鳥たちが運ぶのか……などという想像も浮かんできた。










  
        


 



銀漢の絵はがき


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銀漢亭日録

伊藤伊那男

 8 月

8月12日(土)
6 時起。那覇からの日の出。電灯とクーラーはあるがテレビが無い。快晴。10時の船にて泊港に戻り、「糸満漁民食堂」へ。11時、一番客。2年前に来て、瞠目した店。ビタロー、タマンのバター焼、イカ墨汁など。どれも逸品! 首里城で降ろして貰い、城周辺を散策。城に関するビデオを見る。今日も泊りはホテルユクエスタ旭橋。7時、現地の田和田さん、ななちゃん一家と計11人でイタリアンレストラン「マンジャーモ」で牛頬肉のワイン煮。はちの巣のトマト煮。ゴルゴンゾーラのパスタなど佳品。皆と分れて海藻入り沖縄そば食べてしまう。

8月13日(日)
今日も快晴。9時発。「オクマプライベートビーチ&リゾート」へ。総支配人の加藤大介さんが桃子の先輩で今日は休みにして接待してくれる。ビーチサイドのテラスで昼食。ビール、ワイン。パラソルの下にいたが照り返しで焼ける。昼寝して18時半から「サンセット・シャンパンクルーズ」。「ポメリー・ロワイヤル・ブルースカイ」とトリュフ、フォアグラのつまみ。見事な夕日を見る。戻って近くの居酒屋「シーサーズ」。黒豚のぎょうざ、ミーバイの煮付など佳品。

8月14日(月)
8時朝食。9時半、加藤支配人付き合ってくれて船で辺戸岬の見える沖まで行き、孫達魚釣り。釣果あり。あとシュノーケリングでサンゴなど見る。戻って11時半。ビーチサイドのテラスを拠点に夕方まで遊ぶ。夕方、恩納村の「カフーリゾートフチャクコンド・ホテル」にチェックイン。町の「ちぬまん」にて夕食。残念ながら各々の味付けが塩辛い。最近の傾向。

8月15日(火)
今回の沖縄は私が来てから毎日宿所が変るので落着けず。家族はこのカフーが拠点。一昨年も沖縄で終戦記念日を迎えた。朝部屋のキッチンで素麺を茹でる。快晴。9階から見る恩納村の海とリゾート施設は美しい。田中敬子さんの句集、序文を書き上げる。島織布さん句集の序文に取り掛かる。15時半、プールサイドにてビール、ワイン。カレーパンがうまい! 何年振りに食べることか。
18時半、一時間ほど車で走った北谷の豚のしゃぶしゃぶ専門店「和流」。ここも私の好きな店。葱の細切りを山ほど入れるアグー(島豚)のしゃぶしゃぶ。最後は沖縄そばを入れる。泡盛。

8月16日(水)
6時起。エッセイ一本。朝食は、クロワッサン、チーズ入りオムレツ、マンゴーを用意。近くの道の駅「おんなの駅」にて、てんぷら(かまぼこ)、麩、マンゴー、島らっきょ、ミミガー、豚の煮物など。明日の店で使うものを調達。部屋にて昼の酒盛り。14時半、「なかむらそば」。超人気店。家族はもう1日いるので「ホテルムーンビーチ」で別れ、那覇空港行バスに。24時過帰宅。

8月17日(木)
東京は今朝も雨で17日連続の雨日と。雑用数多。8日振りの店。禪次編集長に、敬子、織布さんの序文渡す。「銀漢句会」あと20人。青柳飛さん他。24時過、家族沖縄から帰宅。

8月18日(金)
「俳句」10月号に16句(祇園祭)送る。ヘアメイクの中川さん来てくれてカット。発行所「蔦句会」の選句。あと8人店。青柳飛さん明日帰国(米)とて「天為」の方々と。

8月19日(土)
14時半、浅草「神谷バー」。学生アルバイトの大塚凱君が泥鰌を食べたことが無いというので、アルバイトの、うさぎ、小石、いづみ、展枝さんを誘い、暑気払いの会。あと、「ニュー浅草 本店」と梯子して17時半、「駒形どぜう」。すでに酔っぱらっている。どぜう汁、どぜう鍋、さらし鯨など。あとカラオケ……、と一騒ぎ。久々、やってしまった。

8月20日(日)
10時、成城学園前駅近くの喫茶店にて田中敬子さんと待合せ。句集序文について打合せ。1日中、二日酔。「銀漢」のエッセイ、盤水俳句の一句。自句自解。「俳句四季」の「その時、俳句手帳」にエッセイ800字など書く。二日酔では選句できない。

8月21日(月)
堀江美州さんより便り。幕末の儒学者・佐藤一斎についての著作近々出版の運びと。店、「演劇人句会」7人。ほかそこそこ。

8月22日(火)
「萩句会」選句。店、国会議員のT先生久々。閑散。21時半、閉める。

8月23日(水)
法政大学の高柳先生、明治大学の先生お2人と。松川洋酔さん手術終って来店。不死身の人である。「雛句会」11人。盛況のうちに21時半に閉じて帰宅。鰹のたたきなどで1人酒盛り。

8月24日(木)
「細見綾子集」に二句解説。店、超閑散。「雲の峰」の都賀さくらさん(検事)、元裁判官で公証人の林正彦さん来店。林さんは羽咋高校出身。森羽久衣さんを紹介することに。

8月25日(金)
超閑散。パリ在住の伊藤惠子さん、父上の看護で帰国中。堀切君の紹介で何回か来店。「銀漢俳句会」へ入会したいと。「金星句会」あと6人。

8月26日(土)
「纏句会」の日。その前に買物をしたり、三井記念美術館の「地獄絵ワンダーランド」展を見たりしようと早めに家を出る。ところが、会場の日本橋手前まで来たところで、今夜は、本井英さんの「夏潮」のクルージングパーティーであったことに気付く。案内状やお祝いの用意なく、服装もラフ過ぎるので家に戻ることに。トホホ……。出直して日本橋「鮨の与志喜」にて句会。あと、題の岩牡蠣、秋刀魚塩焼、ギンポの天麩羅、握りなど。18時、日の出桟橋。「シンフォニーモデルナ」のエンペラールームにて夏潮クルージングパーティー。180人ほど。2時間半のクルーズ。

8月27日(日
終日家。休養日とする。寝たり、起きたり。18時位から酒少々。丁度家にあったビデオ「本能寺ホテル」(綾瀬はるか主演)観る。早々に寝る。

8月28日(月)
店、超閑散。

8月29日(火)
編集部、9月号発送。店、法政大学高柳先生と南信州の方々。大野田井蛙さん、環さん他と井月忌俳句大会の事前投句開始についての打合せ。22時、店閉めて、井蛙、展枝、いづみ、麦と久々、餃子屋に小酌。

8月30日(水)
藤森荘吉さんの「閏句会」10人。他閑散。22時閉める。

8月31日(木)
閑散。「大倉句会」、五周年記念誌発行の編集ご苦労さん会流れの8人。

9月

9月1日(金)
ニューヨークの月野ぽぽなさんより、今年の角川俳句賞受賞! と。まだ未発表。慶祝。「大倉句会」あと人。上村健太郎君来店。結婚したと。7、8年前か、一緒に店に来た方。山仲間。おめでとう健ちゃん!

9月2日(土)
新宿8時発あずさ号、岡谷にて乗り換え飯田線で伊那市へ。車中、秋葉男さんと添削教室の校正のやりとりをメールで。13、4人集合。東京では雨であったが当地は晴れ。3台の車に分乗して美和ダム近くの中央構造線の露頭を見学。日本列島形成の証を見る。あと、分杭峠のゼロ磁場の地に座る。戻って熱田神社。これは伊那地方唯一の重要文化財。装飾が見事。ずっと案内して下さったボランティアガイドの北条さんに感謝。18時過、「角八」に高遠句会の三溝さん他集まって下さり、17、8人での親睦会。三句出し句会。あと井蛙さん幼馴染みのいつものラーメン店。満腹で倒れるように眠る。














           
△『漂白の俳人・井上井月』伊藤伊那男著
          
  
    






今月の季節の写真/花の歳時記



2017年11 月17日撮影    真弓     TOKYO/HACHIOJI





花言葉  「あなたの魅力を心に刻む」

真弓
名の由来は、弓を作るのに用いたことからきている。材はこけしや将棋の駒をつくるのに用いられている。漢字では「檀」とも書く。
俳句では「檀の実」が秋の季語です。
  
今月の紹介した花々・・・・・。


権萃 花水木の実 桂黄葉 白杜鵑 秋色紫陽花
   
姫蔓蕎麦 秋色紫陽花   真弓    

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写真は4~5日間隔で掲載しています。 



2017/11/19  更新



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